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ゴールドシチーは”素直になれない”のか

ウマ娘 プリティダービーをやっています。実はリリースからそれほど間を開けずに始めたのでもう1年以上やっています。なんなら課金もバンバンしているし毎月のチャンピオンズミーティングにも出走しています。破産しそうです

ウマ娘の一番の楽しさといえば自分の「推し」で勝つという点なのですが、そんな私の推しはゴールドシチーです。ということでゴールドシチーとゴールドシチーシナリオについて語っていきます。

なお、このnoteはゴールドシチーシナリオ既読の方向けの内容です。シチーナリオはもちろん、トーセンジョーダンのシナリオについても一部ネタバレを含みます。それでもいいよという方のみご覧ください。本題に入る前に、以下、いくつかの「前提」を挙げます。

前提➀
本稿で挙げるゴールドシチー解釈はアプリ「ウマ娘 プリティダービー」のテキストに準拠し、アニメ版「ウマ娘」並びに他のメディアは関知しない。

前提➁
本稿で挙げるゴールドシチー解釈は断定するためのものではなく、また、他の解釈を否定するものではない。

前提③
本稿で挙げるゴールドシチー解釈は今後のウマ娘アプリ内でのシナリオリリース内容によって変更・否定される場合がある。


1.ゴールドシチーの人格

 さて、ゴールドシチーはウマ娘二次創作界隈(以下:二次創作)において、しばしば以下のように扱われています。
・素直になれない
・子供っぽい
・嫉妬深い
・独占欲が強い
 しかし私はそうは思いません。もちろんそうした側面はシチーにありますし、それらを描いた二次創作も楽しく見ています。
 ですが、これらはあくまで「ユーザーの幻覚のゴールドシチー」であるように思います。
 むしろゴールドシチーは非常に「自律的」で「大人」なウマ娘であり、その根底にあるのは強烈な「プロフェッショナリズム(プロ意識)」である、というのが私の見解です。
 以下、その根拠となる箇所をスクリーンショットを含めて挙げていきます。

1:コミュニケーション能力の高さ

スクリーンショット (699)

 シナリオ冒頭のシチーです。自分から「ワガママで、イライラする」と言っています。非常に素直ですし、これからトレーナーと協働する上で必要な自己開示をかなりしっかりしています。シチーが本当に子供っぽいウマ娘であれば、そもそも「アタシ、アンタにキツく当たることもあると思うけど、それでも大丈夫?」という気遣いは見せないはずです。
 この場面はいわば、「お互い、これから先投げ出さずにやっていく覚悟はあるっしょ?」という契約確認の会話なのです。

スクリーンショット (710)
スクリーンショット (711)

 阪神JF出走後、クラシック級ではファンの期待を裏切って三冠路線へ進むとトレーナーに打ち明ける場面です。その理由も、自分の考えも、明確に言葉で説明しています。

 以上のように、シチーは元来、しっかり言葉で説明して、相手にわかってもらおうとするウマ娘なのです。
 二次創作では「めんどくさい女」扱いされがちですが、むしろトレセン学園では屈指の「話せばわかる」ウマ娘だと言えます。

2:求められることに応えるプロ意識

スクリーンショット (704)

 学園での撮影の一コマ。モデルとして、「相手がなにを求めているか」を敏感にキャッチし、それに応えます。

スクリーンショット (702)

 そもそもティアラ路線を見据えた阪神JFへの出走自体が、ファンの求めるゴールドシチー像に応えるためでした。

スクリーンショット (753)

 さらにマネジの証言。シチーは自分を「わがまま」で扱いにくいと思っていますが、むしろプロとして求められたことはキッチリやる、非常に生真面目なウマ娘であることがわかります。

スクリーンショット (726)

(ジョーダンからもストイックと言われるゴールドシチー)

 根本的に、ゴールドシチーは真面目でストイックな性格なのです。だからこそモデルとして厳しい自己管理もこなせるし、勉強の成績も非常に良い。

スクリーンショット (777)

 ゴールドシチーというウマ娘は、素直になれない子供っぽい人物ではなく、むしろ必要以上に周囲の期待に応えようとする、ストイックでプロ意識の高い、自律したウマ娘なのです。

 これを裏付けるために、ジョーダンシナリオからもゴールドシチーを見ていきましょう。

スクリーンショット (772)
スクリーンショット (773)

 このように、シチーは「自分の意見や事情を相手に表明する」ことを重視しています。加えて、

スクリーンショット (768)
スクリーンショット (769)

 相手の状況や心境を推しはかって周囲を説得したり、という高いコミュニケーション能力を持っています。トレセン学園の同年代の中でもずば抜けて大人の視点で物事を見ていると言えるでしょう。

3.つまり……

 ここまでをまとめます。ゴールドシチーは「相手との相互理解を重視し、必要なこと、考えたことはしっかり言葉で説明する」人物で、「周囲の期待や求められていることを正確に捉え、ストイックなほどにそれに応えようとする」性格なのです。

 それらはモデルとして、第一線でプロとして仕事をしてきたことで培われたもの、つまり強いプロ意識の表れだと解釈できるわけです。逆に言えば、「モデル」でプロとしてやってきた実績があるからこそ、「競技者」としてのゴールドシチーもまたプロフェッショナルとして評価されたい、という願望がシチーの葛藤の根底にあります。

スクリーンショット (725)


2.シチーシナリオの根幹

 ゴールドシチーの性格・人格の核となっているのは「プロフェッショナリズムである」と述べました。しかしこれは「ゴールドシチーシナリオ」の核ではありません。
 以下、簡単にシチーのシナリオを振りかえってみます。

・ジュニア級
 メイクデビュー
 阪神JF
→「モデル」として活躍してきたゴールドシチーがレースへ出走。「キレイなだけじゃない、強いウマ娘」であることを証明しようとする。ファンの期待に応えてティアラ路線を見据え、阪神JFへ出走するも、「他人の声じゃなく自分の意志で走る」ため、三冠路線を目指すことを決意

・クラシック級
 皐月賞
 日本ダービー
 菊花賞
→「強いウマ娘」であることを証明するため三冠へ挑むも、ファンからは「レースでもキレイ」「華がある」など見た目についての声が多く、レースの成績で評価されたいゴールドシチーは鬱憤を募らせる。三冠レースでも自身の評価を覆せなかったシチーを、トレーナーは「まだチャンスはある。年末の有マは三冠と同じくらい盛り上がる」と諭す。

 有マ記念
→タマモクロスと初の対決。タマモは走りに期待する声が多い中、シチーについてはまたしても観客から見た目に関する声が挙がり、シチーは走ること自体を「無駄だった」「周りの見る目は変えられない」と感じ始める。トレーナーが「走るのをやめる?」と問いかけるが、頷くことができない。トレーナーは「シチーは走ることをやめたいわけじゃない」と判断。春シニア三冠を目指すことを半ば強引に決める。

・シニア級
 大阪杯
→タマモクロスと再びの対決となるも、「周囲の目は変えられない」と諦めているシチーにタマモは失望している。シチーのマネジも「今のシチーは輝いていない」、「ただ傷つくだけなら走らない方がいい」と説得を試みる。トレーナーは「シチー自身が辞めると言うまでは走らせる」と拒否。シチーは自分がどうしたいのかを見つめ直す

 ファン感謝祭
→「なぜ阪神JFのあとティアラ路線へ進まなかったのか」というファンの問いかけに答えることができない。シチーは「三冠路線へ進んだのも、ティアラ路線の華やかさを観たがる声への反抗に過ぎず、結局自分は周囲の評価やどう見られるかで決めたに過ぎなかった」と悟る。
→「走るのをやめる?」というトレーナーの問いに、頷くことができない。ひたすら走るうちに、ただ純粋に、周囲の評価など無関係に「走りたい」と感じる自分に気付く。

 天皇賞(春)
→タマモと再戦となる。初めて「周囲の評価を覆したい」ではなく、「勝ちたい」と感じる。

 宝塚記念
→タマモと4度目の対決。タマモはシチーになんのために走るかを問う。シチーは、ただ走りたい。走って勝ちたいと答える。シチーの目に再び闘志が宿ったのを見届けたタマモクロスはジャパンカップにオグリキャップが出走することを告げ、秋の戦いを期待して去る。

 ジャパンC
→オグリ・タマモを下し、シチーは自分が「周囲の評価を変えるため」ではなく、「走りたいから走る」ことを認める。トレーナーからの「キレイだよ」という言葉を受け容れる。

シチーシナリオのテーマ

 先に結論を言います。ゴールドシチーシナリオの根幹は「ペルソナを脱ぎ捨てること」です。

 さて、シチーシナリオにおいては主に3人のウマ娘がシチーと関わりました。トーセンジョーダン、ユキノビジン、タマモクロスです。これらはシチーの3つの側面を表し、各側面に対応して登場します。

・トーセンジョーダン:女子高生としてのゴールドシチー(友達)

スクリーンショット (728)
スクリーンショット (730)

(ジョーダンはシチーシナリオで何度も登場するが、直接競い合うことはない。あくまで友達として関与してくる。トレーナーにも、シチーの友達として釘を刺しにくる)

・ユキノビジン:トップモデルとしてのゴールドシチー(憧れ)

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(ユキノビジンは「モデルのゴールドシチー」が接する相手として登場する。ユキノの悩みにシチーはモデルとしての知識と経験で応えるが、ユキノがレースについてシチーに相談することはない)


・タマモクロス:競技者としてのゴールドシチー(ライバル)

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(タマモクロスは一貫してシチーの「走り」について語っており、モデルとしての側面にはまったく触れていない。最初から、シチーを競技者として意識している)

 興味深いのは、タマモクロスの登場が多くなる場面ではユキノビジンが全くシナリオイベント上に現れないという点です。また、ユキノビジンはあれほどゴールドシチー(シチーガール)に憧れているにもかかわらず、ゴールドシチーの応援にいく描写もありません。

スクリーンショット (715)

(正月イベントでユキノがシチーのもとを訪ねるが、レース前に控室にユキノがきたり、観客席からユキノが応援したりといった描写はない)

スクリーンショット (714)

 他のウマ娘の場合は控室にライバルや友達が応援にくる場面がありますが、シチー・ユキノ間にはそういった演出は皆無です。
 ユキノビジンが憧れているのはあくまで「モデルの」ゴールドシチーなのだ、という意地悪な解釈もできますが、どちらかというとこれは「競技者ゴールドシチー」を強調する意図があるように思えます。

スクリーンショット (697)
スクリーンショット (698)

(シナリオ冒頭から一貫して、競技者としてのシチーはタマモクロスとの接触の中で描かれている)

 ジュニア級の有馬記念~シニア級の大阪杯において、シチーは走る目的を失っていました。いくらレースで活躍しても、周囲からの評価は「キレイ」、「華やか」といった見た目に関するものばかりでした。レースを走る「競技者ゴールドシチー」が評価されていなかったのです。

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 シチーは自らを見つめ直し、「ホントのアタシ」は最初からどこにもいなかった、という結論を出します。

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 シチーに残ったのは「走りたい」という気持ちだけでした。

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 これが、ゴールドシチーが初めて「自分で選んだ」ものだったわけです。ここまで、ずっとシチーは「モデルとしてではなく、ウマ娘として(競技者として)評価される」ためにレースを走ってきました。しかしそれはあくまで「モデル」というペルソナ、「競技者」というペルソナ、どちらを評価されるかという話でしかなかった。評価されているのは「ゴールドシチー自身」ではなかった。シチーは単に自分に新しいペルソナを作りだしていたにすぎません。

 そして全てのペルソナを捨て去ったときに残るのが、「走りたい」という想いなのです。他のウマ娘たちがなんらかの理由・事情・目的を持って走る中、ただ「走りたいから走る」という結論――最も困難で最も純粋な結論――にいきつくのがゴールドシチーというウマ娘なのです。

 そうして、「ペルソナではない、本当に自分のやりたいこと」を見定めることで、シチーは「モデル」としての自分と「競技者」としての自分、両方を受け容れられた、ということになります。

スクリーンショット (762)

 これは、シニア級夏合宿でのユキノとシチーのやりとりに象徴的に現れています。

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 この夏合宿はシチーシナリオにおいてずっと「モデルのゴールドシチー」と対応してきたユキノビジンが、「競技者のゴールドシチー」について初めて語る場面なのです。

つまり、ここに至ってようやくシチーは「モデル」というペルソナと「競技者」というペルソナを自分自身の一部として認められるのです。シナリオ構造的に、そのように意図されています。

スクリーンショット (758)

 シチーシナリオの特異な点はここにあります。他のウマ娘が基本的になにかに「なる」ために走るのに対して、シチーは「ならない」ために走るのです。逆に言えば「自分自身になる」ために走るのがゴールドシチーシナリオであり、他のウマ娘たちのスタートラインがゴールドシチーのゴールになっています。


ここまでの結論

 本稿では、ゴールドシチーに対する二次創作の一般的解釈――「素直になれない、子供っぽいゴールドシチー」――を否認し、シナリオから読み解けるシチーはあくまで大人な、自律したウマ娘であり、高いプロフェッショナリズムが性格の根底にあると考えてきました。
 そしてそれはシナリオ的に見たとき、シチーの「モデル」の側面と「競技者」の側面の相克として現れていました。「モデルとしてプロ意識を持って仕事をしているゴールドシチーが、競技者としてはプロとして評価されていない」という葛藤です。
 最終的にはそれを乗り越えるわけですが、実際のところ、「周囲からの見方を変える」という当初の目的は果たされていません。変わったのはあくまで「シチー自身の受け取り方」に過ぎません。

 そう、実のところ、シチーシナリオはなにも解決しないまま終わっているのです。周囲からの無理解、見た目だけで評価される状況そのものは変化していません。ただ、それらの向かう先であった「モデル」のペルソナ、「競技者」のペルソナを、シチーは脱ぎ捨てただけ、どちらも自分であると認めただけです。

 つまりシチーは最終的に「ストイックに周囲の期待に応えようとして、ペルソナに縛られていた自分」を克服したのです。

スクリーンショット (762)


おまけ1:BIG LOVEの女ゴールドシチー

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 観客やファンからの視線、どう評価されるかばかり気にしていたシチーですが、ファンのことはきちんと大事に思っているし、彼らの声援から力を貰っています。

おまけ2:ゴールドシチー×ユキノビジン 「憧れのレヴュー」
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のnoteも書いていますが、実は『ウマ娘』と『スタァライト』を(勝手に)クロスオーバーさせた『少女Ωバ劇 レヴューウマァライト』という企画をやっています。シチーとユキノがバチバチにぶつかり合いますので、ご興味があればご覧ください。

おまけ3:ゴールドシチーSS
 ゴールドシチーとトレーナー(♀)のシチトレです。ゴールドシチーのトレーナーはシチーと同じくらいの美人であってほしい、という筆者の趣味が出ています。


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