自縄自縛ガールズになっても -2023/06/17(土)

※日記って本来そういうものではあるんですが、それにしても本日はテンション高めの自分語りです。天晴れ!!!☀☀☀

あきやあさみさんの提唱する「自問自答ファッション」に触れ、「面白そうだな~」と思ったのが2021年の秋。そこから2021年冬・2022年春と「自問自答ファッション講座」(現在は申込停止中)に応募し、2回目の応募でめでたく当選した🎉
講座を受ける前の事前アンケートに「体型・ファッションの悩み、これからなりたい雰囲気」を記入する欄があり、1年前の自分はこのように記載していた。

下半身が太いので、脚のシルエットが出るような服が着られずボトム選びがストレスになっています。
一見して「あ!この人オシャレ感度が高そうだな~」「ひと癖ありそうだな~」という雰囲気を出したいのですが、子どもが小さいので動きやすい服装希望です。(難しいですよね…すみません…!)

すごい恥ずかしいけど原文ママ

清々しいほどの他人軸&ボディコンプレックス丸出しだ。
けど、私はいわゆる「自分の好きが分からない」タイプではなく、「自分の好きはハッキリしてるけど、それを全部盛り込むとめちゃくちゃチグハグになってダサい、私はお洒落※を愛してるのにお洒落は私を愛さない……」みたいなタイプだった。だった、というか今も現在進行形でそういうタイプだ。

※ここでいうお洒落とは「自分の『好き』を、他人から見て『オシャレですねえ!』と思われるようなスタイリングに落とし込める状態」を指す

晴れて昨年秋に「自問自答ファッション講座」を受講し、重すぎて文鎮みたいになった腰を上げ、Twitterとnoteを開設、「自問自答ガールズ」として現在に至るまでちまちまと自問自答をし続けている。が、じゃあ講座を受講して半年ちょい、いわゆる「お洒落(=自分の『好き』を、他人から見て『オシャレですねえ!』と思われるようなスタイリングに落とし込める状態)」になったかというと、答えは完全にコレ。

「まずは自己評価・相棒となる《靴》を手に入れるところからはじめましょう」という教えを盛大に振り切り、殆ど着る機会のないBABY,THE STARS SHINE BRIGHTのJSKを2着予約購入したかと思えば、「結構良いバッグが買えるよね」という額のお金をぶち込む形で二重全切開の手術をしたり。

一見して「あ!この人オシャレ感度が高そうだな~」「ひと癖ありそうだな~」という雰囲気を出したいのですが、(後略)

講座受講前にこう👆言っていた「なりたい姿(外見・雰囲気)」には全くなれていない。少し二重幅が狭くなっただけで、一見すると特に前とは変わらぬ私が鏡に映っている。

が、私の脳内ではかなり大きな変革が起きている。毎日大忙し!!!
まずイマジナリー世間体のクソデカ悪口を無視することを決意し、「お得」の呪縛から自分を解放し、「結婚指輪=シルバーのシンプルなリング」という思い込みを捨て去ったり。

どれもこれも他人から見たら小さなことかもしれないが、私にとっては超・革命的な出来事で、イマジナリー世間体の悪口の声は今も脳内に響き渡っているものの、騒音レベルも「選挙カー」から「雑談」くらいにまでは落ち着いている。

私にとって自問自答ファッションとは、単に「自分の『好き』を、他人から見て『オシャレですねえ!』と思われるようなスタイリングに落とし込める状態に至るまでのハウツー」ではなく、「自分の中に根付いていた勝手な思い込み・偏見をベリベリと剝がしていく」作業に他ならない。
あきやさん、自問自答ガールズの皆には本当に感謝しかない。

***

が、「他人が大声で言っていること」を勝手に脳内に取り込みがちな癖は今のところ健在も健在、大健在である。
というか、「別に誰も言っていないこと」まで勝手に「世間の常識」に変換し、脳内にモリモリ取り込む癖がある。
これを自縄自縛と呼ばずになんと呼ぶのか。めちゃくちゃ不毛だが、やめたいと思ってやめられるならもうとっくにやめている。

自問自答ガールズの皆の発信は、見ていてとても楽しい。
考えに考え抜いた上で選んだ洋服やアクセサリーはどれもキラキラ輝いていて、眩しくて、素敵である。
人には人の自問自答」、そう呟いても、眩しい他人の自問自答の軌跡が「正解」に見えてきてしまう時がある。特に自分に自信がない時。
安易に他人の努力に乗っかり、筋道だけをなぞって自分も最短距離で「正解」にたどり着こうとする悪癖である。

自問自答ガールズになって数ヶ月、超超楽しいことばかりだったし、人生最高~!と思える瞬間も何度もあった、でも最近は正直言うと「自問自答ガールズならこうだよね」「"アヅマ”ならきっとこうするよね」と勝手に自分で自分を縛り付け、その中でウーンウーンと苦しんでいた。

自分もモード系の服を着て"何か”と戦わないと、自己主張をしないといけないのでは…?
自分もリングやピアスで手や耳元を「盛り盛り」にしないとお洒落になれないのでは…?
「似合う」を優先するより、「好き」を優先すべきだよね…?
百貨店ブランドじゃない服、ハイブランドのアイテムじゃないのは「自問自答ガールズ」として不正解…?
「アヅマ」としては、これを買った方が「ウケる」んだろうな~…




そもそも、誰もそんなことは言っていないんである。
「自問自答」なのだから、「正解」なんてものは自分の中にしかないんである。でも、なんだか自分の掘っている穴に自信が持てない時、ソワソワソワソワしちゃって、他のモグラちゃんが掘っている穴や地層ばかりを気にしてしまう。
自分の選択より、他のモグラちゃんの選択のほうが「正解」なのではないか、と思ってしまう時がある。

て い う か

ハイブランドの15万円の素敵な靴だって、100人いたら100人全員の「正解」になることはない。セリアの500円サンダルが「正解」になる人だっているし、その人が間違っているわけでもない。

勿論そんなことはとっくに、頭の中では分かっているんです…!

でも例えば(例えば、ですよ!)、誰かが「DI●Rのパンプスを買いました!」と言っていたとしたら、DI●Rという文字列だけで「オッ!良い買い物したね!」と勝手に判断してしまう。「UNIQL●のパンプスを買いました!」と言われても、同じ温度感で「オッ!」とは思わないのに、DI●Rという文字列だけでついつい勝手に「良い買い物体験だったのだろう」と思ってしまうのだ。
それが「良い買い物」だったかはその人にしか分からないのにね!

他者ブランドネームに価値判断を委ねて踊らされて、いるな…?


そう気づくと、妄想クローゼットに入っていた「憧れアイテム」も、これ本当にアイテムが好きなんだっけ?それとも、ハイブランドだから好きなんだっけ?とどんどん自信がなくなってくる。
自分の判断に自信がなくなってくると、もっともっと安易に他人の「正解」に飛びつきたくなってくる……

そんな折、TLで流れてきたファッションエディター 昼田祥子さんの記事を何の気なしに読んで、私はすっかり「喰らって」しまった。

社会人になって使えるお金が増えると、私の足りない何かを"外側にある何か”で埋めることに一生懸命でした。(中略)素敵なブランドの洋服を身につければ私はイケている、つまり価値のある私になれた気がした。新しい洋服は、新しい自分になったような高揚感をもたらしてくれた。

『「スタイルのある人」を手放したら、スタイルのある人になってしまった(前編)』
https://mi-mollet.com/articles/-/42804?layout=b

1000枚近くの洋服を持っていた私は、言うなれば分厚い衣がついたエビフライでした。(中略)自分がつけてしまった衣を断捨離で一枚一枚剝がしていく。最初はラクでした。でも核心に近づけば近づくほど、苦しかったですよ。自分と衣がびっしりくっついていますから。(中略)好きだと思って買った洋服が、いつの間にか洋服と自分の価値がイコールになっていて、だから洋服を捨てることは自分の価値を失うのと同じでした。

引用元同上


私も…
私も順調に、でっかいエビフライになりつつある気がする…!!!

そんなのは嫌だ!
私はエビフライになるためにファッションとタイマン張ってるんじゃない、エビになるために、いや、エビっていうか……自分自身になるためにファッションとタイマン張ってるんだい!!!

比喩が大渋滞

途方に暮れたような、でも何かに怒ってるような、意地を張っているような、自分でも何なんだか全く分からないまま、『1年3セットの服で生きる』を怒涛の勢いで読み返した。
あきやさんのnoteも全部読み返した。日記も読み返した。

そして、ハッ…!となった。

「例えば、明日台風が来て私の服が全部無くなっちゃったとしても、自分ならまた1からこの状態が作れるだろうと思っています。その再現可能であるという思考の過程を含めたクローゼットが己の自信になっているのかと思います。」みたいなことをお話しました。(もっとふわっと話していたかもしれませんが)

『台風が来ても、記憶喪失になっても、異世界に転生しても💫2023年4月14日』
https://note.com/jimonjitou_a/n/nb558e93edbd2
太字強調は筆者による

「クローゼットにある洋服」が己の自信になっているんじゃ、ない…!
「再現可能であるという思考の過程を含めたクローゼット」が、己の自信になっているんだ!!!


ここでもう一度、記事の前半部分を振り返りたい。

イマジナリー世間体のクソデカ悪口を無視することを決意し、「お得」の呪縛から自分を解放し、「結婚指輪=シルバーのシンプルなリング」という思い込みを捨て去ったり。

私にとって自問自答ファッションとは、単に「自分の『好き』を、他人から見て『オシャレですねえ!』と思われるようなスタイリングに落とし込める状態に至るまでのハウツー」ではなく、「自分の中に根付いていた勝手な思い込み・偏見をベリベリと剝がしていく」作業に他ならない。


な~んだ、私、大丈夫じゃん!

講座を受けて半年超、私はいわゆる"お洒落さん”には全然近づいてないし、SNSで他人と自分を比べて落ち込んだりすることもあるし、ハイブランドの威光は眩しくて眩しくてついつい認知歪めちゃうときもあるし、「自問自答ガールズ」じゃなくて「自縄自縛ガールズ」になってる日もあるし、あるけど、でも、私が「自分の中に根付いていた勝手な思い込み・偏見をベリベリと剥がせた」ことは誰にも奪えない。
私が買った演歌バッグは私をタコ殴りにすれば簡単に奪えるだろうけど、私が身につけた自信は誰にも奪えないのだ。


「問い」と「答え」がグチャグチャだし、「そんなん当たり前じゃん、何を今更」という向きも勿論あると思う。でも、今このタイミングでこうやって文章にして思考を整理することが、今の自分には絶対に必要だっただろうな~と思うので、サブアカウントにそっと書き残しておく。
そして、同じようなことに悩んでいた自問自答ガールズがいたら、この記事が「こういう人もいたよ!」と少しの慰めになればとっても嬉しい。

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