爆発侍 尾之壱・爆発刀 二一
第二章 温泉宿場の邂逅 六
例えば一振りの竹刀は、同じ寸法の真剣と比べても三分の一ほどの重さしか無い。
つまり、振るも止めるも真剣を用いるより遙かに「容易い」のだ。
竹の組み合わせと鋼の鍛造だ。重さの違いは当然の事であるのだが、丹水は、
「これでは実際に剣を振る上で、なんの覚えにもならぬ」
と考えたのである。
竹刀稽古は、実際に相手をしっかりと「打つ」事が出来る故、比較的安全に実戦の感覚を掴めるという利点もあるが、慈外流はその安全性すらもむしろ危ぶみ、「剣を振るう危険」こそを是としたのであった。
竹刀稽古はその後更に安全性が追求され、防具の開発、発展とともに独自の作法が整備されていく事で、後の剣道へと進化していくわけだが、この時代では己が剣の古格を守り、時流に阿る事を良しとしない流派もまだまだ少なくない。
慈外流もその一つで、稽古にあたっては防具は用いず、木剣、もしくは刃を潰した練習刀を用いる事が決まりとされていた。勿論、技の伝授や見極めの際には真剣が用いられる。
「竹刀を振っていても、実際の剣の稽古足り得ません。我らが目指すは『棒きれ使い』では無く『剣術使い』です。それが御宗家である辻島丹水先生直々の御考えだった筈」
「まあ、そうだったんだがな……そうか、その様子だと、お前は聞いていないか」
堤も猪口を膳に戻し、姿勢を正す。そして、真顔で右門を見つめた。
「竹刀稽古は、江戸道場の意向だ。三年前からになるか。お前が江戸から武蔵に移った後の事になる」
「そんな、まさか?」
驚愕して立ち上がりかける右門をまあまあと制し、堤は続ける。
「江戸の道場主、要するに次代御宗家の一水先生がな、江戸の他流派道場を見てお決めになられたのだ。今後、純粋に剣客を目指す者以外にも広く門戸を開く為には、必要な事だとな」
右門はううむ、と唸り、座り直した。
下総の本家道場でも右門のいた頃の江戸道場でも、町家の庶民が道場の門を叩き、武士に混じって共に汗を流す事は珍しくは無かった。だが、確かに木剣や練習刀を用いた打ち稽古は素人には敷居が高く、それが故に道半ばで諦め、道場を去った者も少なくは無かったのも事実である。
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