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バイクとスノボ

最近、ちょっとした夢がかなった。

ずいぶん長い間、九州最大の川「筑後川」の川沿いの見晴らしの良い道を通って通勤していた。
 道幅はそんなに広くはないが、信号が少なく、広い空と大きな川、反対側には広い田んぼの広がる風景を楽しみながら、ゆったりと20分ほど直進できる。虹や彩雲がでたり、片降りの雨が何箇所かに見えていたり、濃霧で目の前しか見えなかったり、狐や狸、イタチが横切ったり、鳶が運転席の横を飛んだり。季節ごとにも景色が変わり、飽きることはなかった。仕事はただ忙しく、退勤時には疲れ切っていたが、この風景の中を車で走っているとだんだん人間性を取り戻していく感覚があった。

天気のいい日は、若い頃に付き合いのあった同僚が大型バイクの免許をとり、ご夫婦でハーレーダビッドソンを乗り回していたのを思い出し、ここをバイクで走ったら気持ちいいだろうなー…と妄想に耽りながら通っていた。

1年ほど前に前職を退職して、今の職場で仕事を始める間に2か月ほど無職の時間があった。
 毎年忙しく、年末大掃除も十分にはできなくて人生の垢の溜まった家をこの機会に大掃除し、沖縄県の自動車学校へ合宿を利用して小型バイクの免許を取りに行った。本当は普通自動二輪免許を取りに行ったのだが、滞在できる期間内に課題を終えられそうになく、途中で小型AT限定免許に変更した。ナメてた。

なぜ今バイク?危ないよ…と周囲の人々は心配するような、呆れるような反応だった。
数年前にいきなり街乗り用のスケートボードをクラファンで購入して左膝の靭帯に全治3ヶ月の損傷を負った事がある。
年齢の自覚がなく、いつまでも大人になれない心配な人だと思われているようだ。

バイク免許取得のきっかけは兄の勧めだった。(この兄は後に、いい年をして大人気の育っていない妹に危険な行為をそそのかした人として、一緒に少しだけ非難されることになった。)
 何気ない会話の中で勧められたのだったが、ふと、筑後川沿いの風景が思い浮かんだ。その後スケートボードと膝の装具も思い浮かんだ。更にはもっと昔、職場の仲間に誘われてスノボを楽しんだ数年間が思い浮かんだ。

30代で初めてゲレンデを体験した。スキーかスノボかと問われて、使う道具の少ないスノボを選択した。ゲレンデで開かれている短時間の初心者講習を受けたが、スピードが出たら転んで止まらないといけない状態だった。

ゲレンデの下の方で練習しては転んで座り込み、「あたし何してるんだったかなぁ…」と天を仰いでいたら、後ろから華麗な滑りで近づいてきた同僚が雪玉を背中に押し込んでいきやがった。無差別に、スキのある仲間たちへ向けて雪玉をぶつけたり背中に雪を入れたりしては逃げていく。
全員で戦いが始まった。他のお客さんの迷惑にならないように、静かに、お行儀よく、虎視眈々と攻撃したり受けたりした。一緒に一人を狙っていた友人が、目標の人物の背中に雪を詰めるのに成功した瞬間に私にも雪玉をぶつけて逃げていった。油断できない。

気がついたらかなり自由に滑れるようになっていた。楽しかった。

その日の午後はリフトに乗ってゲレンデの上の方に連れて行かれた。リフトを降りるのに難儀は続いたが、ターンをしながら斜面を滑り降りるのは気持ちが良かった。減速のために腹筋に力を入れて重心を下げて持ちこたえる感じや、ターンをするのにブレーキをかけながら先に視線を進行方向に向けて、身体を後からついていかせるようにひねる感じ。他者の動きも予測しながら自分の行先を正確に検討する感じ。
スピードが出ているのでものすごく身体の感覚に集中して操作しないと怪我をする。
顔に当たる冷たい風も心地よかった。
超マインドフル。初めて生きていることを実感した。

幼少期から体力がなく、運動嫌いで頭でっかち。
そんな私は30代にして初めて身体感覚と思考のバランスが取れた状態を体験した。
 しかし同時に次の日は頭皮からつま先まで、全身くまなく筋肉痛でどれだけ緊張していたか、またどれだけ全身の筋肉を緩ませて普段生活しているのか、も思い知らされた。

1シーズンにそう何度も行けるわけではないから、その数年間に時々行ったゲレンデでは感覚が適応しすぎることもなく、その新鮮な感じを毎回体験することができた。

しかし、だんだん年齢を重ね、体力はますます低下し、仕事は忙しくなり、休日をレジャーに費やすエネルギーの余裕がなくなったことで、いつの間にかゲレンデへは行かなくなった。

クラファンサイトで街乗り用のコンパクトなスケートボードを見た時、あのマインドフルな瞬間がフラッシュバックした。全身の感覚に意識を集中しスピードと身体に受ける風を楽しむ。
それが、日程を決めて仲間を集めたり、装備を整えたりしなくても、もう少し身近な時間で楽しめる。

と、思ったら甘かった。

 人目につかないよう、夜の公園の駐車場で細心の注意を払い安全に気をつけながら一人で練習して乗れるようにはなった。
大満足し、「疲れたからそろそろ帰るか。」と直立して左足をボードに乗せていたら、そのボードが左方向へゴロゴロとゆっくり滑り出した。
疲れた私の内転筋群はそれを止めることができず、左膝内側の靭帯を一瞬にしてありえないほど引き伸ばされた後転倒した。地面に転がって、また天を仰いだ。この時は満天の星空だった。
左膝は全治3ヶ月。職場の人に怪我の理由を説明したら必ず失笑をかった。回復後も怖くてスケートボードには乗っていない。

あの、スピードと風と全身の意識的なコントロール。バイクはそれを思い出させてくれるはずだった。

が、教習所ではそれどころではなかった。遥か昔、自動車免許を取得したときもそうだったが、ちょっとした自分のハンドルやアクセル操作の動きであの重くて大きな車体がすごい馬力で動き出す。なかなか身体の緊張が取れず上手くいかなかった。

「視線をもっと先に」「加速、減速にメリハリを」と、指導されることはゲレンデの講習会で言われたことと一緒だった。しかし、筋緊張が取れず、全身の操作がうまくいかない。加齢と全身の機能の低下を実感した。何と、ゲレンデ初日のあの筋肉痛も再び体験した。
キネシオロジーのプロの友人にSOSを求め、なんとか危機を脱し、小型AT限定の免許だけは取って帰った。

バイクを購入し、月に1〜2回ほど片道1時間の通勤に使うようになった。

そして一年たち、前の職場近くにあるバイクのディーラーへ点検に出すためにようやく筑後川沿いのあの自然豊かな道を、晴天の中バイクで走ったのである。

気持ちよくて、夢が叶ったうれしさで景色は3割増しでキラキラしていてご機嫌だった。

ただ、思っていたのとは少しだけ違った。ヘルメットを被っているので顔に風を受けないのである。
フェイスカバーを開けると虫が飛び込んでくる。

しかし、こんなことも実際体験してみるまで知り得ない。

こうして新しい体験に取り組みながら、自分の人生をきちんと豊かに生きていることを実感した。

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