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【イタハシ】板橋区の語源〜諸説あるうちのひとつとして。

【板橋区】の語源は?と尋ねると、大半の板橋区民は「江戸時代、仲宿の石神井川にかかっていた板の橋から」と答えるかと思います。

しかし、平安時代にはすでに数多くの人が暮らすイタハシという地がありました。

【イタハシ】という地名は、古くは西暦1,100年代の平家物語に登場します。

江戸時代以降の荒川治水の大工事が始まるまで荒川の川幅は大変に広く、河口からはるか上流まで川端に沿った街々間の船の往来が盛んでした。

武蔵野台地の北端、荒川左岸には旧石器時代から人々が暮らし出し、縄文時代、弥生時代とそれ以降に続く文化の一大集積地としての遺構が数多く見られます。

埋蔵物を調べると、東北地方や南方など日本各地の産物が出土されており、大きな貿易がなされていたようです。

武蔵野台地、川から見上げればはるか高く立派な木々と集落、豊かな食料。この台地を当時の人々は「イタ」と呼んでいたそうです。そして「イタ」の「ハ(端)」にある「シ(人々が集まる場所)」、これが【イタハシ】であると、考えています。

旧石器・縄文・弥生と続く遺跡群。遣隋使遣唐使時代の入植の名残である苗字や地名や出土品。戦国時代の武士一族の往来。江戸時代初期にはもう上板橋村と下板橋村に分割され、江戸の町の食糧生産を一手に担い、参勤交代に来る地方大名の江戸土産一番人気はダイコン・ゴボウなどこの地域原産の農作物の種子であったこと。

このように遥か昔から、板橋は伝統的な要所であり文化の結節点でありました。

この地に生まれたことに、私は誇りを持って生きています。そして、この板橋区で区議会議員として働いています。


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