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激辛課長

「ピピピピピ!」
僕らに向けられた笛の音は空に舞い上がる。
そして僕らは口を閉ざした。

二十代前半の頃の夏の話。あれは、とあるサイトを通じて知り合ったいつものメンバーでの飲み会の日。
この「いつものメンバー」の内訳は多彩で、上は三十代後半の公務員から下は女子中学生まで、二十人ぐらいで集まってよく飲んでいた。
「あず」「あずき」「あずたん」「あずちゃん」。そんな呼ばれ方をすると心地良いと感じるのは、この「いつものメンバー」のおかげ。
若いメンバーもいるので土曜日の十八時から二十時まで居酒屋の個室で、飲み放題だけど未成年はお酒はダメ! という健全なオフ会だ。
二十時に未成年のメンバーや早く帰りたいメンバーとは別れ、それからは大人の時間だ。
「大人の時間」と書くと何だかヤラシイ雰囲気が漂ってしまうけれど、やることはラーメン屋でラーメン食べながら飲むだけ。それがいつものパターンだ。

「激辛って書いてある!行ってみようか。」
メンバーの中の誰かが言った。
「辛いの好きなイメージないけど、好きなの?私苦手なんだけど。」
「いや、辛いの苦手。」
「ダメなんかい!」
完全に出来上がった酔っ払いのノリである。一同はツッコミを入れた。
しかし、一部アルコールの入っていない人間もいるものの、周りもほとんどが酔っ払い。誰も辛い物好きがいないのに全員で激辛ラーメンに挑戦することになった。

「辛いね。」
「辛いな。」
「辛すぎる。」
激辛ラーメンを食べて「辛い」しか感想が出てこない酔っ払いたち。激辛ラーメンなんだから当然なんですが。
みんなで涙を浮かべながら食べる激辛ラーメン。あれほど口の中の痛みが面白かったラーメンは他に食べたことがない。
みんな何とか口にラーメンとスープを全部流し込んだ。激辛スープまで全部飲むなんて、酔っ払いのバイタリティは素晴らしい。
しかし、激辛ラーメンに負けた僕らはヒリヒリする口や胃の痛みに耐えながら早々に帰ることにした。

夜の時間帯。田舎の駅では電車の本数も減るため、二十分程度の待ち時間があった。
夏の暑い風、輝く月、口と胃の痛み。
この状況に耐えかねて誰かが言った。
「歌うか。」
完全に酒と激辛ラーメンにやられた人間のノリである。

こうなると酔っ払いたちは強い。
シラフの男が指揮者に立候補する。8人の男女は適当にパート分けをする。
さっと駅のホームで整列し、歌い始める。

「口笛はなぜ〜遠くまできこえるの? あの雲はなぜ〜わた〜しを待ってるの?」

曲は「アルプスの少女ハイジ おしえて」。
出来上がった人間たちの混声四部合唱が夏の夜空に響く。
白い視線を集める僕ら。とても気持ち良い。
そんな僕らの元に一人の男が近づいてきた。
「他のお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください。」
駅員に怒られた。冷静に考えれば当たり前ではあるが。
あの時何を言われたかもう覚えていないが、一つだけ確かに覚えていることがある。
一番きつく怒られたのは、シラフの指揮者。どんまい。

しかし、しばらく怒られている間に乗りたかった電車は行ってしまった。
次の電車はまた二十分後である。
この状況に耐えかねて誰かが言った。
「歌うか。」
完全に酒と激辛ラーメンにやられた人間のノリである。
さっとホームで整列し、駅員に気付かれる前に歌い始める。

「口笛はなぜ〜遠くまできこえるの? あの雲はなぜ〜わた〜しを待ってるの?」

その時、遠くから駅員が怒りの形相でこちらを見ながら笛を吹いた。
「ピピピピピ!」
僕らに向けられた笛の音は空に舞い上がる。
そして僕らは口を閉ざした。

**********

これがなぜか覚えている記憶。
いや、忘れたくない愛しい記憶。

ちなみに、「激辛ラーメンを食べよう」と言ったのも、最初に「歌おう」と言ったのも、怒られた後に「歌おう」と言ったのも僕。
あの時から僕は「激辛課長」という素敵な肩書きを得た。

あれからもう15年ぐらい経つ。
でも、今オフ会をやってもおそらく同じような結末を招くと思う。
僕はいつになったら大人になれるのだろう。
ならなくても良いのだろうか。
おしえて、おじいさん。

伝え合いましょう。気持ち。