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【‘‘反転しながら見る世界’’】

*理

スクリーンに映し出される世界を見ることは、世界の外側からもう一つの世界を覗いているような感覚を覚えることがあります。
内側にいるこの世界は、広く思えるが、実際には想像以上に狭い世界なんだと改めて気付かされることがあったりします。
映画で作られた世界は既に出来上がった世界ではありますが、そうした世界の隅々を見渡すのには長い時間がかかるものですし、分かりにくいものだと感じます。
分かることと分からないこと、これは映画に限らずあらゆる物事に対しても直面することであり、私たちは考えることで、そうしたことを分別しながら日々過ごしています。
分かることよりも、分からないことの方が多くて、私たちの分からないことは、誰しも共感を覚えるような感覚を常に持ち合わせながら、手探りのまま何かを求め続けている。
連続する光景の中にいる人々、そこはスクリーンの中ではなく現実であることを実感させてくれる。
ありふれた世界に宿る特別な情感によって私たちは幸せを感じている。

*波

映像と言葉だけが分断されて、後に続いていく思考は手触りだけが残り、瞳に映し出される世界に浸り感動を覚える。
繋ぎ合わせのように見えても、それは単なる繋ぎ合わせではなく、今までに見てきた映画だということに気付く。
映像も、音も、一瞬の波のようなものであり、波はいつしかおさまり、平穏さだけを残していく。
何かを得れば、何かを失うことは、何度も考えたことだし、何度も思い返すことがありました。
映画には、そうした感覚を取り戻してくれる反面、抽象的なモヤモヤとした気持ちを払拭させてくれるものだと感じます。
だからこそ、映画を見てそこから何かを感じたいと思えます。
どのような作品にも、空気を包み込む力というものがあり、読むことや見ること、聴くことは即ちそれは手段であるからこそ、作品を内側から覗き込み楽しむのだと感じます。
特別なもの、それは表現力を身に付けたり、鑑識眼を鍛える必要はなく、そうした感覚に触れる為だけに考えたり、思ったりするものだと考えたりします。

*末

AIと映画を関連させて考える機会がありました。
例えば、AIが映画の脚本を自動生成する未来がきたとする、そのような時代を向かえた時、脚本家や映画監督の存在価値はどのような立ち位置になるのだろうかという疑問もあります。
映画業界におけるAIの活躍、AI技術の進化にともない各国の映像技術はどのような影響下を与えるのだろうかと考えたりしますが、AIは果たして人が作り出した創造物を越えるような作品を生み出すことは可能なのだろうかという思いもあります。
AIの能力は、益々進化していく一方で私たちの存在を脅かすものへと変わりつつあります。
映画からAIまで、この星に限らず、まだまだ私たちの知らない世界はこの世に存在するものであり、平行世界の上でいくつもの経験を積み重ねながら毎日を生きています。
世界を反転してみれば、そこにはまた違った世界が広がり、反転した世界の中で生きていく。



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