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【雑記】不要不急日記(2020/5/17)

在宅勤務明けの一週間。会社に通うのがこんなに大変だとは思わなかった。どうして人類は通勤しなければ働けないのだろうか……物理世界……衣食住……肉の監獄……

鬼滅の刃、恐ろしい

もともと週刊誌を購読するという文化がないので、毎週月曜のジャンプ感想TLのような週刊雑誌カルチャーとはほどほどの距離を置いているが、『鬼滅の刃』についてはリアル人間関係の付き合いもあって単行本を追い掛けて読んでいる。鬼滅の刃、面白いことは面白いと感じるがここまで大人気になっている理由がピンと来ていない。割と限界田舎な地元でもガチャガチャですら長蛇の列ができていたり、単行本も軒並み売り切れていたりしていて正直ビビっている。いやだって普通に人が死んだり人体欠損のある漫画だよ?ハード過ぎない?

個人的に強い違和感を感じているのが、読んでいてアクション描写が全然頭に入ってこないこと。それでも容易に話の流れが理解できることがなんかこう……気持ちが悪い(不快という意味ではない)。いわゆる能力バトルで言うところの逆転展開のギミックやトリックをすっぽかして、”気持ち”で押し切っている印象がある。マジでここ最近(ここ数年?)の創作やフィクションにおいて”気持ち”や”感情”って最重要に扱われているように感じる!アクションしかりラブコメしかりSFしかり。もちろん昔の作品ではないがしろにされてきたということは断じてないけど、練られた世界観や胸をすく様な伏線回収よりも、キャラクターに共感して感情移入できる(自己投影とはまた違う)気持ちの揺れ動きにコンテンツの価値を見出す人が増えてきた気がする。作品中から関係性を見出したり、わずかな描写から感情を読み取ったことを読者が自ら情報発信することが一般化して、一方的に消費するだけだったエンタメの楽しみ方が変わっていってる。作品を観なくても「作品に触れて狂ったオタク」がコンテンツとして面白いとか、そういった風にだ。マズいな。身に覚えしかない。

というか感情重視のコンテンツ自体がEDMみたいにシーン最前線で発生してから徐々に周知されて行ってようやくメジャーに波及していったイメージなのか?もちろん作者の得意とする表現でもあるだろうし、読み手、消費者側が求めるものとしてボールが回ってきた感じ。全然整理できてないのでこれ以上文字を連ねるのはやめにするけど、鬼滅20巻と以下の記事を読んでなんとなく思ったのでした。


P.S.嘆きの声(20巻ネタバレあり)

時透くん死んじゃったんですか……確かに刀鍛冶の里編でキャラクターの掘り下げと清算済ませちゃった感あるけどここまで細切れにされるいわれなくない?腕切断された時点で(あっこれはもうヤバいかもしれない)って思ってたけど胴体真っ二つは流石にやり過ぎだろ……薄幸中性的黒髪ロング美少年をかえして……。せっかく積み上げてきたキャラクターをニトロ代わりに消費してクライマックス感を加速させるの勘弁して欲しい。オイッ!インターネット!お前もだ!「時透無一郎 死亡」で検索したら死ぬほど死亡ネタ記事が上がってんだけどいい加減にしろよ!フィクションでも人の死を飯の種にするんじゃない!バカ!人でなし!


(終わりです)

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