選択肢があるということ


 私たち日本人には、幸いなことに様々な選択肢があります。
 進学先を決めたり、就職先を決めたり、住む場所を決めたり。
 それは日本が豊かであることの何よりの証拠でしょう。
 ですが、それ故に思うのです。

 私の選択は正しいのだろうか? と。

 何か一つを選択をするということは、その他の選択肢を選んだ自分の未来を捨てることに他なりません。
 私が選んだひとつの道の後ろには、たくさんの選ばれなかった私の道が存在しています。
 だからこそ、思うのです。

 私の選択は正しいのだろうか? と。

 私は今、人生の転換点に立たされています。

 大学。それは誰もが通るべき道だと、私は今までそう思っていました。
 時には大学へ行っていない人を馬鹿にすることもあったでしょう。
 しかし、それは違うのです。

 私は今、迷っています。
 どこの大学で何を学ぶか、ではなく、大学へ行くか? 行かないのか? そんな初歩的なところで躓いています。

 世間一般を騙る何者かはこう言います。

「大学へ行け。それが普通だ」

 私は問いかけます。

「大学へ行くことが、本当に正しいの?」

 答えはありません。
 私が分からないのですから、私の中にいる何者かが分かるはずもありません。

 ネットで調べてみても、意見は人によって様々。
 大学へ行くことを良い事とする記事があれば、悪い事とする記事もある。
 大学へ行かないことを悪い事とする記事もあれば、良い事とする記事がある。

 ああ……と、ひとつの事に気付きます。

 この人生は私の人生なのだ。

 私の人生の選択を他人の意見に委ねている時点で、私は間違っていたと言えるのでしょう。

 もちろん、他人の意見を聞くこと全てを悪いとは言いません。ただ、他人の意見をこの世の全てかのように享受する事が悪いと言いたいのです。

 私の人生は、私が決める。そう思った途端、重く苦しい重圧がのしかかってきました。
 責任の重さを知ったのです。
 責任を他人に委ねれば私は楽かもしれません。失敗したって、その他人のせいにすれば多少は傷が安らぐでしょう。
 しかし、これは私が選ぶことなのです。

 いくら他人の意見を聞いたところで、結局選ぶのは私なのです。

 そう思った途端、怖くてたまらなくなりました。

 そう、怖いのです。怖くて、怖くて、怖いのです。

 逃げ出すことは簡単です。でも、それが自分のためにならないことは理解しています。
 もし逃げ出してしまえば、私は私でいられなくなってしまう。そう思います。


 私は今、見失っています。

 自分がなにをしたいのかを。自分に何が出来るのかを。
 私は私を、理解出来ません。

 私は小説を書きたいです。絵を描きたいです。音楽を奏でたいです。
 その願いの本質は、『世界を創る』というところに帰着します。
 私はこの世界ではないどこかに自分の世界を作り出したいのです。

 なら、私はどうするべきなのでしょうか?

 世界の教え方を教えてくれる方なんて、私は知りません。そもそも世界を創ったことがある人など私は知りません。ああ、神様がいましたね。
 ですが、神様には会えませんし、神様は概念にすぎません。
 この世界の存在を説明するためだけに作られた概念的存在、それが神様です。

 こんなことを言うと怒られそうですね。

 私は、何をしたいのでしょうか。

 世界を作って、何がしたいのでしょうか。
 私は小説を書きます。世界を新たに作り出す度に、思うのです。

『どうして私は、この世界に行けないのだろう』

 私がいくら理想の世界を描いたところで、私はその世界に行くことは出来ません。
 書いてる時、描いてる時、奏でている時。その時だけはその世界に入り込んでいるかもしれません、しかし、ふと現実に引き戻されるのです。

 まるで神様に「お前のいるべき世界はここだ」とでも言われているみたいに。
 一応言っておくと、私は別に神様を信じていない訳ではありません。超常的な力の存在は否定できませんし、肯定もできませんから。

 私はこの世界に取り憑かれているのです。

 本題から少し話が逸れてしまいましたね。話を戻しましょう。

 私はどうするべきなのでしょうか?

 その疑問に答えてくれる人はいません。誰しも人の人生に責任など負いたくありませんから。

 私のやりたいことは、致命的に大学という場で学べる内容からズレているのです。
 大学に通っている人からすればここで出来るよ、と思うかもしれません。しかし、外から見ることしか出来ない私には見つからないのです。
 私の全てを受け入れ、自由を許してくれる場など。

 選択肢があるということは、自分の行動に責任を持つこと、自分の人生に責任を持つこと。
 私はその重圧に耐えられません。

 いっそ全てを投げ出してしまいたいと思う時もあります。
 他人に責任を擦り付けたい時もあります。

 でもこれは私の人生だから、他人に委ねるようなことはしたくありません。

 私は私で、私なのに、私は私を、理解出来ません。

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