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大家族の食事。こじんまり家族の食事。

私は一人っ子である。
そして祖父母とも一緒には暮らした経験はなく、いわゆる核家族の形態、19歳で一人暮らしをはじめるまで父と母と自分の3人家族の家庭環境のなか育った。
両親の家庭方針は『なるべく一緒に過ごし、その時間を大切に』だったので、良くも悪くも何かと距離感が近い親子関係であった。
そして我が家には暗黙の了解があった。
父の仕事や私の部活等でいないなどの避けられない理由がないかぎりは、3人全員そろわないと食事がはじまらないのだ。
見たいテレビがあるから後で1人で食べる、などの私的な理由は許されず、勉強の区切りが悪い時から終わったら、などという時は区切りがつくまで父と母が私を待っていた。
父はとてもおしゃべりで学校のことや友人のことを聞いてきたり、自分の仕入れた知識やうんちく、持論を披露し、母と私が聞き役にまわりながらも時折ツッコミをいれる。
お互いの話をちゃんと聞くために、食事中は決してテレビをつけない。
それが家族団らん、狭いアパートの部屋に年中だされているコタツ机に3人座って食事をするのが当たり前の風景だった。
なにもかもがこじんまり。
私にとってそれが『家族としての普通』であったし、疑問にも思わなかった。
そして好きな時間であった。


けれどもそんな『家族の普通』なんてものは、あくまでの私だけのものだった。


今の夫と付き合っていた頃。3回目か4回目かのデートをしていた時知って驚いたことがある。
当時、夫が長子で妹がいるということはすでに知っていた。
なんとなく家族の話になり、なんとなく妹さんはどんな人?と質問したら
「とにかくうるさい。よく喋る。兄弟のなかでも1.2を争うくらいやかましい」
と返事が返ってきた。
私はその時、ん?なんか変だぞ。とすぐに思った。
兄弟……たちって言わなかったか?妹がうるさい、なんて情報はどうでもいい。
「妹さんだけじゃないの兄弟って。何人ですか?」
「言ってなかったでしたっけ?俺いれて6人兄弟」
6人!?
衝撃的だった。しかも弟4人の妹1人。そりゃ妹さんも否が応でもよく喋るようになるだろう、と思ったものだ。
そんな衝撃から数か月後、夫と婚約した。
義理の実家には当時、ご両親と4人の兄妹とおばあちゃんの7人が住んでいた。
一緒には住んでいないが近所に住む弟家族6人。うち4人子供。
一人っ子で少人数の環境慣れの自分が、いきなり大家族の一員の仲間入りすることになったのだ。
不安な気持ちはもちろんあったが、夫は一緒にいて気が楽になれるいい人だし、恋愛というものに疎い人生を歩んできた自分にとって、これを逃したら次の機会は来ないと確信していたので、不確定要素ではなかった。
同居ではなかったのが、一番の理由だが。
私は家族の顔合わせの時にはじめて義父と義母とお会いした。結婚の了承を得る挨拶は省略されていた。両実家が遠方であり、義実家が忙しかったからだ。
この時も、両家の親と結婚する2人しかその場にはいなかったため夫の兄弟たちと会わなかった。

結婚の了承を得る挨拶がすっ飛ばされたのには訳がある。
偶然は重なるもので、義実家では長男(夫のこと)・次男・長女の結婚がたて続きに決まりバタバタしていたのだ。加えて下から2番目の弟が受験生。スケジュール管理が大変だったのだ。
その年の2月に次男が籍をいれ3月には長女、4月には長男が籍をいれて長女が結婚式。5月は長男の結婚式。なかなかハードスケジュールである。
私もそれを聞いた時は、自分たちのことでなるべく手を煩わせないようにしなければ……と思ったのを今でも覚えている。
そんななか、長女、つまり夫の妹が式をあげて早々に渡米することが決まった。
これは是が非でも夫の妹の結婚式と披露宴には参加せねば。
そう決心し、参列した後、義実家にお邪魔させてもらった時にある光景に衝撃をうけたのだった。

義実家にお邪魔せてもらったのはこの時がはじめてではなかった。
両家の顔合わせの時や、式の打ち合わせの時など2、3回すでに家にあがらせてもらったいた。
けれどもその時は、あくまで“お客さん”という立場であったのだ。
妹の式が終わった時点では、籍をすでにいれていて“嫁”の立場になっていた。
式が終わり、義実家のメンバーが疲れた~~と座るなか義母が皆の飲み物を用意しようとしているのが目にはいり「手伝います」と、はじめて義実家にキッチンに足を踏み入れた時にそれは、マンガの集中線の効果のごとく目にはいってきた。

キッチン隅の床にドーンと、並べてある2つの炊飯器が。

なんで2つもあるの?しかも大きい……

ほんの少し固まってしまった私の様子に気がついた義母は「どうしたの?」と声をかけた。
「あ、いや、炊飯器おおきいなぁと思いまして……」
「えっ?あぁ人数が多いからねぇ」
かわいらしく軽く笑った義母に、いやいやいや……と心のなかでツッコミをいれた。
後から知ったのだが、炊飯器は1升炊きと5合炊きだった。
一般家庭に必要なの?と思ったが、9人家族だった頃は食い盛りの男どもがいる時。いつもフル稼働。そうなるわな……と納得。
ちょっと考えればすぐ分かりそうなものなのに。
今はそう思えるのだが、想像するのと実際に目の当たりにするのでは、かなり違いがあるのだというとことを、この時改めて実感したのである。
ちなみに新居で、わたしにとっては見慣れた馴染みのある3合炊きの炊飯器を見た夫は「ちっちゃ……!!」と言っていた。

衝撃はまだあった。
妹の結婚式後であったので、リビングルームには人でごった返していた。
ご両親と長男家族(自分たちのこと)2人、次男家族2人、妹家族2人、3男家族6人、4男、5男、おばあちゃん。
計17人。
息苦しい。
今のご時世では考えられないほど、密である。
そして思い思いに喋る。子供たちは遊んでいたと思ったら、喧嘩する、そして怒る親。そんな周りにおかまいなくテレビを見る者。
家庭の、リビングの空間が、視界も聴覚も空気感も忙しくて、私は酔った。
人混みで気持ち悪くなった経験は過去にもあった。
静岡の自然あふれる田舎からでてきた10代の頃の新宿駅と結婚直前に行ったなんば駅で。
けれど1家族の1つの空間で酔うとは想像だにしなかった。
慣れるのだろうか、いや慣れるのが怖い……。そう思ったのだった。

怖くても、慣れるというより慣れなければならない機会が訪れた。
お盆である。
日本での親戚一同が集まる行事であり文化。
夫の務めている会社は、しっかりと休みを確保されていて、お盆はまるまる1週間休みである。
職種柄、お盆休みなんてものは経験したことのなかった私は何をしたらいいのか戸惑った。
「実家に行こう」
夫は何も考えていない表情でそう言った。
別居とはいえ、義実家には車で1時間半ほどの距離に住んでいたし、結婚したばかり。
行かない理由はない。
嫌じゃないんだ。とってもいい人達だし。
ただ、あの空間というか雰囲気が慣れなくて、頭がぐるぐるして気持ち悪くなってしまうから。
そんな思いを夫にぶつける……なんてことはしなかった。
まだ新婚3か月でお互いに手探り状態。若干、猫をかぶっていた時期でもあったのだ。

結局、義実家に行くことになった。外ではセミが元気に鳴き不快度数が高まる昼過ぎに到着した。
夫は自分の実家ということで、新居とは違うだらけた雰囲気で早々にマッサージチェアを堪能する。
その様子になんだか腹立たしく、チッと心のなかで舌打ちをした。
着いた当初はよかったものの、妹の結婚式後とまでいかないが、夕飯の時間が近づくにつれ人が増え最終的には11人がリビングルームに集まった。
部屋が暑い。
エアコンついてないのかな、と思うほどの熱気を感じた。
エアコンはきっちり24度に設定されており、ブォォォとフル稼働していた。
夕飯の準備のお手伝いが大変だった。
人数が人数なので、大皿にメイン、サラダ……と盛っていく。
皿が大きい。普段使いの皿なのこれ?といったものが食器棚に何枚も収納されていた。
運ぶ時の重さにも驚いた。落とさないように……と小さな子供のようにそろそろ歩く。
取り皿も11人数分。数えているとどこまで数えたか分からなくなって、何回も確認をした。
ご飯を盛るのも大変だった。なにぶん炊飯器が大きいので、しゃもじ全体がご飯のなかに埋まりそうになる。
そうならないように腕を振り上げる。力加減もよく分からなかったし、炊き立てなので熱い。
箸は箸たてにあるものから適当にとる。これまた実家ではない光景だった。
調理したわけではなく、お手伝い程度でたいしたことをしていないのにもかかわらず疲れてしまっていた。

そしてまた衝撃的なことが起こる。
テーブルのうえに食事が並び、さぁ食べようという時に気がついた。
……義父がいない!!
別の部屋にいるのかと思いきや、まさかの留守。
えっ、これから食事なのにどうするんだろう……。食べ物冷めちゃうじゃん……。
家庭における食事は全員で。
そのように思い込んでいた私は内心、慌てたのだが、周りを見渡せば皆気にしたそぶりもなく、座る。
「んじゃ、冷めないうちに食べちゃいましょう!」
義母の音頭に、いただきます~!と一斉に食べはじめる夫をはじめとした親族一同。
えぇぇぇぇぇ……。
信じられない光景が目の前に広がっていた。
大皿に盛られた食べ物は、私からすれば怖ろしい勢いでなくなっていく。
皆、食べることへの集中力が半端なかった。

調理には貢献できなかったので、せめて食器洗いはしなくては、とスポンジと洗剤を手にとったのだが、まぁ、あとからあとから追加される食器類!!
あれ、こんなに重労働だったっけ?と思えるほどだった。

「食事、すごかったね……」
義実家からの家へ帰る道のり、私は夫に言った。日帰りにしては疲労感が半端なく、体が重かった。
食事風景が自分にとって慣れなくて、すごい印象を受けた。の意だったのだが、説明不足の私の言葉に夫はただ「普段はあんな豪華じゃないよ?」と献立内容について返答した。
その時、ただ「あぁ、こういうのを乗り越えたり、折り合いをつけていかないといけないのが結婚ってもんなのかも……」と疲れた頭で考えたのをよく覚えている。

結婚7年目となった今、私は夫と娘の3人家族。
今の我が家に食事に関する決まり事はこれといってない。
基本は3人全員で集まって食べるけれど、夫が出勤の時は、私と娘の2人で早々に夕飯をとる。
娘命の夫は、私が頼んでもいないのに娘と2人で外食してきたりする。(ホウレンソウは必須だが)
義実家の在りようも変わった。今は大きな家に2人しか住んでいない。このご時世なので、集まりたくても集まれない。
形は変化していくものなのだ。
でも変わらない、という変えたくないものもある。
大好きな家族と食事の時間をもつことだ。
たまには1人なりたい時もある。
食べ遊びをしたり、嫌いな野菜を吐き出したりする娘に怒るだけで終わる食事の時間もある。
けれど、体だけではなくて人格を形成するうえでも親しい誰かと食事をすることは大事なんじゃないかなと思う。
人数が多ければいいってものではないし、絶対的な決まり事は必要ないかもしれない。
それでも、分かち合えるって素晴らしいことではないか。
大家族でも。こんじまり家族でも。
今はそう感じている。










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