人生の終わりについて

今日はずっと死について考えていた。
いつかは死ぬのだからせめて悔いがないように生きたくて、ならば要らないものが残らないように終活すべきだなと考えていたのだけど、まあ溜まりに溜まった不要品が多くてゴミの分別が面倒で。
不要品こそが生きてきた軌跡ではあるのだろうけど、もっともっと身軽になりたくて捨てたいのに、そんなに自分のために手間をかけるのか?と思うとどうにも本末転倒な気がしてしまう。要らないんだよ、必要なもの以外は何も。
要らないものを捨てたいのだから一番不要なものは要らないものを増やす「私」に他ならないのだけど、折角生きようとするのに行き着く先が死というのはどういうことなのか。
やはり生と死はどう足掻いても表裏一体というわけなのだろうか。

面倒なので今日はゲームをしました。
ゲームは0と1で出来ており、不要なものは己の脳に呼び起こされる感情くらいなので大分エコ!
もし死後に0と1の記憶が引き継がれるなら、自分に投資するなら実は電子の愛が一番価値があるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?