大衆派(マジョリティ)からの恐怖感につぶされたくないと思う人へ
自分らしい人生を生きるためには
自分の感情は必須だと 私は思っています。
その人の中にある活き活きとした感情の中に
理性というものがあって、
その人にしか出せない言葉や雰囲気や
表現、行動、働きぶりが発揮されます。
それは個性でもあり、唯一無二です。
理性も、もちろんものすごく大切ですが
理性が必要な場面だと判断しない限り
私は、感情を優先的して生きています。
しかし、自分の感情を大切にして生きていると
多くの人から「マイノリティだね」「少数派だなぁ」「変わった人」
「コアな人」「初めてあなたみたいな発言する人を見たよ」
と言っていただくことが増えます。
この言葉で、
褒めていくれているのか
侮辱しているのかは
わかりませんが
この言葉を聞くたびに、
私は「寂しい」という気持ちによくなります。
なぜなら
「他人と会話をする中で感じるはずの
共感で得る喜びやあたたかみを
この人の会話の中では感じ取れないかも」
と私自身が思ってしまうからです。
「そう思わなかったらいいじゃん!」
と言われてしまえば
ごもっともな意見だと思うのですが
そう思ってしまうのが
今の私の心の器の大きさです。
これが正直な私の現状です。
(もちろん心の器はゆっくりとですが広げ中です^^)
共感ができる会話というものは楽しいものです。
自分も相手も受け入れてもらえたような感覚になり
心が元気になります。
心が元気になると、
自分が理想とする未来が見えてくる感覚にもなって、
「また明日も生きていこう」と未来に希望を持てるようにもなります。
なので、共感というものは
人ととのつながりのあたたかさを実感する瞬間だと言ってもいいほど
心地の良いものです。
こんな素敵な感動があるのが、共感です。
これがなくなると
寂しくてて苦しい気持ちになるから
そんな不快なことを感じたくないから
多くの人は、
大衆派に馴染もうと必死にしがみつくように
頑張っているのではなのではないでしょうか。
自分(1人):大勢 は怖いです。
自分の人生にとって
自分の感情がいかに大事かということにも気づいたことによって、
自分の感情を大切にすることを、自分で選択している私でさえも
今書いたような、大衆派の人たちから向けられる
言葉に寂しさを感じていること…よくあります。
けれど、それでも自分の感情を大切にして
自分らしい人生を楽しんで生きていけているのは
どんな時でも
「自分の1番の見方は自分だ」という感覚を
自分自身のなかで掴めているからだと実感しています。
自分の1番の見方というものは、
「自分が自分を信頼している」という自分に対する関係性のことです。
自分への信頼は、
過去から現在までの自分自身に対しての
捉え方によって創られています。
自分が自分の事を信頼していないと
「自分の1番の見方は自分だよ」と
自分の中で思えないのです。
実際に私自身、過去と向き合う経験をしましたが
しっかり感情を味わうように感じられて
感じた感情を受け入れられる心の器の大きさになると
実感しています。
心の器が大きくなったしても
感情はしっかり感じるので
大衆派から与えられる、寂しさに対して
寂しさはもちろん感じたり、
嫌な気分にもなりはします。笑
しかし心の器が成長していることから、
寂しい感情も素直に感じることができるのです。
↑味わうように寂しい感情を感じるという言葉が
適切かもしれません。
感情を受け入れることができると
「寂しい感情を感じられること自体が有難いことだな」
とも思うほどの気持ちにもなります。
大衆派から与えられた
不快な気持ちに後腐れがないので
また未来に希望をもって生きていくことができます。
この記事を読んでくださっているあなたは
自分の過去に感じた素直な気持ちや
起こった出来事に対して、どう思っていますか?
もし・・・
過去について、理解をしていないのであれば
今現在、自分自身を見失っていたり
自分を探しているでしょう。
未来への不透明さも感じていたりもするかもしれませんね。
受け入れていない過去があるのならば
今の自分自身に対して無関心になるでしょう。
時間が経つことを待つように生きているかもしれません。
過去を劣ったものとみなしているのであれば
今の自分自身を思いやることはできないでしょう。
完璧を求めたり、自分の事を犠牲にして行動する
癖がついているかもしれません。
過去について「当たり前」と捉えているのであれば
今の自分自身が存在していることも、取り組んでいることも
「当たり前のことだ」と思えてしまい
自分自身に感謝することも難しいでしょう。
自分人生に起きた過去に対する思いは
確実に今の自分の生きざまとして表れています。
自分の過去に感じた素直な気持ちや
起こった出来事に対して、
理解しているのか
受容しているのか
尊敬しているのか
感謝しているのか
一度、考えてみてください。
自分の人生に起きた過去を愛せるようになったら
強い強い見方、永遠に消えることのない味方が
必ずついてくれるから。
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´ω`)ノ
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