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いつまでもセクシー田中さんについてキレ散らかしてる人って・・・

どうも、あずきです。

今緊急でnoteを書いていますが、出ましたね。セクシー田中さんの調査報告書。

これを読んでいてネットの議論を見ていると自分は割と穏健派の人に同調して、いつまで日テレが悪いみたいなテレビ叩きの材料に使っている人はなんだかなぁと思っています。

これ一つ思ったことは

「セクシー田中さん問題をいつまでもキレてる人って社会人経験がないんじゃないか」

ってことです。

もっと言い換えるなら「社会人とか社員ではあるが重要な意思決定や重要なプロジェクトを任されたことがない人」なのではないかと思います。

なぜかというのを今日は掘り下げていきたいと思います。

結論「誰が悪いではなく仕組みが悪い」

これに尽きると思います。

ハリウッドやアメリカのようなゴリゴリの契約社会で「条件を決めて詰めてから映像化に取り掛かる。その前段階で交渉契約みたいなものもある。」みたいな文化ではなくて、日本は「とりあえずみんなで話し合って作ってみて完成したものを用いて初めて契約を結ぶ」という流れであることがこの報告書からわかります。

これだと「揉めた時に軟着陸の手段がないので、とりあえず完成させないといけない」という大問題が発生します。

ここでいう軟着陸というのは、進行の中断や延期、中止といった「表に出す前なら取れる手段」のことで、日本のこの慣例だと揉めた時にはおそらく情報等が表に出ていて、今更そんな手段は取れないという段階まできてしまっています。ここで今回の件のように原作者が強権を発動して「制作中止しろ!」なんて言おうものなら、下手こくと原作者や小学館は日本テレビや制作会社、何よりスポンサーに対して何十億単位の賠償金を支払わなくてはいけなくなります。

だから、放映後などに原作者が「(メディアミックス作品は)別物としてみてくれ」とかいう声明を発表する例が昔からありました。あれは原作者からすれば止めたかったけど止められる状態ではなかった。または止める時のリスクが極大すぎて止められなかったからくる出来る限りの抵抗だったわけです。

なので、今回の件を受けてできることは出版社と映像制作会社がちゃんと膝を突き合わせて話をして、せめて原作ありのコンテンツは原作者も最初からチームに入れることを原則とする(本人が他の仕事などを理由に拒否する場合は別だが、この方向に出版社が誘導しない仕組みも必要)ルールづくりが必要なのであって「原作者の意向が絶対!それを理解できない映像制作者は去れ!!」みたいな論調には正直同調しかねます。

社会人やってれば今回の件は割とあるあるじゃないの?

大なり小なり今回の件は社会人である程度の大きなプロジェクトや社内調整をしたことある人間ならば、「あるある」じゃないのかなぁと思います。

正直、こうやって話がこじれている時に「誰が悪い」なんて犯人探しやってたら永遠に終わらないし、その方が余計な傷が増えていく案件だと思っています。

まぁだからと言って原作者に嘘を言っていいわけではありませんが、これだって調整している人間が揉め事に辟易していて制作期限も迫っているなんてプレッシャーの中では「嘘言ってこの場を丸く収めた方がいいやろ」という悪魔の囁きに抗えるか?と考えると少し疑問が残ります。

となると日本テレビや小学館に対して「やったなこれは・・」とは思いますが、ネットでされてるようなガチギレまではできないんですよね。

何度も繰り返しますが、「誰が悪いじゃなくて仕組みが悪いんですよ。」全て。

その仕組みがネットで言われるような悲劇の原作レ⚪︎プみたいなのの元凶なのかなと思います。

この仕組みであればテレビ局や制作会社からすれば原作を「名乗る口約束」を取り付けてしまえば、あとは口八丁手八丁で完成までこぎつけられれば中身がどんなに改変していてもこっちものってわけです。

作家を守るべき出版社も「ある程度は仕方ないし不況に喘ぐ出版業界で稼ぎ頭の漫画の宣伝にはなる」と割り切ってしまうことも考えられるでしょう。

改めて言いますが、作家がこの映像制作会社と出版社の間にあるなあなあの空気になってしまう【仕組み】に直接口が出せないことが問題なのです。

わかりやすいラスボスもいなければ、足を引っ張ってやる悪魔みたいな考えの人間もいなかった。

そこにあったのは「それぞれの立場で最善を尽くそうとしたが、見えてる地雷(摩擦)を恐れるがあまり、それを避けて通れないはずの話(原作への理解度の擦り合わせ)ができないまま不信感だけが募って、最悪のタイミングで爆発してしまった。」案件だったんですよ。

「みんな信じてたんですよ。誰かがどこかでなんとかしてくれる。」って・・・

そんな神様が現れず、現れたのは死神だったという話です。

こういうふうに考えが至ってしまう30代社会人です。同情できる部分が多くて怒れる範囲がないんです。そら明らかにダメな部分はありますけどね。

なので、これで感情的に日本テレビや小学館を叩くだけでは何も解決しません。業界団体なりがキチンと対策を練って、「企画段階から原作者を交えて話を進め、どのような話を詰めてから制作を始めるのかというガイドライン」的なものを早急に作る話だと思います。

似たような悲劇が繰り返されないために仕組みを変えていきましょう。

という話が出力されずに原作者を神格化しテレビや出版社をぶっ叩くネット言論は呆れる

という話です。そっちの方がインプも稼げますし、テレビ叩く俺かっこいいって言えますもんね。

「もうテレビを叩くこと自体がダサいと思いませんか?」と個人的には思います。

あと、これであまりにも原作者を大切にしろ!映像化はダメだ!クソだ!ってなると誰もやらなくなると思うじゃないですか?

ところがどっこい、これで叩かれて業界がある程度萎縮して、みんなやらないようになりかけたところを出し抜くやつって絶対にいるんですよ。そうするとそいつがまぁ面白い作品を作るんですよ。その時に仕組み自体が変わってなかったら、また「原作ものが人気」ってなって元通りなんですよ。

あとは「ドラマにしたい話を先に漫画化して出版社として結託して売り出す。そのために(テレビ局の意向に逆らわない)原作者や作画担当をあらかじめ用意しておく。」みたいなやり方もできるわけです。

いくらでも原作ものに関して、テレビ局の都合のいいやり方なんでできるわけなので、作家の交渉力を上げる仕組みを作っておきましょうよ。って話になぜならない。と私は憤るばかりです。

で、憤りを通り越して「あっ社会人経験がまともにないからこんなことでいくらでも怒れるんだな」という変な達観じみた冒頭の結論が出されてしまったわけですね。これ以上は私も考えるのはやめにして自分の制作に集中します。

どうか、皆様もそういう負の感情に流されるネットにならないように心穏やかにすごせるようにしましょう。

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