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発達障害と天才合宿について

発達障害と天才合宿

2016年に天才合宿を始めたのは、長男の発達障害がきっかけだった。
以来、自身の発達障害(診断受けてないけど自閉症スペクトラムどんぴしゃ)も見つめ、
他の大人やこどもの発達障害も見つめ、自分なりの解釈や工夫、実験と確認を繰り返してきた。

その間にも世の中でも発達障害への研究は積み重なってきて、有益な情報も増えてきた。
ただ、一番大切なのは、自分の一番の観察者であり理解者である『自分自身』が、どのように自身を、自身の発達障害とジャンル分けされるそれを捉えているか、『そこ』がイケてるかどうかなのだ。いわゆるそこが『基準』であり、基準の置きどころで人生というのは大きく変わる。

オレってイケてる。

そう思って生きて欲しい。人間なんて、主観と感情の生き物でしかない。その主たる自分が自分をイケてると見て生きられたら、その人生はイケてると言える。死ぬ時にイケてたと思えたらイケてる人生なのだ。イケてるの基準も人それぞれであるのだが、天才合宿においては「オレって天才」って思ってもらえたら嬉しいねと思っている。私は私を天才だと思えている。世の中にはいろんな種類の天才がいるなと思っている。多分あなたも、何かしらの天才だ。たとえそれが今の世の評価基準から外れていたものだとしても、自身が思えたらそれは天才だ。他者からどう見えるか、そんなことはどうでもいい。他者には他者の主観があり、そこと完全一致することなどあり得ないのだから。

一つ、天才たる基準はある。それは、自身のど真ん中、なんの嘘もなく自分自身であるか?というもの。やりたくないことしてないか?やりたこと分かっているか?何が好きで何が嫌いだ?何が心地よくて何が不快か?そこが分かっていないとブレている可能性99%だ。

発達障害は天才?それとも障害?

それはケースバイケースだ。場面と組み合わせによる。全ては瞬間的出会いによる反応や反射や俯瞰意識の選択の結果。全ては主観を持った個人個人の『受け取り方』『見方』次第だ。100%そうだ。だとしたら、自身の主観ではどう捉えることにする?どう見るのが、自分にとってイケててお得?それは自分次第である。ただこどもにおいては、環境を自分で選べないという現代社会のバグがあるから、大人は真摯にそこに向き合わないとクソダサい(私の主観です)。クソダサいなんて死にたいから、私は天才合宿を続けている。自らの尊厳のために。そして「自分は障害者だ」というより「天才だ」という方の主観を選択して欲しい。そしてもっというと「どっちでもいいわ〜」というところまでたどり着いて欲しい。たかが現代社会のラベリング(概念付け)の一つに過ぎないのだから。ただ、イケてるオレは目指して欲しい。盲目的に思い込むのではなく、一つ一つチェックしてアップデートを繰り返して、目指し続けて欲しい。

イケてる大人

自らを見る観察者としての成長のためには、他の観察者の力も必要だ。こどもにも大人の観察者が必要だ。心配するのではなく、力を信じて見ていてくれる観察者。だから大人は育って欲しい。イケてる観察者に育って欲しい。これは私の願いであり、エゴである。こどもはなかなかイケてる観察者であることがほとんだ。学ばせてもらうと良い。そして『オレってイケてる』と思えない部分があるなら、徹底的に洗い出そう。『オレってイケてる』って思える部分があるなら、どんどん試していこう。怖いことがあるなら、どんどんやってみて『大丈夫』を手に入れていこう。安心の量が多いだけ、人はイケてるものになれる。自身から観測しても、他者から観測してもだ。もちろん、安心を感じるために怖いがあるのだから、それを避けてなんとかしようなんて、無理だ。存在しているように見えるなら、それは多分ハリボテだ。だから安心して怖い思いもして欲しい。そして、進むのだ。本能的恐怖は別だよ。崖から飛び降りたら普通に死ぬよ。こんなこと言ったら嫌われるかも、とか、私がこんなことしたら変かしら、みたいなヤツのことです。やっても死なないヤツのことです。これは発達障害うんぬんとは関係なく、全人類に言えること。

2024年5/25〜5/26天才合宿開催
イケてる時間を過ごそう。イケてるオレを見つけよう。


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