立ってる場所 見てる景色
当事者にならないと”視界に入らないもの” ”認識しないもの”ってありますね。例えば、保育園や幼稚園の場所、パッと思い浮かぶのは自分が通っていたところ。意識してはじめて、毎日見ている建物が保育園だったと気が付くことがあります。スタジオアリスの場所は知ってるけど、ハーレーダビッドソンの場所は知らない。トイザらスの場所は知ってるけどゴルフ用品店の場所は知らない。
今日の #自分の考え整理note は、立ってる場所 見てる景色というお話です。
何が違うんだろう
”しっくりこない症候群”
この記事を書こうと思ったきっかけは、自分が ”しっくりこない症候群” になったからです。”しっくりこない症候群” の時は何に対しても、カチッとははまりません。
着る服、食べる物、仕事、私生活、どれもがしっくりこなくなります。
そうなった時、たいていの場合は何か1つをしっくりくる状態にすると、他も気づけばおさまっているものでしたが、今回はそうはいきません。
「たいていの場合」の解決策としての十八番の掃除「全部出して、見直し、整えて戻す」をしてもおさりません。
全集中掃除が終わるころに症候群が収まっていたり、落としどころをみつけられていたものですが、今回は何かが違う。
掃除の他には「書き出す」「話して離す」「料理する」などいくつかありますが、今回はどれもしっくり落ち着きませんでした。
そこで、普段なかなかお話できない方とお話したり、知識のある方に助言をいただいたり、関係しそうな書籍を片っ端から買い集めました。
それでも、症候群がおさまるどころか、積読と焦りが増えました。
まるでザルで砂浜の砂を全部集めようとしている毎日で、途方に暮れていきました。
何か違うを突き止める
積読と焦りが増えるのと比例して、心も疲弊していきました。
なかなか、こんなにも長い”しっくりこない症候群”というのも稀で、だいたいが数日で解決していたものです。
それが今回は約1か月半。
いよいよ、”しっくりこない症候群” の根源がずれている気がしてきました。
始まりはなんだったか。
積読を全部読んだら解決するのか?資格?勉強?知識?それともそれとも。気持ちが焦るばかりです。
観察しよう そうしよう
疲弊しきったので、考えるのをやめてみました。正確には疲れて考えられなくなってしまったのです。
手の施しようがない、大きな問題なのか、自分がおもっているより小さくてガラスビーズ繊細で脆いものなのかもしれない。まったく別のほかの心配事に引っ張られているのかも。でも何はともあれ、今は疲れたから考えるのをやめようと、フル回転思考を停止したとたんに浮かんだのが「静観」することでした。
立ってる場所 見てる景色
立っている場所が違うと、言葉が違う
突然ですが、「CPA」と聞いて、なにを思い浮かべますか?なにも浮かびません、なんかの略ですか?という方も多いでしょう。
Googleの検索で「CPA」と検索すると以下の単語が続きます。
3つの単語をつかって1つの文章を作りましょうという国語の問題のみたいですがそうではありません。共通点のない3つの単語は全部、略すと「CPA」なんです。
お医者さんがCPAと聞いて「広告」とは思わないでしょうし、マーケッターがCPAと聞いて「心肺停止」とはならないでしょう。
そうです。
「静観」「観察」している中で最初に気が付いたのが、言葉の違いでした。
相手がしゃべっている言葉を理解してるつもりだったけど自分の言葉で話せるほどには理解できていないことに気がつきました。
見聞きした瞬間に、前後の流れや関係性、情景が沸く用語群はありましたか?
保育園の先生は「ごすい」と聞いたら「午睡」を当たり前のようにイメージしているでしょう。「リブ」をファッション好きな人、肉好きな人が聞けばそれぞれ違うものをイメージするでしょう。
言葉の認識ができていないと、どうも会話がスムーズでは無くなってしまいます。そこがまず私の“しっくりこない症候群”の症状1でした。
立っている場所が違うと、見える物が違う
言葉ももちろん関わるのですが、認知の程度の違いにも気がつきました。
怪我をした子供を病院に連れてきた大人とドクターを想像してみてください。その大人はかなり慌てています。はじめて子供の怪我をみたのでしょう。子供の服に血にじんでいます。
そこでドクターが下記のように伝えるとします。
「すりきずですね」
「ざしょうですね」
あたふたと余裕がない大人には「擦り傷ですね」と伝えるのが適切です。「擦り傷か、それは大したことがない」と想像し判断できるからです。さっきまで血が吹き出るかの如く見えていた怪我も大したものではなく見えてくる事でしょう。
一方で「挫傷ですね」と伝えた場合どうなるでしょう。相手が「挫傷」という言葉を知らなかった場合「ざ…ざしょうって、どのくらい悪いんですか、手術が必要ですか?」傷口もたいそう大きくみえることでしょう。
座礁、座哨のように他の単語を想像し、関連性を巡らせている可能性もゼロではありません。
※座礁…船舶が暗礁や浅瀬に底触したり乗り揚げる事象。
※座哨…座って周辺を監視する業務の事。
そもそも幾度も怪我を診ている医者と、始めて子供の怪我を見る大人とではみえている怪我の度合いが違います。
立場が違うと見える物がちがうんですよね。
これはいろんな例があげられます。
大人と子供。先生と生徒。肉食恐竜と草食恐竜。上司と部下。役員と平社員。部長と部員。兄と弟。
自分が知っていることを、相手も同じ知識量で知っているとは限りません。自分のなかの当たり前が相手には当たり前ではありません。
それならどうするか。
相手の立場に立ってみて、相手が分かりやすい言語で話してみる。
相手の使う言語を、理解して、遣ってみる。
そうすることで少しだけ、相手の景色を見ることができます。
みんな違って みんないい
「相違」を解き明かすことで見える景色の違いを発見できます。「相違」を発見するためには対話と観察が重要です。何気なく使っている用語が違うのか、気になっていることの根源、見ている景色が違うのか、私の中での常識が相手の世界では非日常のことなのか…はたまた。
今回長く患った”しっくりこない症候群” の原因は知識の相違、興味の相違が根源だったのだとおもいます。
個の違い、そんな当たり前の話に、なぜもそんなにも悩んだのか、それはみんなちがってみんないいが当たり前すぎたからです。
餅は餅屋。みんな違ってみんないいんです。
でもそれに得て不得手があって、認知の違いがあって好みの違いがあっていいんです。齟齬は生まれるのなんです。
しかし、共通言語で会話ができることでコミュニケーションが円滑になって、結果自分のなかの小さなもやや違和感が消えていくと私はかんがえています。
あたりまえは気づきにくい
自分の中で日常になっていることは、なかなか見直しません。携帯の料金、サブスク、習慣化しているアイスクリーム。当たり前にしていることが本当はおもっているよりずっと素晴らしいことかもしれないし、とても無駄なことかもしれない。また悩みを解消してくれるヒントかもしれない。
もうすぐ4月。
新学期、新年度、新しい生活、新しい部署など、環境状況が変わる方もおおいとおもいます。少したったころ「なんかなじめないんだよな」と感じたらまずは静観してみてください。共通言語で話せていますか?同じ目標を見据えていますか?
ぜひじっくり、相手と自分と環境を、観察してみてください。そして当たり前こそを、もう一回考えてみませんか?
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