見出し画像

愛犬の死から学んだこと

我が家には4匹のワンちゃんがいた。

「いた」というのは過去形になるので現在は三匹である。12月11日二番目に我が家へ来た「たつお君」が天国へ旅立った。我が家へ迎え入れた頃から病気がちで、獣医には「半年もてばいい方かもしれません」と言われたが、たつお君は13年も私の側にいてくれた。幼い頃の病気のせいで体は小さく、いつも子犬に間違えられていた。愛くるしい表情、犬の鳴き声には聞こえない「ワン!」が特徴的で家の者以外の人からも可愛がられる存在だった。

 12月11日夜、前日から便の出なかったたつお君は苦しそうで、私と娘は排便を促した。するとちょっとだけ力んだ後堰を切ったよう様に便が出た。「たつお、頑張れ!」私と娘、そして主人も顔を出し家族三人でたつお君に声を掛けた。私はすでに立ち上がる事のできないたつお君を左手で持ち上げながら声を掛けていた。便が出れば少しは楽になるだろう、と思った私はたつお君と気持ちが通じた気になり単純に喜んでいた。でも、ふと気付くとたつお君はぐったりとし、左の手のひらで感じていた鼓動は止まっていた。その時の手のひらの感触は今でも覚えている。「心臓が動いていない」私が小声で言うと主人がたつお君を抱き上げ「たつお!たつお!」と大声で名前を呼んだ。娘も同様に叫んでいた。午後10時家族三人で高速に乗り、通い慣れた動物病院へ向かった。30分ぐらい走ったと思う。いつもなら高速を使っても1時間弱かかる道のりなのに、今思えば主人は凄いスピードで走ったのだろう。車中には娘の悲痛な叫び声がエンドレスで響いていた。私は神や仏、月や宇宙、ありとあらゆるものに祈った。

「どうか、もう一度心臓を動かしてください」

 病院に着くと獣医師が待っていてくれて、聴診器をたつお君の胸に当てながら暗い面持ちで「そうですね、心臓は止まっています」と一言だけ言った。私たち家族と獣医師二人しかいない診察室で、家族三人大声で泣いた。人間同様心臓マッサージとかAEDをして貰えると思っていた私は、冷静になるとすごく浅はかで愚かだ。「寒い時期ですから3日ぐらいはこのままの状態で大丈夫ですよ。その間、ご自宅で最後の時を過ごしたらどうでしょうか?」獣医師の申し出を受け入れると、「では綺麗に処置をしてきますので少しお待ちください」と言ってたつお君を抱き上げ処置室に入って行った。30分ぐらい後、目ヤニやヨダレで茶色くなってしまった所を綺麗にして貰ったたつお君が、小さな箱に入れられて戻ってきた。傍らにはお線香が三本と小さなお菓子、そして足首にはピンクのお数珠が巻かれていた。

「強い子でしたね、不自由な前足で走っていた姿は、本当に可愛かったです」

 白いガーゼのお布団の中のたつお君は、ただ眠っている様で触れるとまだ温かく、私は気持ちをどこへ持って行けばいいのかわからないまま獣医師にお礼を述べ帰宅した。

たつお君は虹の橋を渡ってしまったけど、たつお君との想い出はいつまでも心と身体に染み込んでいる。

たつお君が教えてくれたこと…どんなに小さくても、どんなに苦しくても強く生きるということ。

私と主人は、たつお君の死を悲しみに埋れさせない為、キッチンカーでやきいもを販売すると決めた。
還暦を迎えた二人だが、きっと何処か空の彼方でたつお君が見てくれていると信じて…

勇気をくれた君に捧げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?