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「帰ってきた男」AZism人 Vol.1

AZismで働く人を紹介する『AZism人』

過去、AZismマガジンという
冊子で掲載されていたコーナーが
Web社内報でも始動です!

Web第一回目となる今回は、
第1事業部のこの人!

自己紹介をお願いします

安部勝俊、年齢は45歳、妻と子供が3人います。

最初にAZismに入社したのって、実はかなり前ですよね?

何年前ですかね...たぶん17年か18年前ぐらいになるんじゃないかと。

入社のきっかけは何でしょう?

ゲームが好きだったのでゲームを商材として扱いたい、と思って探して入社しました。ハローワーク経由で。
(注:安部さんが1回めの入社時、AZismはまだ社名がAZ(エーゼット)だった時代。扱っている商材もゲームと輸入雑貨のみ)

入社してからはどのような道のりを?

ゲームの店舗を転々とした感じですね。福生、小作、昭島、福生、小作、青梅...おそらく十数回、1ヶ月に1回ペースで移動したと思います。。安部を行かせればとりあえず大丈夫だろう、という判断だったっぽいです(笑)

そして3年経過して、新店の高幡店に店長として行くことになったわけですが、そのときの伝説のエピソード(※1)がありましたよね。

ああ、そんなこともありましたね...(笑)今はコンプライアンス的にアレですけど、昔はそういう時代でした。まぁ、楽しかったっちゃ楽しかったですけど。そのときはまだ30才ちょっとだったから体力あったのもあります。

▲2006年当時の安部さん。茶髪!

PAO高幡店、PAO大塚店、そして漫画喫茶のAZBOXと、怒涛の新店オープンラッシュを任されていた安部さんですが、その後、退社する流れになりました。なぜ退社に?

い。もう退職しちゃいましたが、その当時の上司とソリが合わなかったので(笑)。あとは方向性が変わっちゃったのもありますね。

辞めた時期としてはちょうど手塚本部長が入社したばかりで、羽村かどこかの店長をやっていたときだったと思います。当時のレクリエーションで、いっしょに食材係をやった記憶があります。

辞めてからはどのようなお仕事を?

薬局の物販を4年間やってました。

AZismに戻るきっかけは何だったんでしょう?

代表がAZismを辞めた人たちを集めた会を開いたことがあったんです。その会のとき、電話で仲介をしてくれたのが手塚本部長でした。

当時の上司との兼ね合いが悪くて辞めたこともあり、僕はAZに二度と戻らないぞとその時は思っていました。ただ、手塚本部長にはそのときすごく丁寧に応対してもらい、かつヒキになったのが「当時の上司が辞めました」って内容だったので。「何!?」と(笑)

AZBOXの店長経験者ということもあり、別件で手塚本部長からはTELをいただいたことがありました。その時は「もう部外者だから、TELかけないでね」と厳しいことを言ってしまったのですが、それを気にせず仲介に動いてくれたことは今考えると本当にありがたかったです。会を開いてくれた和田代表、仲介をしていただいた手塚本部長、お二人にすごく感謝しています。

もともと第3事業部でゲーム小売、漫画喫茶の店長経験はありましたが、大和家、田田というラーメン店業態の第1事業部に行った理由は?

これはもう個人的な理由なんですが...

自分はAZismを一度辞めた人間ということがあり、第3は社員志望のアルバイトさんが多いことも知っていました。出戻りが幅を効かせるのは僕の中では違うな、と思っていました。入社時はどこの事業部を希望しても良い、と言っていただいてたのですが、第1事業部が人手不足ということもあり、第1で、という話になりました。

第1事業部は体力をかなり使いそうですが、再入社時の年齢はどれくらいでした?

42歳です(笑)

不安はなかったですか?

めちゃくちゃありました(笑)

なので、入社前に事前に瑞穂大和家を見に行ったんですよ。で、見たら「これ自分にできるのかな...?」ってすごく思いました。実際、入ってからの1ヶ月は同じお店にいた人に本当に迷惑をかけてしまいました。

そんな中、入社から3年ちょっとで店長に。そして今は複数店舗を見るサブマネージャーとして活躍されてますが、店長からサブマネージャーへの流れはどんな感じだったんでしょう?

店舗留学という形で、1ヶ月ぐらい他店に行くことがあり、自分は新松木の立ち上げを一緒にやらせてもらいました。その後、昭島の店長をちょっとやってみてほしいと言われ、昭島大和家で店長としてやらせていただく形になりました。声がかかったときは嬉しかったです。

それまでの仕事と、店長で仕事のやり方、ここが違うというところはありましたか?

いっぱいあります。その中でも、AZismの企業理念がぜんぜん伝わってないなと感じていたので、企業理念を伝えていきたいと思いました。

もちろん、自分がそれを体現しないとダメだと思ったので実践していきつつという感じです。店長は自分で考えて店を動かさないといけないですが、自分で考えて動かせるようになるので、自分で理念を伝える時間を作ることができればって思って行動してます。

一度辞めはした人間ですがAZismの企業理念が個人的に大好きだったんですよ。元の上司とはいろいろありましたけど、そういう理念がある土壌っていうのは良いなって思ってたので。

※AZism企業理念
お客様、従業員、家族の幸せの為、日々努力し、社会貢献を目指す、人間集団

安部さんが昭島大和家の店長だったころ、店頭のアピールPOPが増えたなーと感じたことがありました。あれは第3事業部での経験からでしょうか?

そうですね。当時勉強させていただいた、展示の三原則(※2)も体に染み付いてますし、それを第1事業部でも表現していきたいなって。

※2 展示の三原則=提案(時期・ターゲット・内容)、見せ方(わかりやすさ・目立たせる)、世界観(ディティール、かっこよさ)の3つのこと。第3事業部で昔から教えられてきた内容。

自分の武器になっていると感じている?

間違いなく武器になっていると感じます。

POPで店頭アピールすることで、体感した変化はありますか?

差がでるもの、でないはありますが、数値で記録して、出数が2.6倍とかになったものもあります。お店でPOP展開、アピールしたものはすべて効果を測って、他店との比較もしつつ次に活かす感じです。

積極的なPOP展開というのは、第1事業部に文化として根付いていないところもあります。最初は周りから変な目で見られたりしたこともあるのでは?

いや~しましたね...。良くないって思ってた人もいると思います。

個人的な目線なんですけど、うちの部署(第1事業部)は職人気質の人が多いんですね。美味しいラーメンを作ろう、提供しようって想いはすごいんですけど、そこに特化しちゃってる部分があるかなと。それだけで勝負しようとしているのがすごくもったいないかなって。

それにプラスアルファして、第3事業部時代に勉強したPOP系、提案を導入すればもっと売上&利益が上がると思いますし、もっと自分たちの表現したいお店が創れると信じてます。

「価値を伝えないと、存在しないのと同じ(※3)」ですね。

折り合いの悪かった当時の上司から教わったことです。折り合いは悪かったですが、教わったことはめちゃめちゃ役に立ってます(笑)

※3 マーケティングコンサルタント、藤村正宏氏の言葉。

周りの人の反応は変わってきていますか?

うちの部署には無い文化で、全体的な人不足もあり、なかなか伝わりづらいとは感じてます。ただ、僕が評価してもらったものの中に、そういったプラスアルファ系のものがあると思っているので、最大限周りに伝えていって浸透させたいと思っています。

これからの野望はありますか?第1事業部の部長の座とか?

おこがましい話ではあるんですが、今いる人たちも、これから入社してくる人にも、AZismの企業理念を伝えていきたいですね。自分たちの部署、会社をもっと周りに自慢できるようになりたいです。



ゲーム小売、マンガ喫茶、そしてラーメンと、AZismのいろいろな部署で経験を重ねてきた安部さん。一度、退職を経ましたが、現在再びAZismに戻り活躍しています。今後の野望もあるようですし、これからも一層存在感を増していくでしょう!
(インタビュアー 企画戦略室 板垣)


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