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随想好日『カラヴァッジオ・エマオの晩餐を通して考える今の私が食べたいものとか』

随想好日『カラヴァッジオ・エマオの晩餐を通して考える今の私が食べたいものとか』

サムネイルの説明・作者/ミケランジェロ・メリージ・ダッ・カラヴァッジオ
画のタイトル「エマオの晩餐」・1601年・
ロンドンナショナルギャラリー収蔵
 この画については私ごときがウダウダ書くことは留めおかねばらないのである。興味がある御仁は宮下規久朗氏の本を読んで頂くことが、最も正確な知識と教養を身に付けることが出来るだろう。

がだ、一つだけ私流の凝着姿勢を見せておきたい。ここは私の別宅であるがゆえご寛容願いたい。
尚、書くまでもなく、素人による凝着姿勢であるからして、精々フフン♬と笑い飛ばしておいてほしいところでございまする。

さてまず、見て欲しいのは以下の部分画像である。

カラヴァッジオ 「エマオの晩餐」俺流凝着箇所

さて、ここにお運びの皆さんなら、この部分画像からどの様なドラマを思い浮かべることが出来るだろうか。
カラヴァッジオ研究では世界的な権威として知られた宮下規久朗氏は「突出効果」という言葉を用いてこの画の解析をしておられる。
 私のような素人であり、画を触媒として小説であり物語を紡ぐことを志す者にとっては、チョイと「時間」の流れにドラマを見出してみたくなるのである。

 さて、なぜ下段のフルーツバスケットはかくもテーブルからはみ出し、今にも落ちそうなところにまで迫り出しているのだろうか。
落ちる寸前である。
 
 どうだろう……カラヴァッジオが時間を止めたと考えてみることもできそうだ。即ち、このバスケットは下に落ちる寸前であり、このバスケットが下に落ちるドラマチックな展開をプロデュースしたのは、磔刑の構図さながらに大きく手を広げたおっちゃん(キリストの弟子・クレオパ)なのではないか。「主よ貴方は磔にされ絶命したではありませんか ! こんな奇跡が ! !」
 手を広げる際に、フルーツバスケットに手をぶつけてしまったのである。 
 
 よくあることだ。飲み会の席、宴もたけなわ一人は居るであろうお調子者。ついついオーバーアクションをしてしまい他人のグラスまで倒してしまうシーンなどは思い出すに苦はあるまい。

 人間が手を広げるときというものは、いきなり真横に広げることはまれである。普通に考えれば、下からだろう。手が引っ掛かったのだね。きっと。

速水御舟 「鍋島の皿に柘榴」

半年ほど前の原稿でも書いたことだが、御舟は瞬間(時間)に凝着姿勢を見せていると私は紹介している。
この鍋島の皿の上、柘榴が"このように"姿を留めることはないだろう。
動きであり動きの瞬間を切り取った、その瞬間に見せた御舟の凝着。

420年前の画家との隔たりは370年に及ぶのだろうが。
人間が一瞬を捉える感性というものには時の隔たりは無さそうだ。

それにつけてもだ‥‥‥‥
鰻が食いたい。うな肝焼きが食いたい。うまき卵とうざくが食べたい。
今日亭の天ざる1.5が食べたい。月山の天ざるが食べたい。
大助の刺身が食べたい。ハラトロイクラ丼が食べたい。
ウニイクが食べたい。ツボダイが食べたい。ちーじゃがが食べたい。
白子も、あん肝も食べたい。メロンのハーフカットが食べたい。
旨い赤身の刺身が食べたい。チョイと鉄味の乘った、手で触るとベタっとするぐらいの赤身。
そして、豚骨ラーメンが食べたい ! ! チャーハンも食べたい。
あぁ。なんでこんなに食べたいものがあるのだろう……

世一

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