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小説| 水際の日常。#6 - あたしの明るい家族計画。

■何度中に出されても、妊娠しない世界線があるなんて

 智之は人の感情に鈍感なところがあった。おおらかといったほうが良いかも知れない。そこが長所で、だからきっと友達も多いのだろう。どんなにトゲのある言葉を智之にぶつけても、キレたり感情的になった姿を見たことがない。あまり余計な気を遣わなくていいから楽ではあった。そんな調子で、智之とのセックスも、今日は良い波に乗れた、乗れなかったくらいの、気負わず生理現象を互いに消化し合うリラクゼーションに近かった。智之は「正直言ってセックスよりもサーフィンのほうが何倍も気持ちいい。脳から合法的にヤバい物質が大量に出る」とよく言っていた。その感覚はボディボーダーだったあたしにもわかる。
 そういえばあたしは自分から智之を誘ったことがない。ベッドの上で智之を楽しませようと創意工夫してみるとか、そういった性への淫靡な探究心がくすぐられることが智之にはなかった。だからあたしは安心して智之を愛せたんだと思う。
 智之は智之で、あたしが拒絶しないのをいいことに、したくなったら無邪気に求めてきて、半ばマグロ化したあたしに文句を言うでもなく、膣内に射精したら漏れ出た精液をティッシュで拭き取ってくれて、その後すぐ満足げに寝てしまう。結婚してしばらくしてからはずっとそんな状況で、可もなく、不可もなく、な夜の営みではあった。
 それで智之が満足しているのならこのままでいいのだろうと、特にこの件についてあたしは深く考えることもしていなかった。すると、ある時期から智之が求めてこなくなった。

 セックスすることはなくなっても、智之は変わらずやさしかった。その得体の知れないやさしさがなんだったのか、あたしは智之に追求することもしなかった。

 そして、気がついたらあたしはアラサーからアラフォーに差し掛かろうとしていた。
 あっ、そうだ、ヤバいヤバい、のんびりしすぎた。あたしこのままだと妊娠しないで人生終わりそう。

 産婦人科での卵管造影検査時に、まさか自分が泣くとは思ってもいなかった。簡単に妊娠できると思っていたあたしにとっては目の覚めるような強い痛みだった。
「妊娠しにくい体質だ」と診断された時、「あたしの体がそんなはずがない」と、だいぶ遅れて知った現実を直視できなかった。その後の病院通いは、不妊治療で打ち続けなくてはならないホルモン注射の痛みも含め、あたしにとって想像していた以上にしんどかった。
 それでも子供は欲しかったから、あたしは医師の指導に素直に従い、ひたすら妊娠を願った。でも、思いのほか卵は上手く育ってくれなかった。あたしは精神的に追い詰められた。自分に自信がなくなった。智之はあたしほどには子供を強く望んでいなかったものの、あたしが妊娠しやすい日のセックスに進んで協力してくれるようになったし、病院にも必ず同行する良い夫だった。
 けれど、治療の効果は芳しくなかった。
 これをあと何年続けていくことになるのだろう…と思うと、だんだんあたしは、子供が本当に欲しいのかさえ途中でわからなくなってきて、悩んだ末に、治療を休止することにした。

■子なし専業主婦の立ち位置

 家計が苦しい訳ではなかったが、子供をあきらめてから、自分の身の置き処が専業主婦であることへの負い目が増していった。あたしは派遣会社に登録して会計事務所の事務のパートを始めた。
 以前勤務していた保育園が人手不足らしく、在職していた先輩に復職しないかと誘われたが、子供のいる場所に身を置いたらなおさらしんどくなりそうなのでお断りした。

 友人の子供たちはすでに成人していたりもする。子供がいないと、子育て絡みの会話に入っていけず自分だけ置いてけぼりになり、仲間内でなんとなく浮いてしまう。つくり笑顔で話を聞いているだけで疲弊する。小学生の頃、自転車を買ってもらった友達はみんな自転車で遊びに出かけてしまって、自転車を持っていなかったあたしは泣きながら後ろから走って追いかけるしかなかった悲しい記憶が蘇った。

 ある日、智之と家族ぐるみのバーベキューイベントに出かけると、子なし夫婦はあたしたちだけだった。
 鉄板焼きの周りをきゃーきゃーと走り回り、親に叱られる子供たちを、以前は微笑ましい気持ちで眺めていたが、次第にあたしは子供の甲高い声を聞くだけで苦痛に感じるようになっていった。
 そんな風に、楽しかったはずの友人たちとのひとときも、だんだんと場違いな感覚のほうが増していって、仲間同士の集まりがある時は、智之だけが行くようになった。

■ボイドタイムを浮遊しながら

 自然と人づき合いが減ったせいか、あたしの生活は次第にメリハリのない怠惰なものになっていった。それはそれで、妙に心地よくもあった。
 認知症気味の祖母の世話と、ヒステリックな母の機嫌取りをして過ごした少女時代を振り返ると、「これ以上、他人のケアをする人生はもう勘弁」と、心の奥でずっと怒りを握りしめていたあたしに気づく。
 目的も意味もないような、無駄な時間…自分のためだけに好きに使える時間は、まさに自分が幼少期から心底渇望していた「それ」だった。だから、今あたしが手にしている環境は、良くも悪くも自業自得で、自分が引き寄せた現実なのかも知れない、そう思った。
 そう仮定すると、心のキャパシティーが足りていないあたしが、子育てで自分の時間が大幅にかき乱されることを、本質的には望んでいなかったのかも知れない。たぶん、子供時代をもっとのびのびと満喫できていたら、そんな風に思わなかっただろうし、あたしはもう一歩、二歩先の、違う人生を歩んでいたのかも知れないと、残念な気持ちにもなった。
 …と、あり余る時間の中で自分を見つめていると、起きた結果に対するもっともらしい原因探し大会が始まり、自分に辟易するのだった。

 義父母は智之と同じくおおらかなところがあり、特に義母は「孫の顔が見たいなんてあたしらは別に思ってないからね」と言ってくれた。おそらく半分は本心で、半分は気遣いだ。
 そのやさしさがかえってあたしの身に堪えた。

 あたしはパートに出勤する以外は一日のほとんどをケーブルテレビの海外ドラマ鑑賞や大人買いしたマンガを読んで過ごした。
 だんだんと、出かけること自体がおっくうになって、可能な限り買い物をネット通販に頼った。智之はそんなあたしを見て特に何も言わなかったし、智之は智之で、少しでも時間が取れればサーフィンにゴルフにと、友人たちと遊びを満喫していた。

 夫婦仲は決して悪くはなく、智之があたしに無関心だと感じたことも、寂しいと思ったこともなかった。#第7話に続く


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