見出し画像

仕事について

最近、友達と話して仕事って本当ご縁で決まるのかなって思うようになった。

私の仕事はまだ本格的に始まったわけではないけど、研究である。

人に凄くお仕事お似合いだねって言われても、未だにそうかな~としか思えない日も多いし、研究って仕事は、毎日、進んでいるのか、止まっているのか、はたまた自分はさぼっているのかさえ分からない。

論文がうまく書けない日、うまく説明出来ない日…考えても考えがまとまらない日…論文書いても認められない日…
この業界の人間関係も何もかもたまに嫌になって全部放り出して、旅に出かけたくなる日もある。それでも、お給料をもらってるし、人とのつながりもあるし、ここで築いてきたものがあるからやめられない。放り出したらゼロになってしまう。ここにくるまで費やしてきた時間、お金が無駄になる。ここに来るまで、辛くて流した涙も。応援してくれた人の声援も…。支えてくれた人のご恩を無駄にはできない。


もちろん、精神的に肉体的にもう限界って時はやめないと仕方ないと思う。
逃げるが恥だが役に立つって言うし。でも、今の私は自分の気まぐれでやめちゃいけないなって思う。それでも、研究の仕事ってすぐに結果が出ないし、顧客もいないし、発表したら批評されないといけないし、結構タフである。

それでも、仕事が全く苦痛ってわけでもない。研究手法など、何か新しいことを学べた時、とても嬉しくなる。 昔からの同じ方法でずっとやっていたら安定かもしれないけど、楽しくなくなるし、最新の研究には最先端の技術が必要。

研究と話が逸れるのだが、クリントイーストウッドの映画を最近追っているのだけど、彼は俳優プラス監督の仕事をしている。俳優から監督になってからもジャンルを変え、人を変え、最近までずっと制作活動を続けてきた。
私はなぜ人は飽きずに同じような仕事をし続けられるのかって本当興味を持つようになった笑笑

映画って人からの評判、興行成績、アカデミー賞受賞など結果を表すのにいろんな指標があるし、撮影とか編集って数年の長期戦だと思う。それでも飽きずに撮れるのは何故だろう。彼には何か映画として残したいって願望があったのかな。そういうの凄く大事だなって思う。

研究もある意味これまでわかってこなかったことを解明する仕事だから、クリエイティブな部分が大きい。でも、そのクリエイティブさが、人に何を訴えるかって何かしら哲学がないとやってる意味とか分からなくなるように思う。。。それが分かって結局何になるのって部分。

そういう哲学的なことって年齢とともに変わるし、環境によっても異なると思う。若手の私はそんなことよりも論文を出さないと安定した仕事、研究できる仕事に就けない。

若手の私は一貫したテーマがよくわからないけど、私の研究を観たら何かしらの救いとか、苦しんでる人が聞いたらホッとするようなトピックを選べたらいいなと思う。

目下の疑問は同じ業界でずっとキャリアを築いてこられた人について研究してみたいなと思う。


10分間で日々思うことを書けたらと思い始めました。