ハードルをとびたくなんかない

 ただでさえも浮き沈みのある人生において、日々の生活の起伏はできるだけ少ない方がありがたい。
 それでも否応なしに、乗り越えねばならぬあれこれは、ある。
 それは、全貌が見えない壁のカタチをしていることもあれば、わかりやすくハードル状態のこともある。
 ハードルのときは、「ああ、これをとべばいいんだな」という全体の構造とゴールは見えはするものの、あれで案外、次から次へ、そしてまた次から次へ…という独特の配置が、こちらの精神力と体力を地味に削りに来る。
 毎日の食事の準備や洗濯や掃除なんて、その典型だと思う。
 一応、ゴールは、あるにはある。その日のハードルは、すべてとび越えて(あるいはなぎ倒して)、一日が終わることにはなっている。
 でも、また翌朝には、新しいハードルがズラリと並べられ、「ふぁーーーー!今日もまたコレとぶのか!!!」という気持ちから始まる。
 

 そんな日々において、お菓子作りは、完全に「やらなくてもいい」部分だ。
 非日常の極み。わざわざ突っ込まなくていい予定。
 ただでさえも忙しく余裕がなくいっぱいいっぱいの毎日に、「手作りお菓子で楽しいひとときを♪」って言われたって、はーーー?誰が作るの?私?で、誰が片付けるの?私???ってなりませんか。私はなります。
 だって、楽しさを求めて、ひといき入れたくて、ホッとしたくて、コーヒーブレイクやお菓子タイムがほしいのに、そこに至るまでに「これだけの高さのハードルをいっぱいとんでください!」、その上に、「終わったらそのハードルも全部片づけてくださいね!」って言われたら、いやいやいや、もういいです。買ってきますんで。買ってきて食べますんで。ってなる。
 

 じゃあ、どうして私が作るようになったか?というと、理由はふたつ、「買いに行くのも地獄」「作った方が美味しかった」。これに尽きてしまう。
 ひとつ目の地獄について言及すると、涙なしでは語れない。乳幼児連れで買い物に行くことの、地獄。
 遠出するときは、まだいい。準備にかける手間ひまと、買い物に出る大変さと、買い物で得られる戦果がそこそこ釣り合うから、大変だし疲れるけど、それなりに納得がいく。
 いちばんしんどいのは、実は「徒歩圏内のコンビニに行きたい」っていうときだ。
 すぐそこなのに、果てしなく遠い。
 すぐそこのコンビニに行って、おうちカフェ的な甘いものを買ってきて、コーヒーや紅茶を淹れて、ちょっと食べたい、だけなのに。嗚呼ただそれだけなのに。
 アンパンマンに夢中な幼児と、寝ている乳児、置いていくわけにはいかない。
 「ね、お母さんコンビニに行きたいから、一緒に買い物いこ」と一言声をかけたばっかりに、そこから始まる阿鼻叫喚の地獄絵図。
 グズる幼児、泣く乳児、靴を履かせるまでに20分。自転車に乗せるのもひと苦労だ、そもそも機嫌が悪い幼児、座席でのけぞったりえびぞったり、基本的に何らか「ぞる」のをやめない。あぶない。そして抱っこ紐の中で、サイレンかな?ってな具合に泣き叫ぶ乳児。
 泣きたいのはこっちだ。コンビニに行きたいだけなのに。近いのに。ちょっと行ってパッと選んでサッと帰りたいだけなのに。
 お店に着いたら着いたでまた地獄だ。隙あらば店内を回遊する幼児、ラムネだのグミだの、ジュースだの、買って買って買って買って攻撃。待って。お母さんにも選ばせて。真剣に考えてるところなんだから、ちょっと静かに、ちょ、うるさい、待って、ま、…アアアア!
 こんな思いをしてまで、コンビニに行きたくない。コストコくらいじゃないと釣り合わない。
 でも、「あ~、今、ちょっとひといき入れたいなあ…、今ここに、美味しいおやつがあったらなあ…」っていう瞬間は、数限りなくあるし、そんなときにコストコは間に合わなさすぎる。
 そしたらもう、作ればいいんじゃない?って、私は思った。人は追い詰められると発想がマリーアントワネットになる。
 そして、作った。
 そのときに、わかった。「これはもう、戻れない」。
 できたてのお菓子は、美味しい。
 ちょっと寝かせて味がなじんだやつも、美味しい。
 ちょうど好みの感じに仕上がった、自分だけのおやつは、本当にすてきだ。これはもうやめられない。
 だけど、絶対に譲れないのは、「ハードルをいっぱいとびたくない」「ハードルの後片付けもヤダ」っていうことだ。

 そして追求し続けた結果、ボウルひとつで完結する、パウンドケーキができた。
 用意する焼き型は、100円ショップのもので全く問題ない。
 洗い物は、ボウルひとつと、泡だて器、ヘラだけ。
 あ、バナナケーキにするときは、バナナを潰す入れ物とフォークだけ、追加で洗ってください。洗い物増やしてほんとごめん。でも、これ以上は決して洗わせやしないから。

 私のおすすめのお菓子作りタイムは、「洗い物がいっぱいあるとき」とか、「洗濯物がたまってるとき」とか、「部屋が荒れてるとき」。
あと、「気が重い予定がこのあと控えているとき」。
 そんなときに、この、ボウルひとつで焼きあがるパウンドケーキを仕込む。
 散らかった部屋で。
 荒れた台所で。
 山積みの洗濯物を横目に。
 グズグズしてる我が子をとりあえず無の心でスルーしながら。

 大丈夫、5分くらいで終わる。

 そして、オーブンに入れたら、そこから45分、集中して家事をすることができる。子どもの相手もできる。
 「これを終わらせた頃に、美味しいケーキが焼きあがる!」
 「部屋を片付けたタイミングで、淹れたてのコーヒーとケーキでひとやすみできる!」
 「焼きあがるまでの間、一緒に子どもと遊ぼう!」
 「気が進まない用事だけど、終わらせて帰ってきたら、ケーキを食べてゆっくり気分転換しよう!」

 何かゴールがあれば、そしてそれが楽しいことや嬉しいこと、ましてや美味しいことであればなおさら、人は頑張ることができる。
 あんなに山積みだった洗い物も、まずはお菓子作りに使ったボウルを洗って、そのままついでに続けて洗って、洗い終わってみたらせいぜい10分だった。心理的には30時間くらいの重さがあったのに。
 焼きあがるまでまだ時間がある。ついでに掃除もできる。
果てしなく見えた洗濯物も、焼きあがるまでには片付く。
 片付けるものが何もなければ、グズグズの子どもと遊ぶこともできる。
 「一緒にケーキ食べようねー♪」って楽しみに待つこともできる。
 そして、気が重いながらも、いつもどうにかこうにかとんでいたハードルをいくつか越えたあとには、なんとケーキが焼きあがっている!居ながらにして!ケーキが手に入る!

 日々の果てしなくキリがない頑張りを越えたときに、美味しいもので自分をねぎらうことができる、その癒し効果ははかりしれない。本当に元気が出る。
 そのうち、私にとって、「日々の果てしなくキリがない仕事」は、とぶべきハードルではなくて、「お菓子を待っている間のついでの用事」になった。
 だって45分も時間があるし。待ってる間は楽しみだから元気があるし。
 ついでにやっちゃおうかな~、っていう感じで、サラッと終わる。

 ただでさえも山あり谷ありの人生において、日々の起伏は少ない方が心身ともに助かる。
 そして、起伏があるならば、できるだけ楽しくその道のりを歩んでいけたら、もっともっとありがたい。
 自分で作るお菓子って、そんな風に自分を元気にする力があると、私は思っている。

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