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無職は体が資本

知らない人がまだいるかもしれないが、無職は厳しい世界だ。
何もしなくていいが何かしなくてはならない、その狭間でたいていの無職は精神を病む。金の問題もでかい。

しかし長期的に無職を続けていくうえで重要になるのは何よりも
まず体力である。

自由とは自分の行動の責任をとることだ。
無職は自由だが、払うツケもでかい。
職場の健康診断などないから自分で面倒を見ないといけないし、バランスの良い食事と生活習慣を自分で保っていかないといけない。

健康診断を定期的に受けられて、決まった時間に通う場所があるというのは、意外と見落とされがちな社会人のメリットなのだ。

そのメリットをかなぐり捨てて無職になった場合にどうなるのか、軽く紹介してみようと思う。

最大体力が落ちる


無職は何もしない。
健康的な無職は散歩したりするらしいが、大半の無職は精神的にヤバな状態なのであまり外を出歩かない。今のような猛暑の場合はなおのこと家に籠もる。
家にいると、体を動かす機会が大幅に減ってしまう。
一日の歩数が100なんてこともザラだ。

人間というのは、長期間使わない能力をみるみる削ぎ落としてしまう。
宇宙飛行士は無重力空間に長くいるため、帰還した時は地球のGに耐えられない。
しばらく寝たきりになった人は立つことも困難になる。

それと同じで、動きの少ない典型的無職は体力が落ちる。
無力は1日1ターン行動とはよく言ったものだ。
※体力が落ちて1日に1回しか行動できない無職をネタにした言葉だが、これはガチである。買い物に行ったらもう1日の活動は終了となる。本当に疲れるのだ。

無職初心者の頃はまだ体力は残っていたが、今や僕は1日1ターンも怪しい状況だ(暑さのせいもあるが)。
ホントにえげつないくらい体力落ちる(真顔)

体力がなくなると精神を病む

さて、次の段階の話をしよう。

体力というのはありとあらゆる場面での基礎パラメーターだ。
これがないと、どんな内容であれ行動ができない。
力が落ちると、長時間座っていることも困難になる。

そこで牙をむいてくるのは、毎日お世話になっている脳みそ君だ。
人間というのは脳みそが肥大した生物だ。
自覚しにくいが、脳みそというやつは勝手に思考を流し込んでくる。
メンタルをやってしまっている人の場合は、不安や無力感、自己卑下などのマイナスな思考が頭に充満するわけだ。

これに体力低下による行動量の減少が重なると悲惨としか言いようのない状況になる。
脳みそ君は次々とネガティブな思考を流し込んでくるが、行動して気を紛らわそうにも体力がないというドツボにハマってしまうわけだ。
こうなると、マイナス思考に支配されたまま一日中横たわるようになる。
健康な人から見たら、怠けやら甘えに見えると思うが、本人は必死だ。

明らかに休んだ方がいい状況だが、休んでいても精神を病んでいく。
自分が止まっている感覚というのは、思っている以上に精神を蝕む。
さらに心配性な個体が生き延びてきた欠陥生物ホモ・サピエンスは特に病みやすい。

体力は取り戻しにくい

体力は金に匹敵するほどの人生の種火である。
これを失うのはホモサピにとって致命傷だ。

体力がない、それゆえに体力を取り戻す行動ができなくなるのだ。
服屋に行く服がないどころか裸で詰むに等しい状況になる。

この悪循環は凄まじいものがあり、たぶん自分でなんとかできる無職はほぼいない。

なので、仕事とか生活習慣やめる時は、せめて橋渡し的にやることを用意した方がいい。そんな周到さがあったら無職になんてなってないわけだが。

未来の無職たちへ

無職になることのデメリットを体力の側面から長々と書いてきたが、
未来の無職たちに言いたいのは
「せめて体力を維持する習慣を1つは残しておくべき」
ということだ。
お金の問題と同レベルで考えるべきだと今は思う。

トレーニングが趣味ならそれでいいし、そうでない人も散歩する習慣くらいは維持した方がいい。室内で動画を見ながら体を動かすのもいいだろう。

迂闊に無職になることは、体力という資本を失うことと同義である。
無職ゆえに体を動かす義務もなくなるので、体力を失う可能性は非常にでかい。

これは過去に数年間無職をやってもやし中年になった僕からのアドバイスだ。

なお、現在の僕はいわゆる在宅ワーカーだが、体力は未だに低いままである。
無職時代に失った体力を取り戻せるかどうかはわからない。

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