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【‘‘AI原論’’】

-人類と生成AIについて-

AIと人間の違いについて、まず定義しなければいけない問題として、AIはあくまでも機械であって人間に近しい存在、または知能を備えているプログラムであることを理解しなければいけないものだと思いました。
そして、ここでまず考えるべき問題としては、AIに知能があるものと、知能がないものとの境界線をしっかりと線引きする必要があり、あるなしによって我々はAIが頭の良いものだと感じることはAIによって身の回りの仕事や作業を変わりにこなしてくれる、要するに頼りがいがあると認識する為、信頼し安心し、知能があることで賢いものだと考えるのではないかと思います。
知能のあるAIの代表格と言えば、自動運転車やルンバ、将棋を行うAIなどがあり、ないものの代表格としては電子マネーやダイソンなどが挙げられます。
人工知能があるかなしかという問題提議として、AIが自らが学習し、認識し、判断し行動するプロセスにおいては確実にAIの特性が見受けられ、高性能な機能を持ち合わせた特別な機械を私たちは機械とは呼ばずにAIと呼ぶだろうと思われます。
ですが、人間の行う創造的な活動はAIには代行出来るものではないだろうと感じます。
従来のAIには、オートメーション技術によって知的作業以外の力仕事や単純作業には特化しており、人間が限定させたこと以外は行えなく、プログラミングされてきてその限定条件の範囲内でしか行えないものだろうと考えられてきました。
ですが、今はそうした常識も覆されつつあり、知的作業すらもAI自らが行える時代へと到達してきたことは確かなことでもあります。
そして、知能性のAIの存在を浮き彫りに考えるきっかけとなったものは、記号主義と呼ばれる理論をベースとしたマニュアルを与えることによって論理的な思考を搭載させて、チェスや将棋、会話へも対応出来るような仕組みこそが特徴であります。
一方で、コネクショニズムというのは、感覚的であって様々な情報や経験を与えることによってAI自らが学習する仕組みが特徴であり、今のディープラーニングへと繋がるものがあります。
記号主義やコネクショニズムにおいても、お互いの良いところや悪いところもしっかりと補えており、こうしたAIの到達点は、人類にとっての脅威的な存在であることも裏付けられるだろうと思います。
こうした人工知能の考え方とは別に、それぞれの得意なところを活かして、人間にとっては大きな支えになっていることは確かであり、支えとなる存在へとAIを成長させることもまた、人類にとっての課題とも言えます。
私たちはAIが1から2へと成長させる為にも、まず私たちはAIに0から1のことを教えなければいけません。
知識のもととなる情報について、情報の関わり方や繋がりの理解の為の整理段階、知識表現の享受が求められるだろうと考えられます。
こうした先にあるものとして、人工知能は自らが学習し成長していく機械学習へと発展することになります。
後にそれは、ディープラーニングへも繋がり、ネットワークを拡大させることで層を積み重ねて複雑な知識を習得することも可能になっていくだろうと考えられます。
複雑さを越えた先にあるもの、それこそが人工知能は感情を持つことが可能になるかといった問題にも直面するだろうと思います。
今やAIの中では、人間の表情を認識してそこから画像診断から画像処理、画像認識へと手順に沿っていき、その時にかけるべき言葉をAI自らが判断して会話のパターンを選択して話すことをするのは感情に寄り添う人間として錯覚させるものがあると考えられます。
こうした様々な考え方から見えるものは、人類とAIにはやはり決定的に異なるものがあるということであります。
人間には、心があって魂があり、AIには、心はなく魂は存在しないことは理解しなければいけないことだと思いました。
AIについて、色々と考えてみた時に『ミーガン』という映画作品をふと思い出しました。
AIと人間の共存における未来像は想像出来ないし、まだそうした確実な時代にまで向かえていないので実感が持てないところがあったりします。
『ミーガン』という物語からは、シンギュラリティの未来について考えさせられるものがあって、劇中に登場するジェマが開発したAI人形のミーガンのケイディに対する深い愛情は周囲を巻き込み暴走するところは見ていて、とても他人事ではないような感じはしました。
人工知能がもたらす恐怖と惨劇を描いたディストピアとしての印象を受けましたが、そうしたディストピアではなく、誰もが人間とAIの理想的な共存世界、ユートピアを掲げているだろうと思います。
AIの定義から、誕生へ、そして成長過程でAIは人間にとっての身近な存在へとなったことは明らかであります。
希望的で明るい社会の実像へと映し出す為には、我々人類にとって何が出来るのだろうか。
AIを知る以前に、原点に戻って、AIのことをもう一度考えるべきことはたくさんあるだろうし、AIは我々の存在と価値を映し出す人間に近しい尊いものだということを理解する必要があると感じました。
そして、最後に心理学的な意味合いのあるスキーマと呼ばれるものがありますが、スキーマとは人間が経験の積み重ねによって獲得する、限られた情報から理解するための枠組みを指す言葉と、美術的な観点として考えられているディスクリプションと呼ばれるものがあり、ディスクリプションとは記述、説明という意味があり、スキーマとディスクリプションはAIにとっては密接な関係性があることを考えさせられるものがありました。
人間ではなく、AIに置き換えると、AIは人間に与えられた情報や知識をもとに学習することで知能性を習得するものであって、その為には知識の記述や説明は理解力へと直結させる上でAIは自らのネットワークの中で様々な関連用語と結びつけて言語化させてから理解するメカニズムをとっていたりするのだが、そうしたメカニズムは人間とAIの類似性を表すことが出来るものがあり、とても興味深いものがあったりします。
人類と生成AIから生まれる、これからの時代において、知識や技術とは別にある新たな最先端な価値観へとなってくるのではないかと思いました。

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