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小説| 水際の日常。#19【最終話】 - 子と海女芸者もどきはぐるぐる回り。

■ 酩酊、ナイトアンドデイ


 お迎えの保護者の足が途切れた。

 あたしはピアノの下の小さい子供たちを両腕に抱えてぐるぐる回る遊びを始めた。きゃっきゃきゃっきゃ。子供が笑う。腰にずっしりとのしかかる重みに耐えながら、あたしは子供たちに笑顔を振りまく。子供たちは何度ぐるぐる回してあげても、「もっと、もっと」と言ってまとわりついてくる。自分の中のどこにこんな余力があるんだろうと驚きながら、あたしは力の続く限り子供を抱えてぐるぐる回る。

 園長先生は回っているあたしを見て、「こままわし」の歌を歌い始めた。するとぐるぐる遊びの順番待ちをしている子供たちも一緒に声を合わせて歌い始めた。

  こままわし、こままわし、みんなでやろうよいちにのさん、こままわし、こままわし、みんなでまわ   そういちにのさん…こままわし…

 目が回る。
 気持ち悪くなってきた。
 もう歌わないで…お願い。あたしは心の中で叫んだ。
 昨日はシケで休漁になった漁師たちのお座敷で久しぶりに昼間からお酒を飲んだ。うっかり飲まされたと言ったほうが正しい。ママが酔った勢いで黙ってあたしのウーロン茶のグラスにウィスキーを仕込んだのだ。ママは時々最低なことをする。琥珀色の液体を躊躇なく飲み込んだあたしは次の瞬間うぇっと苦虫を噛んだ顔になり、誰が帰りの送迎車の運転するの?!、と憤った。
「あんたもたまには酒に飲まれて潰れたとこ見せてみなさいよぉ!玉の輿だったか知らないけどお高くとまってるんじゃないよっ!」
「はぁ?!ママ暴言やめてー!」
 場を盛り上げるためのリップサービスに適度に本音を差し込んでいくのがママの芸だ。あたしはプロレスさながらに精一杯の受けをする。
 ママは最近あたしがいまいち元気がないのをなんとなく心配していたようで、よくご飯に誘ってくれるのだがあたしは適当に言い訳を作って断ってばかりだった。そして昨日は朝イチでママから電話が入った。
「急で悪いんだけどさぁ、お昼に宝永丸さんと鳥海丸さん、宮田丸さんのお座敷入ったの。あんた保育園休みなら小遣い稼ぎと思って気晴らしにどう?モチにご指名だってよ。みんなカラオケ好きだから。昭和歌謡とか歌ってよ」
 重い腰を上げ、あたしは引き受けることにした。

 お互いを◯◯丸さん、と船の名前で呼び合う漁師たちのお座敷は、みね岸のコンパニオンたちには人気度が高い。
 豪快なお兄さん、寡黙なお兄さん、全国津々浦々港のソープ街に詳しいお兄さん…と個性豊かで、気性は荒いものの根が素直でさっぱりした人が多く、酔って酒癖が悪くなったお兄さんは必ず誰かが力づくで諫めてくれるから、親戚の宴会に参加するみたいに肩の力を抜いて接客が出来る。
 捨良海岸でボディボードを始めるんですと話をしたら、あたしは即「海女芸者」というあだ名をつけられた。今は絶滅してしまったものの、海女芸者は昔、九十九里沿岸部の夜の観光の目玉だった。港の資料館に行くとお揃いの半被を着た海女芸者たちのモノクロ写真が展示されている。彼女たちの本業は海女で、昼、海に潜ってアワビやサザエを穫り、夜は芸事で旅館の宿泊客をもてなしていたようだ。
「おい海女芸者、そろそろ歌え」お兄さんがあたしにマイクを差し出した。
 続けざまにママがあたしの太ももの上に乗せたカラオケのタブレット端末からあたしは手早く「兄弟船」を検索し、転送予約をクリックした。漁師のお座敷は「兄弟船」、猟友会のお座敷は「与作」があたしの十八番だ。

陸に上って酒飲む時は
いつも張り合う恋仇
けれども沖の漁場に着けば
やけに気の合う兄弟鴎
力合わせてヨ 綱を捲き上げる

 マイクを握るあたしはつい熱くなって音程を大幅に外した。それがかえって会場の笑いを誘った。
「よっ、海女芸者いいぞ!もっと歌え、なんでも好きな曲歌え」
 あたしは酔っていたせいか、言われるがままに、往年のアイドルのヒットソングを歌い始めた。松田聖子に中森明菜、時代は飛んで浜崎あゆみからモーニング娘へ…。AKB48の「ヘビーローテーション」をお兄さんたちと歌って踊り騒いだところまでは覚えている。


 目が覚めると、置屋の詰め所に敷かれた布団の中にいた。
 どうやってここに戻ってきたのかあたしは思い出せなかった。


 やっとあとひとり。
 あたしは力なくつぶやく。
 園長先生も、さくらも勤務時間を終えて帰ってしまった。あと一人分の保護者が玄関口に顔を出せば、遅番のあたしも帰途に着くことができる。
 今日はちいちゃんがひとりお残りだ。ナースのママが、まだお迎えに来ないのだ。ちいちゃんがガラス戸の外を指差して「さっきは明るかったのに今は夜になっちゃったね」と言った。
「うん。一日は早いね」あたしみたいな素性のよくわからないおばさんと二人っきりで眺める外の暗闇が、三歳の子にとって一体どれだけのものに見えているのだろう。
 あたしがちいちゃんだったら孤独感や寂しさに恐れおののいて泣いてしまうに決まっている。
 給食の残りのおにぎりをちいちゃんと分けて、二人でジャンボ積み木に腰かけて食べた。ちいちゃんは指の関節を上手に動かしながらがつがつとおにぎりをかじっている。小さな体からぴちっ、ぱちっ、と細胞分裂の音がしてきそうだ。あなたのお隣に座っているおばさんの細胞は分裂が終わり、すでに飽和状態。あとは年齢にスピードが比例して崩れていくばかりだ。当然、あたしがちいちゃんよりずっと先に死ぬのだろう。どんなにちいちゃんがかけ足してきても、離れないように抱きしめてくれても、ちいちゃんがたどり着けないほど遠い時空であたしは先に死んでいくのだ。

 —————ある日のなんでもない午後。

 つくし組の子供たちが、くもり空のやわらかな光を浴びて一斉にお昼寝をしているのを見守っていた時。
 ふと、あたしは理解した。あたしが人生を憂いている間にも、世界は別のところで勝手に新陳代謝されていくんだって。
 この子たちが作っていく新しい価値観や社会の進化に、あたしはついていけるだろうか。混乱して、屁理屈を並べたりしていないだろうか。未来を見届けるまでこの水際の町で生き延びているだろうか。
 ひかり園は、子供たちの明るい声がこだましていて、いつも光に満ち溢れ、大人たちの交わす陰湿な噂話でさえ、掻き消えてしまうほどきらきらしている。その光を感じるわずかな時間、あたしは確かに満たされている。
 だけどあたしはだんだんと自分の重暗さに耐え切れなくなって、遅かれ早かれ、光に溶け入ることもままならなくなり、光に弾き出されてしまったりするのだろうか。あたしはそっと怯える。
< 完 >

※引用「兄弟船」詞:星野哲郎 曲:船村徹

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