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食べる意欲は次世代につながる

食べることが好きだ。
どんな状況でも食べる意欲はほとんど衰えない。

好きなゲームに熱中していても、食事はキチンと3食とる。
過去にインフルエンザや胃腸風邪になって体が固形物を受けつけない時も、「元気になったら何食べようかな……」と考えていたものだ。

極めつけは、陣痛がきている最中にお昼ご飯が運ばれてきたのだが、痛みに耐えながら完食したことだ。 
痛みの波がきている時は、行儀が悪いが箸をテーブルに突き立てて我慢し、痛みの波が引くと同時にはぁはぁと息切れをしながら懸命に箸を動かした。
出産してから数年たつので痛み自体はとっくに忘れているが、私はとにかく腰が痛かった。
どのくらい痛かったというと、炉で限界まで熱したハンマーをお相撲さんとか普段から体を常に鍛えている筋肉隆々の男の人に勢いよく腰に振り落とされている。それもガンガンガン!と何発も。そんなイメージ。
その痛みが5~6分間隔きているなか、食べた。 
出産した病院では陣痛室と分娩室が別々になっていた。
陣痛室とはその名のとおり子宮口が10センチ、つまり赤ちゃんを産める準備が整うまで痛みに耐える部屋だ。
私は自宅にいる時に陣痛がきたのだが、病院についたら何故か遠のいてしまって1晩陣痛室で様子を見ることになった。
部屋はカーテンで仕切るようにしてベッドが5つあった。私がお腹を抱えながら部屋にはいった時には先客の妊婦さんがいて、まさに激しい陣痛の痛みと戦っている最中だった。
ベッド同士は離れていたが、カーテンで仕切られていただけなので、声は丸聞こえである。
「痛い、痛い」やら「もうヤダ……やめたい……」とこっちまでテンションが下がってしまう声が嫌でも耳にはいってきていると、助産師さんの声がふと聞こえてきた。
「ご飯食べた?」と。
妊婦さんはか細いながらも必死さを感じる声で「食べれません……痛くて!!」と訴えたのだが、助産師さんは
「少しでも食べないと体力が減る一方だから、いざという時力めないし産めないよ!無理してでも食べて!!」
とピシャッと言い切ったのだ。
その助産師さんの言葉を聞いた時、なるほど!と私は今思えば奇妙なほどに納得した。
それはもうNHKのガッテン!よろしく、手のひらにこぶしをのせた。 
何冊か出産に関する本は読んでいたが、そんなことはどれにも書いてなかった。現場の声は違うなぁと軽い痛みを感じながら思ったのだ。
そして本格的な陣痛がきても「食べるぞ!」とういう謎の使命感にかられ、完食したのである。
食べ終わった後に様子を見に来てくれた助産師さんは「すごい!」と言って拍手してくれた。
ちなみに約7時間の分娩に耐えて無事に出産した後の夕飯も完食した。
痛みに耐えるというのは体力を本当に奪うもので、腕を動かすのも億劫、箸がダンベルのように重く感じるのに、だ。
これまた助産師さんから拍手をいただいた。
昼ご飯の時と夕飯の時に拍手してくれた助産師さんは別人である。
完食したことに悔いはないけれど、少し恥ずかしくなったのを覚えている。
出産後に知ったのだが、出産は個人差はあれ富士山登山並に体力を使うのだとか。


と、まぁ食べる関心・意欲がそれなりに高いので、食に関する個人的なおもしろネタはワッサワッサと豊富にある。
栄養士さんとかみたく特別な知識があるわけでも、きれいに盛り付けられた料理の写真をアップできるような腕もないのだけれど、これからnoteに食に関する文章を載せていきたいなぁと思っている。


ここまで読んでくださった皆様に感謝を。

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