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【‘‘読書における本義へ’’】

本義とは、通常、本来の意味という意味ではありますが、読書における本義というものは存在しないものだと思います。
では、何故、本義という言葉を使うのか、それは読書の本義というものを考える時、本義は人によって異なる意味合いを持つからだと私は思っています。
本を読む目的は、楽しむ為にあるもの。
あるいは、学ぶ為にあるもの。
もしくは、人生のヒントになるものを探し出す為にあるもの。
‘‘読む’’という行為は等しくても、そこには明らかに目的が異なるものがあります。
つまり、本義とは、読む人の考え方によって本義の意味が変わってくるということを私は考えています。
文章を書くことは、制約に従いながら、読む人にどのような形で伝わりやすい文章を書かなければいけないのかということを常に念頭に置きながら書いていかなければいけません。
ですが、読書は‘‘読む’’という行為によって、様々な読み方が出来ますし、読み方一つで世界を広げられ、思考力さえも高めることが可能であります。
小説や学術書を読む際に、私にとっての本義は読む瞬間から変化が起こっているものだと実感するようになりました。
それは、楽しさから学びへ。
あるいは、学びから楽しさへ。
移り変わる本義は、読むことへの喜び、そして幸福へと飛躍する。

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