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【現代】うらしまたろう

わりと最近、
あるところに浦島太郎(35)がいました。

銀行や市役所に出す書類を書く時、
見本の名前はたいてい「〇〇太郎」なので
浦島太郎はいつもそれを見て名前を書きます。

なので「太郎」だけ上手に書けます。

髪は腰のあたりまで伸びており、
その姿から「江口洋介に憧れているの?」
とよく聞かれますが、ただ切りに行く
暇がなくて伸び続けているだけです。

そんな浦島太郎は、
IT関連の大手で働いていました。

今年に入って、新たな部署に配属され
太郎は仮想空間のデザインを
担うようになりました。

仕事はそれなりに充実していましたが、
残業と休日出勤の日々で、お金を使う暇もなく
貯金額とストレスだけが増えていく一方でした。

職場の人間もあまり好きにはなれません。

転職を何度か考えましたが、
実行する気力も湧かず
ただただ定年が来るのを
じっと待ち続ける日々でした。



そんなある日のこと。直属の上司が
いつものように理不尽な怒りを
太郎にぶつけていた時、

先週からはみ出し続けていた
上司の長い鼻毛が、フッと抜け落ちました。

それを見た太郎は、もうなんだか
全てがどうでもよく感じられ、
午後から会社を早退しました。

人生2度目の仮病でした。

スタバで抹茶ティーラテを飲みながら
転職エージェントに登録した後、
太郎は海へと向かいました。


砂浜に着くと、波の音が聞こえました。

夕空は、桃色を経由して橙へと変わる頃で、
太郎は何ヶ月かぶりに
自分の心が安らぐのを感じました。

遠くで煌めく水平線と、穏やかな風が
太郎の気分をさらに良くさせました。

少し離れたところでは、子供たちが
楽しそうに遊んでいます。

いつもは決して自ら他人と関わろうと
しない太郎も、この時ばかりは
誰かと話したい気持ちになって、
その子らの元へと歩み寄りました。

太郎は言いました。
「何をしているんですか?」

すると子供たち、ぎょっとした顔で
太郎を見つめ、そして
バツが悪そうに走り去っていきました。

太郎のピュアハートは砕け散りました。

もう2度と子供なんかに
話しかけるものかと思いました。


すると、何かヒヤリとしたものが
太郎のくるぶしに触れたのです。

驚いて足元を見ると、
そこには1匹のカメがいました。

割と大きめでした。


カメは言いました。
「いじめられていたところを
助けていただきありがとうございます。」

太郎は少し驚きましたが、
ここ最近の仕事のせいで
仮想と現実が混同しており
「そういえばカメも話すんだっけか」
と変に納得しました。


カメは続けました。
「ところで浦島さん、
竜宮へは行ったことがありますか?」

太郎は先ほどより大きく動揺しました。
見知らぬカメに
自分の名前を呼ばれたからです。

(一体どこで個人情報が流出したのだろうか)
と瞬時に考えを巡らせましたが、

自分が質問されていることを思い出し
慌てて答えました。

「い、いいえ、ないですけど…」

「では、恩返しのためにもぜひ竜宮へお越しください」

張り切るカメが、背中に乗るよう
アゴで誘導してきます。

太郎は何が何だか
さっぱり理解できていませんでしたが、
誘いに対して「NO」と言える
人間ではなかったので
恐る恐るカメの背中にまたがりました。

カメはゆっくりと歩き始めました。

周りの人たちがチラチラとこちらを見てきて
太郎は恥ずかしくなりました。

さらには「乗せるの早すぎたな…」
というカメのぼやきが聞こえてしまって、
太郎は一層気まずくなりました。

そんな太郎のことなどお構いなしに
カメはそのまま海に入り、

海底へと泳いで行きました。

太郎はあわてて息を止めました。

竜宮が海の中だなんて聞いていません。


遊泳時間はとても長く感じられ、
太郎がいよいよ己の死を悟ったとき
目的地に到着しました。

むせる太郎を見てカメは
「あ、もしかして息続かない系でした?
だったら酸素貸したのに」と言いました。

鼻で笑ったように見えました。

太郎は、沸々と湧き上がってきた
罵りの言葉たちを、懸命に喉元で抑えました。


するとそこに、人間と思しき姿が現れ
太郎にこう言いました。

「ようこそお越しくださいました浦島太郎さんワタクシこの城の主の乙姫と申しますこの度はカメをお救いいただき誠にありがとうございますお礼に竜宮を案内いたしますのでどうぞゆっくりお過ごしくださいませー」

その言葉の、どの1文字を取っても
感情の一切が込められていませんでした。

さらには乙姫の目が少しも笑っていない
ことからするに、この手の恩返しは
きっと頻繁に行われていて、
一連の流れがマニュアル化されている
のだろうなと太郎は思いました。



案内された席に座るやいなや、
ヒラメとタイの舞い踊りが始まりました。

魚が音楽に合わせて踊るのを
初めて見た太郎。非常に感心しました。

しかし使われている曲がどれも
10年ほど前に流行ったもので、
そのことが太郎を微妙な気持ちにさせました。


すると、太郎の前に料理が運ばれてきました。

ヒラメとタイの刺身でした。

さすがに残酷では、
と太郎は思わず乙姫の方を見ましたが、

乙姫はつまらなさそうに
その刺身をつまんでは
酒を飲んでいるだけでした。

太郎は思いました。
今ステージの上で踊っているヒラメと
皿の上で刺身になっているヒラメの違いは
何だったのだろうと。

ショーが終わり、
しばしの間、乙姫たちと談話をしました。

すると城内に、
聴き慣れた音楽が流れ始めました。

『別れのワルツ』でした。
『蛍の光』を編曲した、デパートや
百貨店の閉店時間に流れるあの曲です。

そして、乙姫やヒラメたちがしきりに
「今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」と
言い始めました。

つまり、そろそろ帰れということです。


そのことを悟った太郎が
「ではそろそろ、
おいとまさせていただきます」と言うと、

乙姫たちは
「そんな、まだいてくださっていいのに」と
言いながら、そそくさと
見送りの準備を始めました。


帰り際、乙姫が太郎に箱を差し出しました。
「玉手箱です。気持ちばかりですが、
よろしければお持ち帰りください」

太郎が「恐れ入ります」と受け取ると、
乙姫は冷たい眼差しで言いました。
「ですが、決して蓋を開けてはなりません」


太郎は「またか」と思いました。

この前も、和服で黒髪の少女が
突然家を訪ねてきたかと思えば

「恩返しに参りました」と言いながら
やれ、飯を食わせろだの
やれ、はた織り機の搬入を手伝えだのと
散々要求した挙句、

「決して戸を開けてはなりません」と言って
三日三晩、太郎の寝室にこもってしまったのです。

(どうして皆、
恩返しだと言っておきながら
制限を課してくるのだろうか)と
太郎は不思議に思いました。

ちなみにその少女からは
綺麗な布をもらいましたが、
用途が分からずタンスにしまったままです。


とりあえず玉手箱を受け取った太郎は
カメと共に出口へ向かい、

今度こそはと、乙姫に頼んで
酸素ボンベを借りました。


有料でした。


さて、家に帰った浦島太郎。
その日はすぐに寝て、
翌朝、いつものように出社しました。

するとどうしたことでしょう。
会社の外観がずいぶんと変わっています。
昨日の今日で
ここまで工事を進められるのでしょうか。

とりあえず中に入ると、
そこもまた見知らぬ空間。
戸惑いながらも太郎が社員証をかざすと
エラーが出てしまいました。

何度試してもエラーが出続ける
太郎に、見かねた他の社員が
「どうしましたか」と尋ねたので
訳を話して社員証を見せると

「これ、ウチの社員証じゃないと思います」
と言われてしまいました。

途方に暮れた太郎は一度家に帰りました。

会社に電話をしようにも
スマホの電源が切れてしまっていたのです。


充電をしてスマホを開いた太郎は
ある違和感を感じました。

ロック画面の
日付と曜日が違うのです。

不思議に思った太郎がカレンダーの
アプリを開くと、左上に
「20XX年」という表示がありました。

30年後の西暦でした。

太郎は混乱して、
テレビをつけようとしましたが
家の中に煙が充満していることに
気がつきました。

火事かと慌てましたが、
よく見ると煙の出所は玉手箱でした。

太郎は基本、言われたことは
きちんと守る性格ですが、
このときばかりは緊急事態だと思って
玉手箱の蓋を開けました。

煙に包まれた太郎。
急いで換気をして、いくらか落ち着いてから
顔を洗いに洗面所へ行きました。

するとどういうことでしょう。
鏡に映る自分がずいぶんと老けています。

疲れているとか、そういう次元ではなく
30歳くらい歳をとってしまったような
そういった風貌でした。

太郎は必死に考えを巡らせ、
そして悟りました。

あぁ、”歳をとってしまったよう”
なのではなく、実際にそうなのだ。


自分が竜宮に行っている間に
30年もの年月が流れたのだと。

ということは太郎は65歳。
定年の年です。

会社は潰れたのか、移転したのか
分からないけれど、つまりはもう
あの会社に行かなくていいということです。

太郎はホッとして、
これからは貯金を切り崩しながら
細々と余生を過ごそうと思いました。


めでたいんだか、めでたくないんだか。










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