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瀬戸市立図書館の民次壁画

瀬戸市立図書館(愛知県)の来館者は民次壁画の歓迎を受ける。北川民次のモザイク壁画は、神話的でユーモラスで謎めいている。いつも通って見慣れている図書館のシンボルについて調べた。
北川民次(1894-1989)は、瀬戸市にアトリエを構え、瀬戸の風景や作陶をモチーフにした画を多く描いた。また15年に及ぶメキシコ滞在時、民衆へのプロパガンダであるパブリックアートとしての壁画運動を体験し、帰国後数点の壁画を手がけた。
1970年竣工の瀬戸市立図書館のためにも3点の原画を描いた。
 
「無知と英知」
来館者に最初に目に入る、エントランスポーチ2階。南向きの、いわば図書館の「顔」である。タイトルは「無知と英知」。グレイを基にした淡いトーンと曲線で、怪物や神話的なモチーフが描かれている。一見コミカルで親しみやすいが、意味がつかみづらい。逆にそこが魅力を増しているとも感じる。タイトルと込められたメッセージ(後述)を知って、テーマが理解できた。

円柱
横に細長い窓が絵全体を分断している。最初から窓の位置を考慮に入れて作画されていたのが原画からわかる。逆に原画を見なければ窓を認識できないくらい、効果的に分割されている。(原画は瀬戸市美術館が所蔵。原画の写真は『北川民次展』2015、瀬戸市美術館、公益財団法人瀬戸市文化振興財団 に掲載されている。)
左端の女神とギリシャ風の円柱には、横長の窓がかかっていない。多分そのせいで、原画では西面の画のほうに続けて描かれている。
2階の円柱の絵の下には、1階の車寄せのポーチの本物の柱がつながっている。1階2階を通して長い円柱で支えているのだ。モザイクの円柱は平面ではなく、本物の円柱に合わせて曲面になっている。このことに気が付いたのも初めてだが、よく見ると図書館には至る所に円柱があることにも気付かされた。玄関周りを外から見ると3本ある。内部では7本を数えた。こんなにあるのに、いつも本ばかり見ていたため認識していなかった。

モザイクが曲面になっている
玄関周りの円柱
内部の円柱 手前にもう1本あり、4本並んでいる

クレジット
円柱の根元にあるモザイクで描かれた文字が目立っており、ずっと気になっていた。原画にないもので、縦書きで4行「杉浦 北川画 霞仙陶 横井」とある。制作に携わったメンバーのクレジットであるとわかった。「北川画」は北川民次が原画を描いたこと。「霞仙陶」は霞仙陶苑。「杉浦」「横井」は弟子の画家である杉浦正美、横井克甫。4人の名前は、室内の「勉学」にも書き込まれている。

4つの名前

杉浦正美
杉浦は、原画を元にモザイク壁画を制作する作業を統括していた。エッセイによると、杉浦は北川に呼び出され、壁画の制作を依頼された。「私は胸を躍らせて、即座に承諾した。しかし、同時に不安もあった。陶板は未経験だったし、制作スタッフはどうするのか、人物の表情など、難しいところは指導してもらえるのか、私は矢継ぎ早に質問した。しかし、私を安心させるような回答は貰えなかった。『何を言うのか、君が全部やるんだよ。私は原画を描いた。君はそれを陶板にする。陶板を焼く物、建物に施工する者、陶画は分業して完成するのだ』」(『雑草のごとく 杉浦正美画集』)
「それから私の瀬戸通いが責任と感動に満ちて毎日続いた。先生は完成まで一言も注意されなかった。でも毎日夕刻になると出来具合を見にやってこられ『う~ん、なかなかやっとるね』と私の肩に手を置き、『杉浦君いまから一杯やろうじゃないか』と」馴染みの店へ誘い、メキシコ時代のことなどいろいろな話をしたのだったという。「私の人生で幸せで、すごく充実した日々でした。」また「追記」として、原画を拡大し、モザイク用に切断し、焼成時の縮みを計算するなどの技術的な苦労があったことを振り返っている。(『杉浦正美展 田原の美術』)

加藤霞仙
陶芸家の加藤霞仙は、瀬戸市赤津町で(有)霞仙陶苑を経営していた。350年余り続く窯元の11代目で、民次との交流が深かった。(現在は代替わりをして12代目が「喜多窯 霞仙」として営業している)。民次のエッセイ集『騾馬のたわごと』にはふたりで陶画の研究をしたことなどが書かれている。
霞仙は図書館以前にも、瀬戸市民会館で民次の壁画のために陶板を焼成した(1959年)。その際モザイクの制作指導をしたのが、モザイク作家の小林綾子であった。小林は『モザイクを始める人のために』で、霞仙がタイル焼成に尽力したことを書いている。民次は「瀬戸で作られた素材を生かし」たタイルにこだわった。「ホームタイルの光沢は土地がらに合わないとのことで瀬戸の霞仙製陶所で、特別に先生の指導のもとに作られた、練り込みの磁器タイルを用いました。陶磁器製造の工程を、しっとりと落ち着いた色彩であらわしたものです。」
同様の説明は、十名直喜の「瀬戸の巨匠・北川民次と近代化産業遺産」にもある。「モザイク壁画に使われる特殊な陶板(タイル)は、赤津町の赤津焼窯元、霞仙陶苑で試作を重ね苦労してつくられたものである。民次の希望で練りこみのタイルを使うことになったために、土に顔料を混ぜて微妙な色合いのタイルを何種類もつくらねばならず、表面への色付けに比べて大変な手間がかかった。」
これらは市民会館のモザイク壁画についてのものであるが、図書館でも同様に制作されたと思われる。(瀬戸市民会館の後継施設の「瀬戸蔵(せとぐら)」には、3点の壁画「陶土の山と採掘夫」「ロクロ場風景」「登り窯」が東外壁に展示されている。)

瀬戸蔵の壁画 左から「陶土の山と採掘夫」「ロクロ場風景」「登り窯]

「知識の勝利」
「無知と英知」につながる、西面の外壁のタイトルは「知識の勝利」。来館者には見えにくい方角になる。怪物と人物が黒い描線で太く鋭角的に描かれ、背後には燃える炎の赤という激しいイメージの画である。「群像により力強いダイナミズムを秘めながら、革新への情熱を感じさせ、社会と人間にあたたかい眼を注ぐ画家の後ろ姿が見えてくる。」と金原宏行の『美の心をもとめて北川民次』にある。民次のメキシコでの壁画体験に近い画のようである。上部の黒い部分には原画にはない複数の人々の書き込みがあり、作業時の記念だと思われる。

「知識の勝利」

「勉学」
「勉学」はエントランスを入った正面にあり、壁いっぱいに絵本を広げたようだ。緑と青の落ち着いたトーンの中に母と子供たちがおり、少年が大きな本を開いて読んでいる。明るい太陽が、笑顔で見守っている。この壁の左右も円柱である。前方のスペースは玄関展示で、図書館によるその時々のテーマの選書が並べられる。壁画と書物が調和を見せている空間だ。

「勉学」とエントランス

壁画の右側には、昔は受付カウンターだったと思われる小窓があいている。その下側は現在、コンピュータデスクのせいで壁画が見えない。そこには本棚の絵があり、本の背表紙に作業に携わったひとたちの名前が書きこまれている。杉浦と横井の名前もある。

杉浦と横井の名前

民次と霞仙
壁画の左下部の、開いた本の表紙には、原画にはない「Tamiji」「kasen」の文字が大きく書き入れられている。筆跡からそれぞれの自筆と思われ、民次と霞仙の仲を表すようである。

ふたりのサイン

左下隅には、これも原画にはないバッタの陶板画がある。バッタは民次が晩年に好んだモチーフだ。陶板は厚みがあり、壁画から1.5㎝ほど飛び出ている。民次が描いて霞仙の窯で焼成したものを貼り付けたものと思われる。

民次のアイコンである バッタ

壁画のメッセージ
3点の画はそれぞれ色合いもタッチも異なってメリハリをつけてある。「無知と英知」は淡い色で曲線で描かれユーモラスで神話的。知恵の実のりんごや蛇が見てとれる。本を開くひげのおじいさんは、神様か預言者か。怪物とりんごを持つ人は楽しげに踊っているようだ。「知識の勝利」は赤と黒が目立ち、直線的鋭角的。中央の男が怪物たちを踏みつけている。男が持ち上げている石板のようなものは本ではないかと思われるし、女神も大きな本を抱えている。「勉学」は青や緑の落ち着いた色合いで、絵本のような穏やかな世界。母子を知恵の鳥フクロウが見守り、太陽やランプが明るい。どの絵も図書館を意識して、あちこちに本が描きこまれている。
民次本人による図書館の壁画についての言及は見つからなかったが、霞仙がインタビューで当時を振り返りテーマについて語っている。「図書館の壁画は、妄想におびえる人間が本を読んでつけた知恵でもって、妄想をやっつけてしまう、というストーリーである。図書館での読書を勧める絵といえる。」(『瀬戸の巨匠・北川民次と近代化産業遺産』十名直喜)
壁画は瀬戸を愛した民次による、瀬戸市立図書館へのエールであり、はなむけのメッセージであるとわかった。
最後に
通い馴れた図書館のシンボルである民次壁画について調査した。いつも見ているがよくわからないところがあるなと常々思っていた。その壁画を、今回深く知ることができて幸いであった。地元であるわが図書館には、民次に関するたくさんの資料が揃っていた。原画と実物の照らし合わせは大きなヒントをくれたし、当時のエピソードを語るエッセイを巡るのは楽しかった。
瀬戸市立図書館は設立から50年を超えており、リニューアル計画中だ。現在の建物のまま内部のみ一新するとのこと。民次壁画に包まれた今の姿で、新しい図書館になるのが楽しみだ。
 
                         上杉あずき@STEP
 
参考文献
 
『おかげさまで50年 瀬戸市立図書館誌』1996 瀬戸市立図書館
『北川民次展』 2015 瀬戸市美術館・公益財団法人瀬戸市文化振興財団
『美の心をもとめて北川民次』金原宏行 2023 ブックグローブ社 
『瀬戸の巨匠・北川民次と近代化産業遺産』十名直喜 2003 名古屋学院大学総合研究所
『バッタ』第6号 1997.4 北川民次のアトリエを守る会 加藤鎣吾
『焼物のすすめ』加藤霞仙 1984 日賀出版社
『騾馬のたわごと』北川民次 1983 名古屋日動画廊
 
『雑草のごとく 杉浦正美画集』杉浦正美/画 名古屋日動画廊/監修 2001 杉浦正美
『杉浦正美展 田原の美術』杉浦正美/画 2010 田原市博物館
『モザイクを始める人のために』小林綾子 1966 池田書店
 
インターネット
「Wikipedia 北川民次」北川民次 - Wikipedia
「Facebook 瀬戸市立図書館」https://www.facebook.com/library.city.seto
喜多窯 霞仙 | せと・まるっとミュージアム 瀬戸市観光情報公式サイト (seto-marutto.info)
 


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