東洋医学史について考えてみる/日々の写真/#8
東豪です。古代世界史にちらほらと風穴が開いている。これまで、文献学的な歴史研究が主だったが、実物の遺跡や出土品が発見され、新しい古代史像が描かれ直されている。
やっぱり文化の伝来の影響は大きいなと思う。文化というシステムそのものが変わると、ぜんぜん違う世界が記述される。特に今は、日本に対する捉え方が変わってきたと思います。
東洋医学史の主戦場は中国。その中国伝統医学を日本はどう咀嚼したのか
中国伝統医学〔TCM〕に対して、ちらほらと古代インド医学の「リグ・ヴェーダ」の影響を示唆する先生方もおられる。それもおもしろくて、研究している人も沢山いるし、影響がないわけではない。
しかし中国伝統医学が最もスゴいと思うところは「生理・病理・解剖学、診察・診断学、治療、予後」などの診療システムを、東洋哲学である「天人相関、天地三才、陰陽五行」に基づいて、古代東洋哲学的に整合性のある形で、論理的に記述しているところである。
そんな中国伝統医学を平安時代な日本人は、治療のための「ツール」として捉えたところに、おもしろみを感じる。
浦山先生は、平安時代に書かれた『医心方』に見える日本の医学観を、端的に「仏魂漢才(ぶっこんかんさい)」と表現した。
「ツール(才)」として“漢の医学”すなわち中国伝統医学を用いるが、“医の心(魂)”すなわち医学倫理については仏教経典である『金光明最勝王経』に基づいて「偏りのない慈悲の心」の大切さを説いた。
【参考論文】
浦山きか『『医心方』の構成と養生思想』
為政者の中でも仏教が力を持ったという時代性もあるが、精神性の担保や、そもそも世界をどう捉えるかというところに、仏教観を持ってきたことに注目している。
後に鎌倉仏教が起こって武士の時代になると、鍼や灸をするのはお坊さんで、僧医が民間の医療に貢献する。
日本の医療観をリメイクするには、この辺りの仏教の感性が重要かもしれない…と、感じるこの頃。
東洋医学だけでも一生が足りないのに、思想史まで入ると二生、三生必要です。
どこまで全力でぶつかってもブレない古代史。ありがたい。
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