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かわいそうランキング底辺が思うこと

私は青葉容疑者の気持ちも植松被告が何故あんな大事件を起こしたのか理解できる部分がある。そしてこの事件の真の犯人を挙げるとするならば「この社会」だと思う。

無敵の人を作らず悲劇を防ぐためにはかわいそうランキングの底辺への攻撃をいかに減らす社会にするかが特に重要である。

これを書くとたぶん的外れな批判が来るから先に行っておくが私は殺人を肯定するつもりは全くない。彼らがやったことは紛れもなく戦後最悪の大量殺人であり、将来有望なクリエーターの命や抵抗できない相体的な弱者を一方的に大量に奪った許されないことであると断言しておく。彼らにあったこともなければ話をしたこともないので実際のところなんてわからない。
ただ、世の中の論調を見ていると「不可解」「真相の解明を」という声がすごくある。これに私は強い違和感を感じる。

私は「この件を不可解だと思う人は普通以上の幸せな人生を送ってきたんだろうなぁ」と思う。私だって今の立場がなかったら間違いなく大なり小なり似たような行動をしていただろうと思っている。不可解でも何でもない彼らはなるべくしてそうなったのだ。

彼らに共通することは「社会から不可視化されたかわいそうランキングの底辺」だったということだ。私もその一人なのである。たぶんリアルを知っている人間は「そうじゃないだろ」というに違いないかもしれないが少なくとも私はそう思っている。

かわいそうランキングは大まかに↑の記事やnote運営が決して推さない鬼才「白饅頭」先生の有料noteを見て欲しい。端的にまとめるなら

「男性は基本的にランキング下位におかれ年を重ねれば重ねるほどどんどん下位に下がる。それに見合う財力や地位を手に入れて維持しておかないと下位に下がるだけではなく圏外に押し込められて行くという残酷なランキング」

が世の中には不文律として存在するのだ。ランキング圏外におかれた人間がどんな酷い目に遭遇しようとも世の中は「お前が悪い」「努力不足だ」「自己責任だ」と糾弾する。でも、同じことがランキング上位の人間に起これば「かわいそう」という声が高まり国を動かす事態にまでなる。

最近身近で起こった例を参考にすれば「某ネットに強い弁護士がいくらテレビで誹謗中傷の被害を訴えても世の中はふーん程度にしか反応しないが、某テレビ番組の女性出演者が誹謗中傷の嵐に病み自殺すれば国が動く事態になる。」

もし、これが弁護士という肩書が彼になかったら話題にもされない。某同性愛者向けのアダルトビデオに出ていた男優たちは語録という名で一般にも浸透しているが、本来なら重大な人権侵害も甚だしいがそれに怒る人など非常に稀だろう。

そう世の中には「かわいそう」と思われるどころか「自分が悲惨な状況である」と訴えたら下手すると「世の中を上手に立ち回れないお前のせいだ」だと無用な敵を作ってしまいかねなくて口を閉ざして底辺を這いつくばって生きなければいけない人が大量に存在するのだ。

そして、そういう人間は「何か」のキッカケで社会や他者に残忍なまでの攻撃性を向けていく。「お前たちは自己責任だと言った。だから俺は自己責任でお前たち、社会を破壊してやる。」と、こう思っても不思議ではない。

最近新聞で青葉容疑者の入院生活が連載されているのだが本当に読んでいて苦しくなる時がある。彼は本当に他人に優しくされなかったんだろうなと思う。優しさを無条件に受け取ることができなかったのだと思う。何らかの事情で家族の無条件の優しさが制限されると他人に上手に甘えることができなくなる。そして認知が歪んでいくのだ。

今引用した本は刑務所の更生のあり方を問う本なのであるが、著者が接した受刑者は「自分の心の奥底にある負の感情を我慢して押さえ込むという原体験」が「自己肯定感」を下げ犯罪に走らせてしまうということが書いてある。詳しくはまた読んで見てほしい。受刑者に必要なのは反省させることではなく「自分の負の感情と向き合うこと」なのである。

でも、それも難しいことである。負の感情を向き合うことは誰だって嫌なのである苦しい作業なのである。誰かの支えがなければ難しいこの作業を一番無条件で向き合ってくれる親に向き合ってもらえなかった子どもは誰からも向き合ってもらえない可能性がある高い。特に男性は。

ここまでつらつらと書いてきたがこう思う人もいるだろう。
「辛いことがあるなら相談してくれればよかったじゃないか」
「相談してくれないなんてもったいない。相談に真面目に乗る人が現れなかったのは本人の問題じゃないか。」

じゃあ聞く。

日頃から暗くて何を考えているか分からないように見え、太っていたり、ちょっと攻撃的な言動までしているぱっと見厄介な男が、同僚や周りにいた時にあなたがとる行動は何だ?

自分から近づいて話を聞くと答える人間はほぼ100%いないだろう。

それが現実なのだ。

「でも、それは本人のプライドもあったんでしょう。」
「周りが怖いだけなんて本人の思い込みだろ。」

それもまた事実なのだ。今よりもっと陰鬱としていた頃の私はプライドをかなぐり捨てて友人に色々話すようになってからスッキリするようになった。光が見えるようになった。ただ、底辺を這いつくばって息を潜めている間はそのプライドを捨てるためのスペースがないのである。目立つ行動したらすぐ叩かれるリスクを考えてしまい言えなくなる悪循環になってしまうのだ。そして鬱屈した考え方を自分の中で強化学習してしまう。

恐らく彼らもそうだったのだろう。あとはそれが何かをきっかけに爆発してしまえば溜めていたものが大きければ大きいほど起こす行動は指数関数的に大きくなっていく。

青葉容疑者は小説が盗用されたと思ってしまったから、植松被告は障がい者であるが故に底辺の自分より「手厚い支援を受けている人」を知り、「自分がその人を支援する立場」になってしまったことがきっかけになったのだと思う。

かわいそうランキングの底辺が抱える問題は本当に根が深い。人は誰だって愛されたいし褒められたいしそこに自分が居たいのである。それが幼少期の自分の自覚のないうちに一度躓くと下手すると一生躓いたままになって起き上がれなくなってしまうのだ。

以前、コミュニケーションについて悩んだ私自身の闇を友達にぶつけたら友達にはこう言われた。「たぶん世の中そんな難しいこと考えてコミュニケーションとってる人いないぞ。コミュニケーション取れるやつは息をするようにうまくコミュニケーションを取るから。考えるより前に練習していくしかねぇよ。行動しろよ。」別の友人にも「頑張って行動するとかしないとか悩むんじゃなくて、体力がないとか自信がないとかそう言う前にまずやってみろよ。」といわれたこともある。

行動できるだけで本当はすごいことなのだ。ただ、多数の人はそれが当たり前になっているから何でそんなに努力が必要な感じに語るのか分からないのだろう。それだけで幸せなことなんだと思ってほしい。常に失敗したらコミュニティにいられなくなる恐怖に怯えて、挑戦できなくなっている人はたくさんいる。

ちょっとだけプライド捨てて行動しようとして相談したら自分がものすごい努力が必要だと思ってることを他の人は難なくやってることを知る。そして、逆に何でできないの?と不思議そうな顔をされてさらに絶望する。この悲しみを支える人がいなければ挫折する。そしてまた余計に負の感情を押さえ込む強化学習をしてしまう。

当たり前のことが当たり前にできる人ばかりではないということをみんなに知って欲しい。その人たちだって生きている。悲しみを抱えながらも、自分の生き辛さを抱えながらも。願いは一つ。せめて彼らの悲しみを増やさないでやって欲しい。不用意な自己責任論や支えるつもりがない人間のアドバイスは悲しみを加速させる。

そして自分に余裕があるならそういう人間を少しでも支えてやって欲しい。社会の仕組みとして弱者のセーフティーネットは将来の自分への保険なのだ。もし無敵の人を減らすことができれば誰かが死ぬのを防げるかもしれない。自分の大切な人はもちろん自分自身の身を守ることにつながるかもしれない。そう思って欲しい。

まぁ、ランキング底辺のやつがいうことなんて誰も聞かないし、甘えてんじゃねーよっていわれるんでしょうけどね。

今日もランキング底辺は地べた這いつくばって生きていく。

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