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懲りるを演出する。それが親としての私のテーマ。

保育園に送って行ったら、息子のロッカーから靴下2組。もちろん使用済。そういえばこないだ迎えに行った時、履いてないなとは思っていた。ウチの靴下の在庫が減ったなとも感じていた。そこにあったか!!


さて、私の親としてのテーマは「懲りるを演出する」である。

困ったことにならないと、気が付かないのが人間だと考えていて。
「もうこりごり」ってなってから、やっと自分の頭で考えてやれるようになる、と、思っている。(←自分がそうだっただけ。低レベル。)

その「こりごり」を演出しようとできるだけ息子のことに手を出さないようにしているのですが、靴下なんてなくても気にしないのがヤツである。

数日熟成させた二組の脱ぎっぱなしの靴下を発見した息子は「あ!母さん、コレ!」と満面の笑顔でポイ投げしやがりました。

ぜんぜん懲りてねーし。

なんなら今朝も帽子とタオル忘れてるし。(母が忘れたんじゃありません。息子が忘れたのです。)

ぜんっぜん懲りてねーし。

ふう。
いつになったら忘れ物しなくなるのやら。

でも、先生にはちゃんと自分の言葉で「帽子とタオル忘れました、貸してください」とお願いできておりました。母なる私が(一応)「すみません」と先生にお伝えしたら、、息子が「母さんが忘れたんじゃないよ」とかばってくれましたが。(そうだそうだ!)

息子が忘れ物をしないようにしっかり指導するのが親の役目と思われる方もいるでしょう。でも、、うーーん、、。そこは彼の生きる道。彼自身が忘れ物をしないようになる、ということがひとつのゴールなのですよね。子どもに忘れ物をさせない親になるのがゴールではないのです。

ちなみに、、
「ダメな親と思われるのを厭わない」←コレ、私のもう一つの親としてのテーマです。

そういう私自身、なくしもの落とし物忘れ物の常習人。でも、、ここぞ、という時の失敗はこれまで(ほとんど?)ないのですよ。中くらいの「懲りる」をあまた繰り返し、絶対しちゃいけない失敗を回避できてるような気がしています。自分は「失敗しない」と決して思えないことが最大のミスを防げている理由のような気がします。(いつか最大のミスをおかすんじゃないかという日々のドキドキが消えることは決してありません。いつかやらかす、という自信には満ちております。)

一番大切なのは、

困ったことがある時に、まわりにちゃんと「助けて」って言えるかどうかなのでは、と思うのですね。

私、助けてくれる人がいてここまでやれてきました。助けてもらって、私も、そして息子も成り立っております。


ありがとうそこのあなた。
センキュー世の中。

懲りるを演出する。失敗を演出する。

息子がちゃんと自分の失敗を認めて、誰かに助けてって言えるように。

そして、助けてって声が聞こえたら、誰かを助ける側にまわれるように。

そんな風になってくれたらいいな。

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