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世界を変えるつもりはない。

私はその時成田の上空にいた。はじめてのフランス旅行を終え、「いつかここに住みたいなぁ」とぼんやり思いながら、大学二年生の春を迎えようとしていた。着陸時にマップを見るのが好きな私は、間も無く終わる夢のような時間を惜しみながら、飛行機のアイコンを追う。
しかし機体は一向に成田に着陸せず、周囲をくるくるとまわるだけ。何かがおかしいと思っていると、飛行機はどんどん内陸へ進んでいく。


機内のアナウンスが流れる。「現在地上で大きな地震が起きたため、他空港へ向かっております」。こんなことは初めてだったものの、まぁ滑走路が混乱してるくらいだろうと思い、また外を眺める。その時まだスマホの電源を入れることはできなかったので何の情報もなく、「飛行機にたくさん乗れて良かったな」とすら思っていたかもしれない。
着陸したのは石川県小松空港。スマホの電源をつけると、たった1時間前に起きた未曾有の災害の情報が流れ込んできた。これは、何?


ざわめく機内はまるで映画を見ているような非現実感で溢れていた。ツアー客の他にも出張、個人旅行、そして修学旅行の高校生たちもいた。機内のアナウンスによると、成田空港も混乱しているためしばらくこの小松空港に留まるらしい。何時に発つなどの詳しい時間は伝えられず、私たちはただ機内にいることしかできなかった。情報はスマホからしか得られず、画像や動画を小さな画面で確認したり、親や友人に安否確認をとったりした。それでもまだ現実味はなかった。


再びアナウンスが流れたのはおそらく夕方過ぎ。「就業規定により、以降は業務を続行できません。お飲物はご自由にお取りください。この後地上スタッフよりおにぎりが配布されます。」
思えばロンドン・ヒースロー空港を出てから17時間は経っている。私たちと違い業務で搭乗しているスタッフは、たしかに規定があるのもおかしくない。お腹が空いたのでお土産で買ったクッキーを食べたり、座りっぱなしも辛いので、普段は入ることのできないCAさんのスペースでりんごジュースを飲んだり、来る人に配ったりしていた。


パリのシャルルドゴール空港で出国審査をした私たちは、国際空港ではない小松空港では入国審査を受けることができず、日本の地を踏むことは許されなかった。2時間だけ搭乗ゲートの待合スペースに降りるのが許された私たちは、そこに置いてあったテレビで初めて震災の生中継を目撃する。海が燃えている不思議な光景を見て、テレビの前の私たちはようやく現実を感じ始めた。
「妹があっちにいる」「知り合いが」そんな声も聞こえ始め、この閉鎖された空間に不安が広がっていく。私は特に知り合いや親戚はいなかったけれど、親族を突然亡くした経験があるので、その不安や悲しみは人ごとではなかった。


機内に戻りおにぎりを食べ、その日は座席で眠った。成田に戻れたのは、着陸予定の丸一日後だった。
空港は出国できずにベンチや地面で寝ている外国人観光客や、すでに世界中から集まった支援隊で溢れていた。ようやく日本に帰れた安心と、映画でしか見ない現状を目の前にした不気味な不安で、ふたたび現実感が遠のく。


帰りの鈍行電車は何度も止まり、いつもの倍近く時間がかかった。中には宿を求めて都内へ引き返す観光客もいた。私がもし海外で被災したらどうするだろう。そんなことを考えていた時、原発のニュースが入る。情報が錯綜していて一体何が起こったのか/起こるのか分からなかった。電車は都内に近づく。


とりあえずマスクだけして家に帰る。私の部屋に並べてあるネイルが少し崩れたことや、家の周りが停電になったこと、お兄ちゃんは半年に一度のヘアカット中だったのでケープをつけたまま飛び出したことなどを聞いて、そうなんだぁと思う。非日常から日常に戻ってきたはずなのに、なんだか少し変わっていた。


夕食で流れるニュースの動画はやはりまだ現実のものとは思えなくて、それでも録画してる本人の声であろう避難を仰ぐ叫び声や、一方で落ち着いた声を聞くと映画やドラマとはかけ離れたリアルを感じた。その先にあることを思うと、これ以上、箸が進まなかった。


短い春休みが終わり、暇を持て余した大学二年生になった私は、高校一年生に上がった春を思い出す。突然大切な人を失う悲しみは、きっと誰にでも訪れる。でもその痛みは一つとして同じものはない。10000分の1に数えられる命も、何の数字にもならない命も、同じ命はないし、重さは同じ。そういえば心の重さは何グラムだろうか、という映画か小説かを見た気がするし、しない気もする。


その年の秋、私は親にも言わずにフランス行きを決めた。一年後に渡仏しそこで経験したことが全ての今につながっているのはきっと私を知る人なら否定はしないはずだ。そして同じように喪失を知った高校一年の夏、私は夢を叶えるために一歩踏み出した。これは知る人ぞ知る話。


いつどうなるかわからないから、今を生きる。言葉だけだと聞き飽きたし、薄っぺらくも感じるけれど、人生のうちに深い溝や別れと出会ったことがある人ならば、トラウマのように刻まれているはずだ。


私はその別れと対峙しないと前に進めない、とても弱い人間だ。高校一年の春よりも大学二年の春よりも、大切な人やものが増えてしまった今、ますます弱くなっている気がする。でもその弱さこそ私なのだ。


時折呟く「世界を変えるつもりはない」という言葉は、手の届く範囲を幸せにしたいという意味。それはまずは私自身のことで、自分を大切にしない限り、物事が好転するわけないのだ。なにより大切な明日の世界に進むために、今を生きよう。

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