【香港・アンドリュー・ディバイジング】
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今日から6日間、香港の演出家アンドリューのディバイジングW Sが始まった。演出家協会の事業なので、もしかしたら俳優で参加してるぼくは珍しいのかもしれない。まあいい。俳優だって自己演出家だ。日記のようにあったことや感じたことを記していく。これはリロの時も3週間の途中でメモをしだしたが、自分がW Sやるときや演出するときに役立つメモだったものだから今回もメモとして記録しておこう。きっとどこかで役に立つ。体験記というのが一番強い。これは事実だ。
芸能花伝舎には久しぶりに行ったな。喫煙所とか建物の外っ側にいろんな人がいるのを見て「ああ、こうして知らない人たちがいろんな芝居の稽古をしてるんだなあ」なんかいいなあ、こうした姿を目にするだけでちょっと気が張っていくから面白い。部屋に1人でいるだけじゃあどんどん気が滅入るし単純に元気がなくなっていく。人間は誰かと喋ってたり誰かに見られていないとフニャける生き物なのだろう。実際にこうして文章を書くエネルギーになっていること自体が何だか素晴らしいことのように思える。そのくらい最近の自分はフニャけきっていた。モチベーションを落とさずに続けることは本当に難しいことだ。
会場には早めに着いたけど、初日ということもあってスタッフの人たちもバタバタしてたし、参加者の集合もギリギリの人が多くて、緊張感のあるスタートだった。おまけに今企画は香港と京都と東京の3ヶ所をオンラインで繋いで行なうものなので、何かと機材的に面倒が多いのだろう。大変だなあと眺めていた。あと、緊張をほぐすためだろうがある1人の参加者に無闇に話しかけられたりしたが、あくまで自分のペースで対応した。興味ない話や返したくない会話は無理に拡げたりしない。無愛想とか思われても別にいいやと思って無闇矢鱈に情報を外に出さないように振る舞った。緊張するなら緊張するでいいと思って。物事には順番というのが必ずある。色々すっ飛ばして慌てることの方が損だ。これは普段ならもっと相手本位に合わせてサービスしたがりな傾向のある自分だが今日はちょっと居方を変えてみたというわけだ。これはもう、まさに今読んでる『嫌われた監督』の影響モロすぎて、俺ってなんて素直なんだろうともはや呆れる。俺の中には落合博満が必ずどこかにいる。
WSはまずスタッフ陣の紹介から始まった。意外だったのは一番愛想や空気を気遣っていた子が実は通訳だったことだ。イン・リーさんだったかな?また明日名前確認しよう。日本語ペラペラすぎて全く通訳さんだとわからなかった。でその後アンドリューの話。本題に入る前にゲームをした。これがどう書けばいいかな。
「ジョンと挨拶をします」
こんな導入だったと思う。ダイヤモンドがあって、南アフリカがどうとか言ってたな。よくわからん。
① 隣の人と「目を合わせて」「微笑んで」「握手します」「名乗ります」この辺はあなたへ伝わらなくてもいいのでぼくにとってのメモにします。まず普通の握手。で自分の名前を相手に伝える。
② 右肘を左手で掴んで「目を合わせて」「微笑んで」「握手」「繋いだ手をあげて握りかえて」「名乗る」だったかな?
③ 次は名乗らないやつ。「握手」「その手を自分の胸に入れて(つけて)」「その手を頭上にあげて」「指パッチン」これは一連がめちゃ早くてよい。これは「名乗らない」。
3が一番気楽でやりやすかったな。3番目にやったからってのもあるけど、多分名前を言わなくていいからだとも思う。名乗るって疲れるよね。でこの握手ゲームで場の空気は大分まろやかになった。アンドリューはこれを中学生とか小さい子ども対象のW Sとかで必ずやるらしい。だから俺もパクろう。
その後アンドリューがどういう芝居作ってるかとか、ポストモダン演劇についてとか、その歴史とか、宿題だった『カフカの七つの箱』の感想をチームでディベートして発表するとか。この辺はアンドリューとコミュニケーションができれば質問の内容はなんでもいいのかなと思った。初日だからね。もういっこの自分じゃない方のチームに1人クセの強いおじさんがいて、ああ厄介だなあと激しく思った。でもこれも握手の段階で「ん?」と思ってたし、講義のときにずっと何かをメモしてて、チラッと覗いたけど字が薄くて乱雑すぎて「なんだこの人?」と思うやいなや割とみんなが聴き取れるレベルで「つかれた〜」とかひとりごちてる人なのでずっとやべえなあと思っていた。どうやら去年も参加してた人らしい。いるよなあ、こういう人、どこにでも。質問の質もまあ悪くて、人の話もちゃんと聴けてない感じが多々あって、まあ初日だからなのかなあ、どうかなあ。でも同じチームじゃなくてよかったと思った。去年の大阪の地獄合宿W Sを少し思い出した。どんな人であれ頭ごなしに否定はできない。でも時間の無駄だよお前のその話、っていう場合に汚れ役を買ってでも厳しいことを言わなくちゃならない場面はきっとある。でも人への対処の仕方なんて十人十色だから必勝法もないんだけどね。今思えば一番ギリギリ、なんならちょい遅刻してきたのもこの人だった。ですぐ席に着きゃいいのにおかしな挙動をカバンを目の前にずっとしてて、なんのことはない最初から変だったこの人は笑。
その後今回のテーマである三島由紀夫に関するディベート、明日以降のプログラムの説明など少しして本日は終了。同じ班の「おきのさん」「みわさん」とあれこれ話して21:45くらいに解散。人と会話する、しかも芝居のことに関して、だったから初対面だけど楽しくお喋りできた気がする。この2人はすごくよさそうな人たちだった。会話が弾む瞬間もあれば、ある話題が別の話題を引っ張ってきて枝葉がどんどん拡がるような時間。やっぱ対面で人と話すのは楽しいことだ。まあしかしダラダラ楽しくお喋りしてるばかりでもいけないので、ここで明日からの、まあ要点としては「仮面の告白」の中で扱うテーマを決めるために、作中で自分が惹かれた或いはひっかかった文章やワードなどをピックアップして持ち寄りましょうということになった。実際に話してる内容で覚えているのは、三島はインテリでとっつきにくいけど実は人間臭いんじゃないかとか、仮面、マスク、化粧、衣装、って此の小説に限らず普段みんなしてるよね。嘘をつくとか、話を盛るとか、いいカッコするとか、みんなしてるよね。仮面をかぶる、演技する、というのもみんなしてるよね。それって人類の共通項なんじゃないかとか。小学校の国語の時間ってなんで同じ小説を1週間もかけて読むんだろうとか、段落に丸つけたあれってなんにも意味なかったよねとか、長渕剛と三島由紀夫って似てるなあとか。そんなようなことを話したかな。
ほんとは今日やるはずだった各々のパフォーマンス発表は明日に持ち越しになった。でその順番をクジで引いて決めた。俺は3番だったが、1番を引いた子が代わってほしいというので変わってあげた。そんなに1番が嫌なのかな?単なる自己紹介としてのパフォーマンスだと思うんだけど。俺も1番がいいとは特に思わないが、そこまで嫌でもないので申し出に答えた流れだ。しかしなんであの子はピンポイントで俺に代わってくれと懇願してきたんだろう?謎だ。真っ先にやりたそうな人物に見えたのだろうか。他人の目線はわからない。
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二日目。ゲームから入る。これがシンプルで面白かったのでぜひパクろうと思う。昨日の初日は2人で向かい合って挨拶するゲームだったけど、今日は2人で向かい合って数字を言う。それだけ。
2人で向かい合って目を見る。両手は楽にダランと下げた状態にする。交互に1、2、3を言っていく。123だけを繰り返す。これがレベル1。
レベル2もシンプル。今度は1の時に数字を言わず「両肩を上げる」、あとは同じ。
レベル3は1の時「両肩上げる」2の時「両手をクラップする」、あとは同じ。
レベル4は1の時「両方上げる」2の時「両手をクラップする」3の時「ジャンプする」
以上。集中していないとできないし、繰り返していくと気が狂いそうになるところが面白いシンプルなゲームだ。相手を見て感じていないとスムーズにはできない。頭で考えてやってるとすぐ失敗する。よくできたウォーミングアップだと思う。
その後アンドリューの2010年だかの作品を鑑賞してディベート、質問する時間。上演自体は1時間くらい。台詞のない劇で、ポストモダン劇であった。観る人によって解釈が違って感想もさまざま、そしてそれで良いものだった。『空観』に似ているところが多々あった。空観もポストモダン演劇だったんだな。台詞がないことが豊かにしている部分が相当あって、そのためには俳優の身体や表現が明確になくてはダメで、僕が気になったのはスローな動きがあるいはスローに見えるような動きがたくさんあることだった。そう言う流れでもなかったので質問はしなかったが、この動きのスロー感がこの劇の肝であるように感じた。触れるとか離れるとかその辺が実に丁寧にフォーカスされているからこそ、関係性の変化や状態の移り変わりが明確に伝わってくる。空観の時もスローモーション縛りでの小作品を作ったりしたもんな。静と動。そのメリハリ。非常に訓練された俳優たちだと思う。お話の筋書きとかそうなった理由とかはどうでもよくて僕はそうした俳優のフィジカルな工夫がたくさんあるのが素晴らしいと思った。
その後は個人のパフォーマンス披露して、三島由紀夫の人形つくってイメージをそれに貼って外部から見た三島のイメージを外側に貼って終了。明日はチームでプレゼンだ。なんとか大きなテーマを見つけ出したい。パフォーマンスはなんか変な空気で気持ち悪かったな。それを見ている人がうんうん頷いたりちょっとしたことで笑うのが苦手というか。もっとじーっと観てたりなんなら殺伐としてる空気の方がいいのになと思う。これによって印象が変わった人というのは特にいなかったかな。俺がどう思われたかは全くわからないけど。内容的には「下宿屋」の独白を5分くらいやったんだけど、もっと大胆に混乱したり崩したりしてよかったのかもしれないという反省?みたいなものはある。そもそもの個人的な目標としての、普段の呼吸で喋る、ことはできたし、目の前を無視せずに感じることまではできたけど、その結果中途半端なもの、強弱のないもの、になってしまったかもしれない。リードしていく推進力はもっと強く持ってやれたのかなあ。周りを感じすぎると主張が減る。これは往々にしてあることで、気をつけなきゃいけないポイントだったりする。なんにしても、空間と自分の芝居のチャンネルを瞬時に合わせるのはとても難しい。それも一発勝負の場合特に。他の人のやつは全部素直に拝見した。客いじりみたいなことをしてきた参加者がいたが全く乗る気分にならなかったので無言で無表情でじーっと見ていた。そういう無反応な客に対する反応のバリエーションもあったほうが良かろうと思って。でも個人パフォーマンスで終始客いじりはどうなのかなとも思う。不確定な要素が増えまくるし自分で自分の首絞めてることにならないか。自信があるからやったのかもしれないけど実際は終始お粗末だった。他には独白やったりダンスしたり、独白とダンスを組み合わせたり、してたかな、大体の人は。ただ何喋ってるか全然聴き取れないのが多かったな。単純に滑舌が悪いというのもあれば、目の前の見物やカメラの向こうの京都や香港の人に語りかけていない感じ。台詞が甘いからか、要因はわからないがなに言ってるかわからないのは僕はストレスなんだよな、とにかく。たとえ一言一句は聴き取れなくてもその文章の意味やその単語に対する重みとか、そういうものは大事にすべきだ。そしていくらでもイメージは持てる。そのくらい強い何かの意思とともに発語ができれば観てる人は勝手に何かを感じる。ただただ弱いのは、うーん、僕はあんまり観る気にならないかな。あと、たとえわからなくても(大概のことは分かりえないはずだが)、なにかとってもすごいものが観たいというのは見物としては、ある。その人の汁が出てるような、その人だけのすごいものが。
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今日はプレゼン日。まずはゲームから。まず会場のどこかに立って周りにあるものを見渡し何があるのか囁く。コード。モニター。カメラ。カーテン。蛍光灯。マジックペン。机。とか。その後二人組になって片方は古代人、もう片方は現代人として、古代人は周りにあるものにとても好奇心があり「これはなんですか?」「これはカメラです」「カメラってなんですか?」「レンズを通してあなたの姿を遠くに写します」「レンズってなんですか?」とかなんとか、とにかく現代人は優しく丁寧に古代人に教えてあげる、というやつ。ある程度やったらアンドリューの合図で立場を交換して再度スタート。結構どちらの立場も面白かった。何かを質問する、何かを伝える、リアクションで次のアクションが生まれる、というのが人によって対処の仕方が違うのも面白いのかもしれない。最初はこんな導入だったかな。「あなたはハンターです、森に入っていきました、大きな皿があって、もともとあった木々がなくなっています、梯子がありました、登っていくと、なんかいつの間にか違う世界にいるみたいです」みたいな。要は違う時代にきましたよということで、この骨組みを中国の民話かなにかを引用して語っていたのだろう、多分。で、このゲームに引っ掛けてアンドリューはブレヒトの芝居観を論じていた。自分の脳みそが自分の頭にあって、身体の外に役の脳みそがあって、みたいな説明だった。さらに教育の場なんかでは3つ脳みそを使うみたいなことも言ってたな。自分と役とそれらを俯瞰してる視点みたいなことだと思う。みたいなこと〜という表現を連発してるのは、多分通訳の方のボキャブラリーや訳し方の問題だと思うんだけど、日本語の文章としていまいちダイレクトに伝わってこない表現が多いからだ。でもそれは仕方がないことだとも思うし、いちいち質問していたら時間がいくらあっても足りないので、自分的に補正してコミュニケーションを取るしかない。それは自分で咀嚼しろよ、だいたいわかるだろう、みたいなこともいちいち引っかかって質問する参加者がどこにでもいるがもっと自分の頭で考えたらいいのになといつも思う。対面ならまだわかるけど、これはzoomでのオンラインでやりとりしていくWSなのだし、なんだか語るに落ちることすら質問する人が結構いるのが少々残念だ。まあそんな時にも僕はじっと黙ってるし、彼らには何も言わないけどね。例えば伝達に齟齬があって、それの自分なりの解釈が間違っていたとしても別にいいじゃないかよと思うのだ。その解釈でこう意見してみたとかこういう芝居をしてみた、でまたフィードバックしたら済むし、修正できるってだけの話だからね。そっちの方がむしろ早くて建設的だし、相互の理解も進むはずだろう。まあいいか。
プレゼンは私たち「仮面の告白」チームが一番目だった。このタイトル自体でもあるように対立や矛盾をキーワードに3人それぞれの気になった箇所やちょっとした分析をピックアップして、即席で作ったフリップを使いながらプレゼンしてみた。枠組み全体はチームで共有できていたので、そこそこ論旨が整理された発表になったかもしれない。でも三島由紀夫という存在は実に底知れぬ作家で、分析や考察を重ねるほど訳がわからなくなっていくという、なんというか強烈な人だ。そんな印象をここ数日で持つに至った。そりゃ研究者や論考が膨大にあるわけだ。まあ僕らはお勉強の専門家ではないので、その深みを使ってなんか演劇に繋げられたらいい。しかしこの深みは結構厄介だな、とプレゼンの準備やプレゼン自体を経て感じているのが正直なところだ。
さて、明日は作品の中で3シーンをセレクトするところから始める。ここまでの3日で読んだり考えたりした上で、なので幾分選びやすいが、ここから本格的なディバイジングの実践に入る感じだ。どうなるか。少しずつ前進している感覚はある。こういう創作はやっぱり楽しいよね。そして順番ってとても大事だ。読む、分析する、言語化する、まとめる、意見を交わす。その先に共同創作がある。そのための土台を作った前半戦という感じ。
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Zoomの回線チェック、マイクのチェック、諸々3箇所同時開催のためのテクニカルは実に大変だ。毎日それに最善を尽くしてくれている演出家協会の委員の皆さんや通訳のインディーはほんとすごいと思う。で今日は開始直前になってもうまく回線が繋がらず、前日に決めた会場のみでその会場の担当者がリードするウォーミングアップを。もっとも個性的(だと僕は思う)たくろうさんが仕切ってくれたんだけど、ウォーミングアップだっちゅーのにスタチュー(身体で彫刻を作るエクササイズ)を提案してきてなかなか面食らった。五分しかないのに、ルール説明とか誘導の仕方も雑で逆に面白かった?かな。多分素人なんだろう。やってみたかったのかな。でも挙手して僕やりますって言ってたからなあ。まあまあ謎な人である。全くウォーミングアップにはなってなかったと俺は思う。まあいいんだけど。で今日は「仮面の告白」の3シーンをセレクトしてそれをまず静止画としてチームで作る、をやり、その後それらを繋げて芝居にするという、ここへきてようやく演劇らしいことが始まった。楽しかったな。率直に。コミュニケーションを取りながら、しかしこういうのは往々にして時間がないのでまず身体を使って始めてみるという原則に則って割とスムーズに創作できたかな。稽古してる最中に予測不能な面白がやってきたりとかもして、ああいう瞬間すげー楽しいのな。例えば1人がセバスチャンを刺す矢になってたんだけど、ある流れでセバスチャンを向いてたその矢が私の方に向いていったら面白いよね、みたいなのはやりながら、じゃないと絶対生まれない発想だし、身体を動かしながら展開やつながりを考えているから、この射精が雪に変わってさ、みたいなトンデモが演劇なら美しく変化したりするんだね。ちょっとおもしろに走っちゃったりもしたけど、それはアンドリューにも指摘されたし、まあよい、なかなか充実した時間だった。その後、アンドリューの劇団のディバイジング動画を観た。まずは俳優が1人でテキストを作りそれを元に演じた動画を観て、その後実際の上演物を観るという。これが全然最初の創作から見た目は跡形もない作品になっているのが面白く、しかし当事者にとってはこれがあるからこれになったというのも微妙にわかるというか。
その後、三島由紀夫に関して浮かんだ単語やセリフをいくつかメモに書き、全員のを並べてその中から数個選び、その選んだものを元に三島への手紙というかポエムというかメッセージというか、そういうものを書いた。でそれを発表。明日はその自分が書いたテキストを動きで表現する発表をするらしい。ちなみに俺が選んだメモは「偽」と「独」で、書いたテキストはこんな感じになった。
「偽の言葉、偽の行動、偽の気持ち、独りになりたくないなら必要だよなあ。独りはつまらない」
という非常に短いポエムである。大体の人は五個くらいメモをセレクトしていて、テキストもめちゃくちゃ長かった。そして大半の人の発表を聞いても内容は頭に入ってこなかった。多分個人的な思いとか価値観が相当入っているから、聴き馴染みにくいのであろうけどね。俺は逆に短すぎてしかも抽象的な文章にしてしまったので、これをどう動き。身体表現にするのか帰ってきて今考えているところだ。
あと今日は昼間スズナリで『徒花に水やり』を観てきた。面白かったが、ずっと考察しているのは「なぜ作演の人は芝居が上手いのか?」という問題についてだ。今の所の小結論としては、真剣に人の芝居を観ている回数がとにかくめちゃくちゃ多いから、じゃないだろうか。ということだ。自分の作品としてはここの芝居はこうしたい、しかしこの俳優はこうしている、ならばどうするのがいいのか、とか、この俳優はこういう意識を持ってやってるからここの表現はこうなるんだとか、わからんけど俳優の身体をすごく観てるから、その分視野が広くなるし、視点も多いんじゃないかな。演出家が一番その芝居の変遷を稽古始まりから千秋楽まで見てるからね。劇団だったら、一本の作品のみならず何年にもわたってその俳優の歴史すらも目の当たりにしているだろうし。土田さんも千葉さんも桑原さんも岩松さんも大ベテランだもんなあ。ただイチャモンつけるならあんまり台詞(発語)はうまくないなと思った。要するに言葉に負けてるね。セリフ自体が抜群に面白いし、すでに出演者のキャラクターがお客さんに認知されているホームグラウンド感?と言ってもいい空気の中だから笑いもバンバン起きてる芝居だけど、なんかちょっとあぐらかいてねえかとは思った。発語が甘いし、口先でやってる感じは多々あって、その中で桑原さんは安定して強くていいなとも。まあ、あの人kakutaでも毎回演出しながら出てるしな。俳優慣れしてるってことなのかも。役もすげえ合ってるしね。下品な言葉とか捲し立てるのとか十八番だもんな。だからまとめると、面白かったけど、やっぱりみなさん劇作、演出の人たちですねという想いを強くしたのであった。なんにしてもこういう企画はおもしろいよな。満席のスズナリ、ベンチシートでの観劇、演劇観てるぜえと思った。
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今日だけ朝10時から14時という変則時間帯の日。しかしだんだんと着実に冬の寒さがやってきているな。寒い。花伝舎のオープンが10時からなので、場所が開いてからネット回線などのテクニカルに入るため、今日も会場ごとにウォーミングアップ。今日はあきえさんという方がリードしてのアップ。この人も何を思ったのか、ミラーゲームを提案してきた。いやだからウォーミングアップだよ?もっと簡単に身体と心があったまるような単純なゲームにした方がいいんじゃないの?と思いながらミラーゲームをやってみた。どう考えてもその日最初にやるメニューじゃねえ笑。この人も素人なのかも知れないな。全然いいけど。その後、宿題でもある自分で書いたテキストを身体表現にしてみた、の発表。いろいろ個性的で面白かったが、みんな長すぎねえ?と思った。でもそうか、みんなテキスト本文が長いから発表も長くなるのか!で、アンドリューの講評の後、2人組か3人組になって、今やったパフォーマンスをミックスして発表というのだった。これはブラッシュアップに最適だなあと思った。5分打ち合わせて2分の作品にしてってことだったけど、このくらい短時間に制限されるとパッパと決めてかなきゃいけなくなるからむしろやりやすい。制限時間や〆切てほんと大事よね。俺の組は3人だったけど、スムーズにミックスできたと思う。で、今日はこれで終わり。明日は最終日で一つの作品発表になる。どうなるか、まあ楽しみだ。
夜は時間ができたのでシネリーブル池袋でN T L『ジェーン・エア』を観てきた。とてもとても面白かった。なんと偶然にも今やってるディバイジングで創作されたものらしい。というのが観ていても確かに感じる演劇だった。だから普通に観るのよりも、より楽しめたはずだ。ガッツリ喋っているだけのシーンというのもあるにはあるけど、俳優の身体が常に何かを表現していたり演出効果をもたらしていたりするのがとても良かった。効果的だった。これは演出だけではなく、演出ももちろん見事なのだが、何しろ俳優がきちんとその瞬間に何をすべきか身体でわかっているからこその作品だった。俳優とは自己演出に長けてなければいけない存在である。
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最終日。今日だけ違う会場。ファンファーレ荻窪?だったかな?まだ公には貸し出してない所らしく、見たまんま書くと、倉庫の奥に入っていくと金剛力士のバカでかい木像が2体あってその横にある業務用エレベーターに乗って4階に行くと広―い空間がある、そんな会場だった。今日もネット回線の合わせや調整はやはり大変そうだった。本日も会場ごとにウォーミングアップしてからのスタート。東京会場は、もう昨日一昨日のような感じは嫌だと思ったので、ミワさんになるように仕向けてみた。彼女は見えない架空のボールをパスしましょうという、非常にいい感じの提案をしてくれた。発表とかでもちょいちょい思うけど、この人結構センスがいいのよな。妙な集中力があって地頭もいいというか。おかげで今日は楽しく場も温まったと思う。で、その後、今日の最終発表の前に、アンドリューがおそらく好きな、ブレヒトの練習から。
A dog came in the kitchen
「この犬、キッチンに入ってきた
卵を盗んで、料理人に殺された
料理人は包丁を振り落として
犬をバラバラにした
他の犬が入ってきて
墓を掘ってあげた
墓石を建てた
その墓石に、こう書いてあった」
というテキストをまず普通に読んで、次に「農民・牧師・修道女・神父・料理人・乞食・囚人・娼婦・教師・ラジオパーソナリティ・男の子/女の子・小ブルジョア・商人・警察・ドライバー・兵士・軍官・労働者・メイド・裁判官・弁護士・医者・看護士・科学者・知識人・パン職人・お年寄り・泥棒・ボス・金持ち・貧乏人」の内から2つ選び、それぞれの人物としてこのテキストを喋る、というエクササイズだ。これ、面白かったな。なんていうか、極めようがないし、そのステータスの人間を自分がどう批評しているか、またはその批評を演技にどう反映させるか、単純に芝居がうまいか下手かも一目瞭然だけど、それ以上に、どういう仕草や行動があればその人に見えるのかという意味では、他人のを観ている時間もとても豊かだった。僕は周りに結構自分はブレヒト的な俳優だと言うことがあるが、これはもっともっと突き詰めなくてはならないな。要するに同じセリフを喋っていても職業や人物設定が変わるとまるで違うことになるイリュージョンを俳優は起こせなくてはならないんだ。それは頭でっかちでお勉強だけやってりゃできることではなく、やっぱり身体を動かしてなんぼなんだよね、ということが痛感させられるエクササイズだった。またやりたいな、これは。例えば僕はまず「泥棒」をやろうと思ってたんだけど、たまたま前の人がやっちゃったから泥棒はやんなかったんだけどね、その人は泥棒が何かを盗んで逃げるって行動をしてたけど、僕がやろうと目論んでたのは全然違くて部屋に侵入する時間をメインにやろうと思ってたのさ。だから同じ職業やったって切り取るところは千差万別だろうし、全員同じ職業での発表しても面白いかも知れないよね。人数にもよるけど。あとはどういう動きの強弱が作れるか。テキストを発語する際にどう反映させられるか。やってみると、当然ながら自分がイメージできてない動きは実際にもできない。だからこういうトレーニングを普段から意識づけておけば、自然と周りに対する観察眼が養われる可能性もある。んで芝居することで自分がその職業の人をどう見ているか、どう評価しているか、どう特徴づけられるかが、まんま見えてくる。ある意味恐ろしいエクササイズとも言えるが、うまく伝播すれば楽しい稽古になることだろう。
で、その後、発表に向けてのリハーサル。と言っても前日まで何か明確なサジェスチョンがあったわけでもないし、今まで発表したものを切り貼り、コラージュしていくくらいなのかな?と思っていたら全然違った。普通に上演できる新作ものをアンドリューは作ろうとしているみたいで。しかしそんなの1日で全部できるのか?それも東京と京都の2会場を繋いで、芝居も繋げようとしているのだから、こりゃ時間は足りないだろうと踏んでいたら、案の定全然足りなかった。結果から言うと、音響から、芝居のきっかけから、東京と京都で繋ぎながら、アンドリューのリクエストが増えていきながら、なんとか冒頭の10分くらいのシーンは創ったものの、それでタイムリミットになってしまったのだった。場当たりみたいなリハーサルがひたすら続いて、それはそれで面白かったけどね。最終日だけは7時間あったけど、割とあっという間だった。で、総論としては、僕はやっぱりオンラインでのW Sは今後参加しないかな。少なくともディバイジングみたいな創作にはやっぱりオンラインは向いてないと思う。まあやるにしても2箇所だろうな。今回のような香港・京都・東京は無理があるよ。これは運営側とか講師の問題点ではなくて、あくまでシステムとしての問題ね。リモートで演劇をつくるならもっと時間が必要だし、そもそも演劇とは「一緒に創ること」で成立するものだから、同じ空間にいないと味は出て来づらい。その人の味も、作品の味も。やっぱり空気とか匂いとか感じられないもん、リモートだと。もしくは感じられても遠いし無視できちゃうし。いやはや「オンラインで演劇は成立するのか?」ていうのが今回の僕の裏テーマだったんだけど、成立は難しい、少なくとも僕は楽しめなさそうだ、ということがよくわかった。これは収穫であって、参加しなくちゃそうした判断はできなかったわけだしね。それにしても、うーん、久々にWSなるものに参加してまた違った視点というか感覚が湧いてきたりもしたかな。何しろファシリテート側じゃないWSに参加したのは今年初めてだし、下手したら2年ぶりとかかな?勉強になったというと綺麗事すぎるけど、自分は今、こういう状況だとこう動くんだーとかこう感じるんだーとか、そんなことはたくさんたくさんあった。アンドリューとは次は実際に対面で創作したいな。香港にもいずれ行きたい。広東語は難しいだろうが、演劇なら繋がれるはずだ。
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