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おかえり

高校の通学には電車を使って1時間半近くかかった。1時間に一本の電車と、30分に一本の電車を乗り継いで。中学までろくに電車に乗ったことのなかった私にしてみれば、大移動だったと思う。慣れない満員電車での通学で疲れた私は夕暮れ時、近所のとあるおばさんとよくすれ違った。おばさんは、(私の母が知るところによれば)そう遠くない格安スーパーの見切り品を狙って、その時間に颯爽と自転車で坂を降りてくる。私はセーラー服を着て、重い通学かばんを背負って歩いている。黄昏時でよく見えないのだけれど、おばさんはいつも私をすぐ見つけて、すれ違いざまに大きな声で「あっちゃん、おかえり!」と言う。私は急いで元気に「ただいま!」と同じボリュームで返す。それだけ。今日は学校どうだった、も、おばさん夕飯の買い物ですか、もない。おかえりとただいまだけ。


おばさんは、私のことを私が生まれた時からもちろん知っている。親しいというのとは違う、狭い田舎の距離感。みんなが互いのことを知っていて、面倒な噂話やどうでもいいいざこざがあり、誰かが死んだり、また赤ちゃんが生まれたりを繰り返す小さな世界。見上げると小さな山があり、川といえば町に住む人が全員同じ川をイメージするような町。買い物するところはひとつしかない、国道沿いにはファミレスとパチンコ屋しかない、そんな町。


そんなところからは絶対に一刻も早く出てやるんだと思っていた。誰が嫁に行ったとか出戻ったとか、どこの大学を落ちたとか、そんな話の餌食になるのはうんざりだと思っていた。ろくに本屋もないし、CDも買えない、映画館もない、そんな町まっぴらごめんだと思っていた。誰も知らない場所で、自由に生きるんだって。誰にも噂されることなく、好きなことを思い切りやるんだって。私はそうした悪い噂のタネになるような子供では全然なかった。むしろ優等生で有名だった。でも、だからこそ、窮屈だったのかもしれない。ずっとそうやっていい子で過ごし続け、抑圧されて生きるなんて耐えられないと。


そして私は町を出た。今は都会で一人で気ままに暮らし、映画をみたり本屋に行ったり、コンサートに行ったり好きな仕事をしたり。ひとりでのんびりお茶に行っても誰も見咎めたりしない。親しい友達やデートをする相手はいるけれど、田舎にいたときみたいな人間関係の網目はもう私にまとわりつかない。


それでも、歳を取ってようやくわかった。あのおばさんの「おかえり」が私にとってかけがえのないものだったということが。おばさんのことはよく知らない。もちろん通り一遍のことはわかるけど(どんな家族構成でどんなおうちかとか、やたらと猫を飼っていて近所が迷惑してるとか)、そしてたまに実家に帰るとそのおばさんについてのろくでもない噂話を聞いたりするけど、私はそんなこと知らない。あのおばさんは私にとって、いつもおかえりを言ってくれる大人だった。私にはそれで十分だし、田舎の泥臭い人間関係のいいところが、あのおばさんの「おかえり」にぎゅっと詰め込まれていたんだと。自分を見守ってくれる大人がいる、親や親戚以外にもいる、もし道端で何かあったら助けてもらえばいいと無条件で思える。子供が他人から享受することのできるこれ以上のギフトはないのではないか。おばさんの「おかえり」は、私があの町を出た今でも、私を励まし続けるのだ。

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