どうしようもなくて #1
そうやって、わたしは必死に空白をかき集めていた。そのことに気づいたころには、もう何もかも手遅れだった。
『あなたは将来、何になりたいの?』
システムエンジニアになりたいです。大学ではVRの研究に携わりたいと考えています。
嘘です。就職にも困らなそうだし、流行っているから適当に言いました。人間の語る目的も中身もない夢なんて、すべて夢に値しないし、しょうもないから粉々に砕きたい。
『本当にやりたいことは何、って聞いてるの』
何もないです、空白だから。
そうこうしているうちに日本中が未曾有の災禍に襲われたのは3年前の2020年2月、高校2年生が終わるころ。部活も勉強もしなかった空白の高校生活だったけれど、最後になにかひとつでも努力した証を作りたくて、高1の範囲から受験勉強を始めた。
そして何より、実家を離れて上京したかった。そのためには学費の安い国立大学に合格しなければならない。人生のこの体たらくは生まれ育った環境が悪いのだと決めつけながら、生まれてはじめて何かに本気で取り組んだ。
国立大学を志望するといっても、浪人はわたしの選択肢になかった。実家の牢獄に囚われるままだからね。本格的に私学の方針を見定め始めたのが、模試で志望校のD判定が出た10月ごろだったとおもう。
みんなは知ってるよね。私学の中でも理系と文系で学費が倍近く異なること。
あまり知られていないのは、自宅通学より自宅外通学の方が多く奨学金がもらえること。
わたしは、関東ならどこでもよかった。だって別に、将来の夢なんてないのだもの。情報系にこだわりがなかったから、そこそこ興味のある私学の経営学部や心理学部に目星をたてた。
母親は地元の私立なら学費の高い理系でもいい、けれど一人暮らしは許さない。と言うものだから、「自宅・私立理系」と「自宅外・私立文系」に金銭面の負担に違いがそこまでないことを何度も、何度も示した。
母親にいい顔はされなかったけれど、特別な奨学金で学費を安くすることに成功したC大学理工学部と、学費の安いT大学経営学部のセンター利用を滑り止めとして受験した。
結局、わたしは国立大学に合格したのにどうして私学の話をしているのか。それは、今になってようやくわかった、あれが人生の岐路だったということ。そして、道を一度踏み外していたということ。
1月、共通テストの自己採点が終わった。目標の点数にはあと1割も届かなかった。志望校の一般入試の過去問は全く解けなくて、それまでの人生で努力を怠っていた自分の非力さを痛感した。空白の人間がたった1年間努力したところで、たくさんの努力で人生が満ち溢れた人間には勝てない、自然の摂理だね。
そして、国立の一般入試はひとつレベルを下げた先の大学を受験することにした。決めては、工学部特有の地方への疎開がない、情報系の大学だったということ。
踏み外したはずの道、それがほんとうは正解だったこと、3年前のわたしはまだ知らない。
[MV]だいじょうぶ - 東 雪蓮
ここまで読んでくれてありがとうございました。
次回はもっともっと沈みます。
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