eスポーツの漫然とした拒否感はどこからくるのか
どうも、今日も社畜して自宅に帰ってきた時Twitterのトレンド見ていたら「eスポーツ」とあったのでなんか画期的な取り組みでも出てきたかと思ってみたら、案の定というべきかいつもの論争であった。
なぜ、eスポーツの漫然とした拒否感がくるのか端的にまとめるのであれば「ゲームやデジタルディバイスに対する恐ろしいまでのマイナスイメージなのだろう。」
文部科学省がGIGAスクール構想について語った研修会のライブ配信の中でこういうことを言った一幕があった。
「海外の子どもたちはタブレットやスマホを情報端末として使って勉強しているのに対して、日本の子どもたちはそれを遊び道具の1つとしてしか思っていない。それは完全に我々大人の責任である。」と。
これはまさにその通りでデジタル機器に対する日本人のイメージは圧倒的に遊び道具なのである。そして、それは大人が制御しなければいけないもので制限されるベきものなのである。
学校の先生たちと話す機会があれば聞いて見てほしい。おそらく情報端末やゲームの話になると絶対に
LINE Twitter YouTube TikTokなんてこの世から無くなればいい。ゲームなんて意味がない。eスポーツ?ふざけんな。という先生が世代を問わずに10人に1人はいるだろう。
こう言った状況があったから、ゲームは日本の日常から切り離されてきた。浮世のものとなり今風の言い方をすればサブカルになってきた。
今、日本のサブカルが世界で金になるからもてはやされているだけでサブカルは「サブ」なのだ。社会全体として大切にされるものではない。それをやってるやつも社会の構成員のランクで言えば低位に置かれるのだ。
対してスポーツは日本の社会にものすごく密接なものだ。スポーツで頑張れば推薦をもらえ、学力が足りなくても極端な話顧問の先生が電話一本するだけで自分の好きな高校や大学に行くことができるのだ。その実績が日本の社会で評価されいい企業に入ることだってできるのだ。
だから、ここにミスマッチが生まれる。
自分たちが苦労して作り上げた日本型スポーツ社会を根幹から揺るがしかねないeスポーツはなんとしてでも排除しなければいけない勢力なのである。
eスポーツに対しての拒否感もここからきていることは容易に想像できる。本来は制限されるべき遊び道具を使って金儲けすることなんて信じられない。それをする奴には絶対に何かしら穴や問題があるに違いない。我々の世界に戻してあげなければとゲームを否定したがる人たちはあくまで自分の人生経験に基づいて「いつまでも遊んでるんじゃねーよ。」と言ってあげている親切な聖人だと自分のことを思っているまである。
余計なお世話である。
ただ、状況は大きく変わる可能性がある。前に読んだ「VRが世界を変える」という本の中に「キモズム」という言葉があった。
新しい技術は、世の中の人が「キモい」と思う時期を必ず通る。この「キモい」という感情を便利さや実利が上回れば「キモい」が消えて一般的になる。これを「キモズム」というのである。
サブカルもそういう歴史を通ってきた。昔は漫画家なんて道楽者がやる仕事だった。手塚先生だって過度な安売りなどでそんなにお金が儲かるというイメージではなかった。そんな流れを一気に変えたのは鳥山明先生である。
信じられないだろうが昔日本には高額納税者ランキングという高所得者の象徴ランキングがあり、ドラゴンボールで儲けた鳥山明先生が前年は低収入すぎて非課税だったのに一気に納税者ランキングのトップに躍り出て漫画などの専門学校が乱立して漫画を目指すことが立派な夢になった。
金になるとわかって、一般にもウケる作品が生み出せたおかげで「キモズム」が消えた瞬間である。
最近でもあっただろう。YouTuberである。この数年でYouTuberは職業として地位を確立してきたのもさまざまな問題はあるものの「キモい」という感情はだいぶ少なくなってきたように思える。
今eスポーツはキモズムの洗礼を受けている最中なのである。これを感情的になるのでなく冷静に淡々と社会への貢献になると示すことができればそのキモズムは消えていく可能性は高い。
それまでは、淡々と自分なりの貢献をしていきたい。今の職場での仕事を軌道に乗せてゆるドバ@を再開させたいものである。
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