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Saniwa Cardでスピリチュアルカードリーディング@源頼朝公ゆかりの神社 千束八幡神社

今日は、お仕事終了後、急いで禊ぎをし、着替えて神社参拝してきました。

自分自身の心と向き合い、内観し、瞑想し、心穏やかな時間を過ごす為に足を向けてみました。

この辺りは、古(いにしえ)の伝説や伝承のある霊験あらたかな地です。

何より穏やかで素晴らしい聖地がいくつも点在する地域でもある為、とても気に入っています。

参拝後に、瞑想した後、カードリーディングをしてみました。

お題は、「ご縁あってこの動画を見た人、ご縁のある人に向けてメッセージを下さい。」です。

では、メッセージの内容をお伝えしますね。

Saniwa Cardリーディング
公式HP 吉永有寿

Saniwa Card
スピリチュアル
カードリーディング

心を繋ぎ止めることなく自分の信じた道を進みない。楽しいと感じながら進むとあなた次第で、イバラの道すら学びや気付きとなるでしょう。
心の持ち方ひとつで信じた道が始まりの時へと変わり、運命が大きく好転するでしょう。
正しい道より楽しい道を進みなさい。

それでは、素敵な日曜日の夜をお過ごし下さい!

千束八幡神社

洗足池西側にある千束八幡神社は、古くは 貞
観2年(860)に大分県の宇佐神宮 (八幡神の総本宮)から分霊を勧 請し、洗足池周辺の鎮守
となったという由来の神社です。

神社には、 平安時代後期に清和源氏が八幡神を氏神として信仰したことから、 源 義 家や頼朝に関する伝承が残されています。

例えば、当神社は別名「旗上げ八幡」とも呼ばれていますが、これは、頼朝が相模国
(現在の神奈川県)の「石橋山の戦」に敗れ、安房(現在の千葉県南部)に逃れたあと、鎌倉に向かう前に洗足池付近に立ち寄って陣を張ったとの言い伝えに由来しています。

さらにこの時、一頭の馬が現れ頼朝の手に渡ります。その柄が、青い毛に白い斑点で、まるで池の
水面に映る月のようだったため、「池月」と命名したといわれています。
この伝承にちなみ、現在の東急大井町線北千束駅は、昭和3~5年(1928~30)の間「池月駅」という駅名でした。

池月はその後、頼朝の家臣の佐々木高綱に下賜されます。高綱と池月は、源範頼、義経が源(木曽)義仲の軍勢を破った「宇治川の戦」で、頼朝が同じく区内の馬込で手に入れた名馬磨する墨に乗る梶原景季節と、先陣争いを繰り広げました。この出来事から、池月と磨墨は名馬として全国に知れ渡り、現在でも北は青森県、南は鹿児島県まで、大田区以外にもこの2頭に関する伝承が各地に残っています。

千束八幡神社境内のすぐ北東には、池月の銅像が建ち、洗足池を見つめています。
また、目の前に
かかる池月橋は平成28年 (2016) に架け替えられました。 全国でも珍しい三連太鼓橋で、昔にタイムスリップしたような風景が広がり、毎年5月には和楽器の音楽イベント「 春 宵の 響」が開催されます。

御祭神
応神天皇

神明宮 摂社
天照大神、伊邪那美命、大山津見命、猿田彦命、菅原道真命

名馬 池月
千束八幡神社

千束(せんぞく)の由来
現在は洗足池や洗足駅といった名から「洗足」の名が使われる事も多いが、現在も地名に残るように当地の古い地名は「千束(せんぞく)」と称した。
「千束」の地名由来は、当地は免田地であったため「千束の稲」を税(年貢)から免除されていた土地だった事から「千束」と呼ばれるようになったとされている。

太鼓橋

源義家(八幡太郎)が戦勝祈願した伝承
その後、源氏の氏神である八幡神を祀る当社は源氏からの崇敬を集めていく。

永保三年(1083)、後三年の役で奥州討伐へ向かう源義家(八幡太郎)が千束池(洗足池)で禊をし戦勝祈願したと伝えられている。

源頼朝と名馬池月の伝承・旗挙げ八幡の別名
治承四年(1180)、源頼朝が安房より鎌倉へ向かう際に当地に宿営。
この際に名馬・池月の伝承が残されている。

源頼朝(みなもとのよりとも)
鎌倉幕府の初代征夷大将軍。
鎌倉を本拠として関東を制圧し、源義仲や平氏を滅亡させ、戦功のあった弟の源義経を追放、奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定。

千束八幡神社
神明宮


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