見出し画像

発達に心配があるのは可哀想なことなの?

ある日の午後。

私は学校の先生と
あるお子さんについて
お話をしていました。

お子さんが苦手なことや
それに対してのサポートの仕方、
それから、お子さんが好きなことや
得意なことなどをお伝えしていました。

そうしたら、
その先生はお子さんのことを
「可哀想だね」という一言で
片付けてしまいました。

私としては
すぐに怒りのような感情が
湧いてきてしまったのですが、
お話をしている環境や
お子さんのこと、保護者の方のことを
考えた時に、
矛を収めておく以外に
方法はなかったなと思ってしまいました。


でも、すぐにその先生のことを
気の毒に思ったんです。

どうしてかというと、
発達に心配のあるお子さんへの
有効な指導方法こそ、
教育のユニバーサルデザインなのに、
それを知らないで担任をしている
その先生を哀れんでしまいました。


正直、この先生の将来が
心配になりましたね💧


世の中には
「障害がある=可哀想」のような
偏った考え方の人が多い気がします。

私としては、
それは真っ向から否定したい気持ちです。

障害があってもなくても、
自分のことや子どものことを
受け入れられない人ほど
私は気の毒に思ってしまいます。

どうしてかというと、
自分を受け入れることが
できないということは、
毎日毎日大きな不安を抱えながら
世間一般の基準に合わせることが良いという
勘違いを起こしている思考になって
しまっているからです。


そういえば、
新しく放送されている
「トロピカル〜ジュ!プリキュア」は
「自分の何かを信じる」ことで
プリキュアへの道を拓いています。

「自分の何かを信じる強さ」って
とっても大事なことですよね。

私が出会ってきたお子さんたちも
自分や自分の何かを大切にしている
お子さんたちばかり。

人はそれを「こだわり」と呼びます。


こだわりが阻むものもありますが、
こだわりの全てが悪いわけではありません。

自分や自分の何かを大事にできるからこそ
こだわりが強くなってしまうことだって
あると思うのです。


今日は、
「発達に心配がある=可哀想」という
考え方を覆すことができるような、
そんな内容が書けたらいいな!という
思いを込めて綴っていきます。

noteのバナー


サポーター向けステップメール登録バナー


1.発達に心配のあるお子さんの生き方

発達に心配のあるお子さん。

私は一度も可哀想だと
思ったことがありません。

むしろ、
彼ら彼女らの生き方に
私は羨望してしまいます。

あんなに自分を大事にできたら
もっと自分らしく生きれるのになって
そう思います。


でも、発達に心配のあるお子さんは
とても誤解されやすいのも事実。

「できない」ことに対しての
注目度が高いというか濃いというか
とにかく周囲の人が
ガヤガヤと「できない探し」を
してしまうのです。

周囲の人の「できない探し」を
発達に心配のあるお子さんは
素早くキャッチします。

そのキャッチの仕方にも
不器用さがあるので、
過大にとらえてしまったり、
過少すぎるくらい気にしなかったりと
それもまたお子さんによって
極端になりがちです。


発達障害のお子さんにとって、
私たちが「ちょうど良い」と感じる
ゆるっとしたあれこれが、
彼ら彼女らを苦しめているんですよね。

そういう「曖昧」なことへの理解が
なかなか難しいからこそ、
さまざまな面で不器用さが
際立ってしまうことがあります。

その「際立った不器用さ」こそ、
相手からの誤解を受けるところなんですよね。


この「際立った不器用さ」に
お子さん自身が気づくことは
とても大事なことです。

その反対に、
「際立った得意」があるのであれば
是非見つけ出しておいてください。

ここもまた、お子さん自身が
知ることが大事になってきます。

この二つをどう生かしていくのかを
私たち良きサポーターが
見出して、活用できる方法を
提案していくことが宝物だと
私は思っています。

画像3


2.定型発達のお子さんとの違い

「違い」という表現だと
どうしても「差」と捉えられて
しまいがちでしょうか。

ここでは「差」ではなくて
「違い」をお伝えします。


発達に心配のあるお子さん。

発達の心配に気づくきっかけとして
「子育てが大変に感じる」という
チェック項目がありますよね。

それがまさに「違い」です。


それでは、
どうして「子育てが大変」なのでしょうか。

あたなが思っていることを
教えて欲しいのですが、
今回は文字でお届けしていますので、
頭の中で考えてみてください。



どうですか?

考えつきましたか?


おそらくではありますが、
「友だちはできているのに
うちの子はできていない」
ということが多いのではないでしょうか?

その「できていない」ことが
定型発達のお子さんよりも
多いために
「発達がゆっくり」という
言葉の表現もありますよね。

私は「ゆっくり」だとは思っていません。

発達に心配のあるお子さんは、
とても真面目ですので、
自分がとことんわかるまで
丁寧に身につけているんですよね。

つまり、
とても丁寧に学ぶお子さんなのです。

だからこそ、
私たちは丁寧な子育てを
自然にしてしまっています。

定型発達のお子さんのママは、
こんなにも丁寧に子どもに向き合う
機会を得ることができません。


発達に心配のあるお子さんの保護者様は、
発達障害の子育てを学ぶ必要があります。

でも、「丁寧な子育て」とか
「子どもに合わせた子育て」とか、
そういうお子さんに今必要な子育ては、
誰からも教わらなくても
ちゃんとできているのです。

ですから、
お子さんはたっぷりの愛情を受けて
育っていくのです。


発達に心配のあるお子さんの中には
愛情を受けたとしても
それをキャッチするのがうまくなかったり、
キャッチしてもそれを返す返し方が
分からなかったりします。

でも、あなたがかけている愛情は
たっぷりとしすぎているくらい
多いのですから、
子育ての仕方さえお子さんに合っていれば
あなたの愛情はちゃんとお子さんに
届いていくのです。

だからこそ、
発達障害の子育てを
あなたは学ぶ必要があります。

画像4


3.「可哀想」なのは誰?

ここまでお読みいただければ
結局「可哀想」なのは誰なのか、
あなたも検討がつくはずです。

そう、
絶対にお子さんではないんですよね。

発達に心配のあるお子さんを
一人の人間としてみていない
人物が可哀想なんです。

発達に心配のあるお子さんの
未来を応援したいと思っていない人物が
可哀想なんです。


お子さんの発達の可能性を信頼し、
お子さんの発達の可能性を引き出す。

そして、
お子さんの秀でた得意を活かす方法を
より多く掘り起こしたり
作り出したりすることが
私たちにできることです。

お子さんの苦手には
目を瞑ることも必要です。

でも、得意を生かしていくことで、
苦手がどんどん「できる」に
変わっていくんですよね✨

これがまた、
発達に心配のあるお子さんの
素晴らしい才能だと
私は思っています。


お子さんの才能を引き出すには、
発達障害の子育てや教え方を
私たち大人側が
学んでいく必要があります。

「にわか学び」をしていては、
お子さんの才能を引き出した子育ては
絶対にできません。

教えている大人の方が
心が折れてしまうはずです。

そうなると、
お子さんの発達の可能性が
どんどん小さくなってしまいます。


発達障害の子育てを学ぶ大切さ。

今、ここで悩んでいるママさんたちに
お届けしたいなと思っております。


ここから先は

32字
普段発行している無料のメルマガでは得られないおうち療育を文章でお伝えしていきます。 それぞれの記事に読者がコメントを書き込むことができますので、一緒にこのマガジンを育てていければ良いな、と思っています。 いただいたコメントへのお返事は極力返させていただきますし、必要に応じて記事にさせていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。

発達障害のあるお子さんに家庭でどのようにアプローチすればよいかをお伝えしていきます。 療育も大切ですが、ママやパパにとっては育児そのもの。…

最後までお読みいただきましてどうもありがとうございます。いただいたサポートは、発達障害の育児である「おうち療育」を広めるために活用させていただきます。