爆発侍 尾之壱・爆発刀 二六

第二章 温泉宿場の邂逅 十一

 実のところ、この宿に部屋を取れてから、おこんはここの内湯の有様が気になって仕方が無かった。おこんの声色にそれを感じたか、襖の向こうの女中の声も明るくなる。
「はい。他のお客様に煩わされる事もございませんよ。御新造様ごしんぞうさまと旦那様で、何時でも好きなだけご利用いただけます」
「そ、そう……ですね……」
 おこんは、高鳴る胸を抑えて平静を装いつつ、考える。
 他の人間に煩わされないのは魅力的だが、「旦那様」を差し置いての入浴は大丈夫だろうか。おこんはこの時代の作法に関して再び記憶を辿った。
 ……問題は無いだろう。
 この程度の事ならば、右門に迷惑をかける事もあるまい。

 たぶん。

 うん、きっと、大丈夫だろう。

 お風呂と食事は、別物だ……たぶん。

「では、さ、先に、お風呂をいただく事に……いたします」
「はいはい、ぜひそうして下さい」
 我ながら声が上擦っているのを感じるが、女中の声に変化はない。それを幸いに、
「ええと、そ、それで、お、お風呂は何処なのでしょう?」
「はい、露天は、部屋を出て廊下を右の突き当たりでございますよ」
「右の突き当たり、ですね。ありがとうございます」
「ではでは、どうぞごゆっくり」

 女中の気配が足音と共に遠ざかって行くのを確かめると、おこんは天井を見上げ、その顔に満面の笑みを浮かべた。
「やった……久しぶりのお風呂!」
 おこんはいそいそと立ち上がると、鼻歌交じりに襖を開けた。
 

「しまづ」は、湯掛宿場にある他の宿とは違い、敷地内に独自の内湯を持っている。
 檜で拵えられた三つの大浴槽を誇る主浴場の他に、大岩を刳り抜いた野趣溢れる大露天風呂があるのだが、特に大露天風呂の見事な造りは有名で、旅人の間では、
「湯掛に行くなら『しまづ』の露天に浸かれ」
 と、もっぱらの評判であった。

 それ以外に、宿の本館とは別に設えられた三つの離れには、それぞれ専用の露天風呂が備えられている。これらは勿論本館の大露天に比べればささやかではあるものの、小さいながらもその意匠に手は抜かれておらず、「しまづ」を利用する旅人の中には、むしろこの専用露天を目当てに離れを好んで指名する者もいる程であった。

 右門とおこんが通された部屋は、この三つの離れの中でも最も奥にあるもので、本館の喧騒とは切り離され、静けさに包まれている。
 人気ひとけは無いがきちんと手入れの整えられた廊下を通ると、おこんは突き当たりにある暖簾のれんをくぐり、足取りも軽く専用の脱衣所へと入っていった。

 女中の言った通り、脱衣所には誰もおらず、無論使われた痕跡も無い。
 おこんは更に奥、開け放たれている向こうの露天風呂に目をやり、
「まあ……すてき」
 と、目を輝かせると、部屋の隅に置かれた脱衣籠の前で帯に手をかけ、するすると解いてゆく。

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