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ヤクルト1000の本気

みなさん、「あけまして、おめでとうございます」
元旦から大きな地震に見舞われ、果たして「おめでとう」と言っていいのかわからないまま、SNSでの冒頭での挨拶は「おめでとうございます」と書いている私です。

 元旦に新聞を手にしたら、すごい量の広告が入っていてビックリした🫢
多分、毎年このように大量の広告が入っていたと思うが、今更驚いたということは、お恥ずかしいがここ何年も新聞を読んでいなかった証になる。
 広告を横目に「今年はちゃんと新聞を読もう!」と一人でささやかな誓いを立て、テーブルの上に新聞を広げていった。すると・・・
見開き片面いっぱいに武士らしき男の後ろ姿がどっか〜んと載っていた。
よく見ると坂本龍馬が発したであろう言葉が記載され、その下に小さく
「挑み続ける人へ」のキャッチと共にヤクルト1000が載っていた。
その時点で初めてヤクルトの広告だと知り、なんだかカッコいいじゃん!と心を揺さぶられた。



覚悟の磨き方

覚悟を決めろ!

 
 坂本龍馬と同じ時代を生きた一人に吉田松陰がいる。龍馬もカッコイイ人だったが、私は自己紹介にも書いたように吉田松陰を尊敬している。
ずいぶん前に池田貴将さんが編訳した著書「覚悟の磨き方」を読み、それ以来心が折れそうになった時には読むようになり、本には多くの付箋がひらめき、本文には随所にマーカーが引かれ、当時の私自身の言葉も残っていてまるで日記帳のようになっている。
 いつからかわからないのだが、私の座右の銘は「覚悟を決めろ」になった。
「覚悟」を辞書で引くと、「悪い事態を予測して心の準備をすること」「迷いを去り道理を悟ること」とある。しかし、私の場合はそんなに綺麗なものでも堅いものでもない。円陣を組んで「さぁ〜いこう!」みたいなどちらかというと挑んでいこう!みたいな感じの「覚悟を決めろ」だ。
 なので、今回のヤクルトの広告の言葉には心を揺さぶられたのだと思う。

懇願
「お願いです。本当にお願いですから
たった一回負けたぐらいで、やめないでください」

覚悟の磨き方

 この文章の横に「やめません、何千回負けてもやめません」という私の汚い文字が走り書きしてある。いつ、何を思って書いたのか、今となってはわからないが、私はいつも何かと闘っているような気がする。
 人生勝ち組か、負け組・・・っていう言葉をよく聞くけど、あれって人生のどの時点での勝ち負けをいうのかな?私の波瀾万丈な人生をもっていうなら、ポリグラフにかけられた小心者のデータのようにビュンビュンするのだけれど・・・
どこが勝ちでどこが負けなのかな?だから、勝ち組とか負け組なんてどうでもよくて、本当に意味のない言葉だと思う。
 ただ、私はきっと自分と闘って勝ったり負けたりしているんだと思う。
だから、「何千回負けても」なんて書いているのだろう。

Noteを続けていくために


 以前は文章を書くことが好きだから、小説とか詩とか色々アメブロで書いていた。でも、文章を書くことって体力がいるので、六十代に入り不摂生な生活をしている現在、小説みたいなものを書くことはできないかもしれない。いや、できるんだけれどできないと自分で決めつけているだけだ。
 これは自分のためでもあるのだが、吉田松陰の言葉を紹介していこうと思う。
その他に読書録や、自作の短歌や詩。誰も見てくれなくてもいい。ただ自分のために・・・

 挑み続ける人・・・その中の一人になりたいな。

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