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「お店に来てくれるのは当たり前じゃない」AZism人Vol.4


AZismで働く人を紹介する『AZism人』


第4回目となる今回は、
第3事業部ベテラン店長のこの方!



――お名前とご年齢をお願いします。
第3事業部の壇直彦です。年齢は40歳です。

――AZismに入社したのはいつですか?
2006年ですね。今から16年前ですね...そんなに経っちゃいましたね(笑)

――最初はアルバイトから?それとも社員から?
社員ですね。ハローワークで。


――それまでは何をしていたんですか?
それまではもうひたすらアルバイトを繰り返していて結構な数アルバイトしましたね。

――それはどのくらい? 
イトーヨーカドー、ドンキホーテ、お惣菜...、6、7ぐらいやっていると思います。高校卒業してないんで。B-BOYだったんで...(笑)

――AZismに入ったときの年齢は?
入った時が23才でしたね。
当時付き合ってた彼女がいて、ちょうど彼女の周りの友達が結婚をする時期で、その時自分はアルバイトしてて、将来どうすんの?って話をして。
別にまだアルバイト続けるけどって言ったら、『一緒に暮らすのがちょっと想像ができない』と。ちょっと別れ話っぽい感じになって(笑)
これはいよいよヤバいなって思って、その追い込まれた形で、んじゃ就職をしようと。そこで巡り合ったのが、AZism(当時はエーゼット)ですね

――今で言うところの『ゼクハラ』みたいな?
そうですそうです(笑)

――そこで一念発起して社員で働こうと思ってハローワークに。
ほとんどハローワークですね(※1)
(※1 2006年当時は今と違い求人サイトが発達しておらず、ハローワークが求人探し主流の1つ)

――入ってから16年経ちましたが会社は変わりましたか?
変わりました。まず従業員の数が圧倒的に増えたのと、あとは働き方が変わりましたね。

――大きく変わったところは?
当時はまず労働時間が長かった(笑)
10:00-20:00とかがデフォルトだったのと、有給とかも当時はなかなか取りづらかったりとかしましたし。第3事業部だけか今わからないですけども、残業代が出てなかったのが今出るようになったりとかが大きな違いですかね。


――ある意味ブラックとは言わないまでもグレーだったのが、今はだいぶ整ってきたと。

そうですね。


――当時はゲームがメイン商材でしたが、時代の流れとともに商材的に厳しくなっていく中、いろいろ試してましたよね。
トレカを町田さん(※2)とかがやってる時、僕は青梅店で次の商材を探すってことでゲームとホビーを販売してたのと、iPhone修理とか。ゲームに代わるものも探すっていう役割でやらせてもらってました。ただ、結果的にはあとに繋がるものが無かったですね。
(※2 第3事業部マネージャー)


――トレカの店長になったのはいつですか?
何年前かな...4年前とかになるので2018年ですね。
本当は青梅店から町田店がオープンするっていうところで、やってみないかってって声をかけていただいた形ですね。1年ぐらいやって1回堀之内に移動になって、そっからまた町田に戻ってきて。

――そのあたりの流れを教えてもらってもいいですか?
町田店でトレカを任されたんですけど、正直その時ってゲームも衰退してきてて僕自身も年齢も上がってきて。その生活とか考える中でこのままでいいのかなっていうふうに考えてた時期でもあったんですね。
トレカ自体僕やったことないですけどやっぱり会社が成長することもそうですし、僕自身が成長しなければいけないっていうところもあったので。
――町田といえば、因縁の地でもありますね。
そうです。実は過去にゲームのPAO町田店(※3 )のオープンもやってるんですよ。当時のゲーム町田店は8月にオープンして5ヶ月ぐらいで閉店しちゃったんですよ。おそらくPAO史上最速(で閉店)じゃないかな?
(※3 PAO町田店(ゲーム)は2011年8月にオープンし、2012年1月に閉店)
全力でやったつもりではあったんですけど店舗を潰してしまうことになったんでやっぱり悔しさがあって...。
で、トレカ町田店やらないか、っていうことだったんで商材が違うけどリベンジだったんですね。僕の中では町田という地域の中で、どうにか成功させたいというのがあったので町田さんから声をかけてもらった時、もう二つ返事でやらせていただきます、って感じで。

――実はトレカ未経験だったと聞きました
トレカ経験0日ですよ僕(笑)
何も知識がないので地獄でしたね。お客さんからもスタッフからも質問されても答えられないし、お客さんがどういうところにカードの価値を感じてるかとかも分からないからアプローチの仕方がわからない。
――その状態で店長はキツかったのでは?
キツかったですね(笑)ぶっちゃけ辞めたいと思ったときもありました。
ただ働いてく中でカードを買うお客さんの気持ちだったりとか、スタッフの知識量に助けられるみたいな部分があって、トレカ業界のことだったりとかちょっとずつわかってきて。
最終的に行き着くところはゲームでもトレカでも変わらず、人に対して価値を届けるっていうところだったので、だからやれたってところがありましたね。ゲームでやってたことがそのままトレカにも応用出来たってところが助かりました。



――辞めたいと思ったときはどういう状況だったんですか?
町田店で働いてて端的に忙しかったからなんですよね。もう家族との時間が取れなくて。子供いるけどシフトが10~20時とかで。
時間がとれないことと、プラスアルファで店舗で高額の盗難があったんですよ。そんな経験なかったので凹みましたし、それによって利益も下がってしまって、結果評価の部分でも下がってしまって。
僕は家族に応援してもらうっていうところがモチベーションの1つで、商材を変えて本気でやってくからっていうところで家族に納得してもらったところがあったんですよ。
ただそれらのことが起きてしまったので、そのままだと今後やってけるのかっていうところでAZism辞めるかっていう判断が僕の中で出ちゃったんですね。ちょうど友達から声をかけられてたのもあって。


そんな中、町田さんと外海くん(※4)に相談をして話しした中で、竜星のPAOだとフルタイムだけど、堀之内店とか複合店舗だと朝番夜番シフトだったんで、時間的に町田より余裕がでるんじゃないかって提案してもらって、もう一度進退も含めて移動してやってみたらどうっていう提案をもらいました。
(※4 現在経理部所属。当時は第3事業部サブマネージャー)


――最前線をいったん引いて、みたいな感じ?
はい。いったん落ち着く環境に戻って、環境に戻って生活的にもちょっとゆとりというか、家族に使える時間も増えた感じで、そんな環境で堀之内をやってました。

――堀之内で傷を癒やしながら精神的再建を果たした感じですか?
そうですね。
町田店は最前線のお店だったんで売り上げが良かった中、堀之内っていうところに戻ると売上規模的には違うので、堀之内店でも町田店で学んだことを堀之内で反映させようっていう気持ちは強かったですね。

――町田店で学んだ手法を用いての堀之内での成功体験はありましたか?
そこに関してはやっぱり町田店でやっていた売り方が活きました。

――それはメンタル的にも大きかった出来事なのでは?
大きかったです。自分自身が環境が変わっても、実力を発揮できたと思えたのは大きかったです。そういう意味でも堀之内店に移動してっていう提案は精神的にケアをしてもらったのもあり、良かったですね。そのまま町田店をやっていたら潰れていたでしょうし。

――そこから町田店にはどんな流れで戻ることになったんですか?
僕の代わりに町田店に入ったのがジョンくん(※5)で。ジョンくんからまたバトンをもらう形で町田店に復帰したんですよ。ジョンくんがサブマネに上がることになったのもあるんで。
(※5 現 第3事業部 スーパーバイザー)


――2度目の町田店は1回目とは違いましたか?
やっぱり違いましたね。
町田店と堀之内店って従業員人数が違うので竜星店舗は人数が多いからこそめちゃくちゃチームワークが必要とされて。
逆に堀之内は人数が少ないので一人当たりの生産性じゃないですけどそっちが結構問われるんです。堀之内で生産性とか一人当たりの技術力であったりをもう一度磨いた中で町田店に来て、二つ備わったみたいな感じですね。

――町田店は利益がずーっと伸びてるのもそのあたりが要因ですか?
14ヶ月連続で目標達成とかもありましたね。でも本当にチームの、スタッフがお店を盛り上げていこうって気持ちをすごく持ってくれたんで、それが一番ですね。

――ゲーム店長時代を含め店長を16年務めていますが、ずっとやってきたから備わっている自分の核みたいなものはありますか?
そうですね、すごくありますね。
例えばお客さんで言うならば僕はやっぱり『お店に来てくれるのは当たり前じゃない』ってめちゃくちゃ自分の中で思ってて。
なんでかって言ったらやっぱ潰れちゃった店舗を経験してるからなんです。
今、町田店って来てくれるんですよお客さんが普通に。だから当たり前になっちゃいがちなんですけど、店長経験が長くて、閉店した店舗を経験してるからこそ、感謝の気持ちを常に持ち続けて接客できてるってのはありますね。

――閉店したゲーム町田店は、お店の前にすぐバス停があってたくさん人がいるのに、お店に入ってこない、ってありましたよね。
朝10時から開店して、18時ぐらいに売上みるんですよ。そしたら売上6000円とかで。人件費のほうがかかってるじゃん、って状態で。ゾッとしますよね...。人がまったく来てくれない、って状態を知っているからこそ、今はそれが感じづらいのかなと思います。

――お客さんが来てくれるのは、当たり前ではないと。
そうですね。お客さんが多いと、一人一人に対する接客がどうしてもその雑というか、こなす感じになりがちなんです。
ただ僕的にはお客さんが数ある店舗の中からPAOを選んでくれて、時間かけてお店に来てくれてるって言うところを肌身に感じてるので、一対一の接客を常に意識してます。

――話を聞いていると本当に接客が好きなんだな、というのがわかります。今後の野望的なものはありますか? なんとなくずっと店頭で接客していたい節を感じるのですが...(笑)
そうかもしれないですね(笑)店舗は好きですね。
やっぱり店舗経験が長いのと、人と人の関わるところ、もともと接客業ばかりやってて、そこが好きなので...本当に生涯現役なんじゃないかなって(笑)
――たしかに40才には見えないですね
やっぱ働くスタッフと一つの目標を達成できるってところがけっこう好きなのかもしれないですね。1人だと成し遂げられないことができるのが面白いです。
実はAZismに入る前、演歌歌手のマネージャーをやってたんですよ。
年齢めちゃくちゃ高い人たちと仕事してて。スナックとか回ってたから60代の方たちとかだったんです。ぶっちゃけ楽しくなかったんですね。その演歌歌手の方をを応援することがそもそもできてなかったんです。
音楽的にもヒップホップ好きだったんで演歌なんて聴かないし、想いが乗っかってこないから心から応援できない。申し訳ないと思いましたし、そこが一番かもしれないですね。想いが乗っかってこないから、スナック回ってて近くにいるお客さんに対しても嘘偽りと言うか、気持ちが乗ってない、言葉として出てこない、みたいな。
でも今、トレカっていう商材自体に対して、お客さんがこれで対戦することによって楽しいんだな、とか分かるからこそダイレクトに伝えられますし、スタッフも好きだから伝えられる、っていう感じです。

――だからこそ、店頭が楽しいと。
そうですね。でもなんですかね、やっぱ若者と働くのはエネルギーもらえますし、単純にパワーもらえるってのもあります(笑)
家族との時間も作れてますし、緊急で出なきゃいけないとかはありますけど、経験値を積めたことによって自分の時間を作れるようにはなってます。自分自身のマネージメントができるようになってるというか。40才にして(笑)


――この記事を見ている人に伝えたいことはありますか?
町田店来てからお客様満足度とか従業員満足度っていう言葉を大切にするようになったんですよね。
結局スタッフだけの満足度を取ってもお客さんが満足しなかったらダメだし、お客様満足度だけ高くても、従業員満足度が低かったら店舗が継続していかないし。やっぱり従業員満足度を上げていくことによって、お客様満足度に貢献できるようになるし。スタッフが楽しく働けるようになると、お店の色って出てくると思うので。僕はすごくそれを意識するようになりましたね。

だからこそ、その満足度が得られてるかどうかとかはヒアリングして聞くし、気にするようにしてるし、見るようにしてます。そこからどのようにすればより改善できるかっていうところにフォーカスしてって、今のお店ができあがってるって感じなので。
これはずっと僕が店舗を運営していく中で変わらずやっていくことなのかなと。その結果が売上なんだと思います。

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