心のつかえがとれた話。(エッセイ)

 ずっと体の中で声が二重に聞こえていたんだけどそれが消えた。デフォルト設定では私はこういう人間だったんだよなぁ。ということを日々思い出すにつれて苦しさが薄れていく。

 普通になりたいなぁという気持ちがずっとあった。自分は欠陥品で、完品として生まれ出でたかったとものごころが成熟してきた小学生の頃、本気で思っていた。
 悪気なく乱雑にものを扱ってしまうのは指先の力のコントロールが苦手だから。生まれたときから筋肉質なのが影響しているのかもしれない。私の仮説によると、マッチョは不器用。皆さんはどうですか。筋肉鍛えすぎて、精密機械の組み立てなど細やかで繊細な作業が苦手ではないですか?マッチョの人のご意見待ってます。

 家族や夫から、破壊神だと呼ばれていた。あまりにもものを壊すので。

 壊すのはものだけではなかった。おおむね人の精神もだった。
 子供の頃は好戦的な性格だった。というか、どうしても許せないものごとのレベルが人よりも細かかった。一言われたら十言い返さないと気が済まなかった、黒いものを白いと言われたら、相手が納得するまで黒と言い続けたかった。

 まじでこの気質なんとかならんか。と思い悩んだのが、論理機能の高まる十歳前後からだった。私はなにか気に入らないことがあると簡単に激昂し、終わった後はけろっと普通に話しかけるのだけど、相手の中ではそうはいかないらしい。敵。目に敵意が残っている。

 当時の特技はマシンガンみたいに悪口を連射できるところだった。ノンブレスというか喋りながら息を吸うことができたし、言うべきことは頭の中から泉のように湧いてくる。

 その場で反論できない
 沸き立つ感情がある

 という相手の心がわからなかった。
 なかった。心。
 相手が憎いから舌戦を繰り広げるわけではなかった。
 好きとか嫌いとか、関係なかった。どうでもよかった。
 でも一般的には相手が敵か味方かで発言内容を使い分けるものらしい・
 なかった。そういう繊細な機能。

 なかった。

 好きだから手心を加える、という感情を理解したくて、「私はAちゃんが好き。だから優しくする」というコマンドを脳に送り続けていたこともあった。「BちゃんよりAちゃんが好きだからAちゃんにより優しくする……!」これが私にとってはめちゃくちゃ難しいのだ。
 自然にできない。この順番がしょっちゅうわからなくなる。「あれ、Bちゃんのことを優先するって決めたんだっけ、Aちゃんだっけ?」これは人間に対してだけでなく、番号を記憶するときも同じだった。そこに当てはまる要素は列挙できても、順番を正しく思い出すことができない。頭の中にふわっとした空間が広がっていて、だいたいこういう感じ。おおむねこう。としか決まっていない。詳しい位置を割り出そうとすると脳が死ぬ。量子力学の話みたいですね。
 でもどうもこのシステムは一般的ではないようだ、と気づくことはできた。

 普通、こういうときどうするの。というのを常に考えているようになった。
 みんななら、どうするだろう。

 陰口のシステムもわけがわからなかった。改善してほしいところがあるなら口で言えばいいのに。でもあまりの多くの子が陰口を言うので、言わないほうがおかしいのかなと思って、一時期過剰に陰口を口にしていたことがあった。いくら見えないところで悪口を言ったからって、その子のことが本当に嫌いになるわけではなかった。
 ただ、こういう言動はみんなから反感を買いやすい。という知見が積み重なるばかりだった。

 どうも言葉と感情というのは密接に関わり合っているらしい。
 他人の感情を自分事として捉える機能が欠如しているのだ、と気がついたのが四年生の頃だか五年生の頃だかはっきりしない。

 第三者の陰口を前にしても、私の頭の中では、「ひたすらCさんの悪口を言うDさん」が刻み込まれるだけで、みんなのように「悪いCさんに熱狂する」ことができなかった。それはCさんにも話を聞かないことには、なにも判断できませんね……と思っていたけど言うと怒られるので黙っていた。空気読めないことを言ってしまったときの、あの感じ、今でもすごく覚えている。みんなが一斉にこっちを見て、空気が凍りつく感じ。こわい。
 怒られたくない。という気持ち自体は普通に持っていた。

 日常で嫌悪を抱くことは普通にあった。嫌なことがあっても、みんなに共有しようという発想がなかった。わかってもらいたい、という欲求が少なかった。感情というのは外に向けて発散するものではなく、心の中にしんしんと降り積もるものだと思っていた。喜怒哀楽のすべてを、共有するという発想がなかった。
 これはどうやらすごくやばいらしい。という自覚が生まれてきた。

 普通になりたい。ならなきゃ。
 と思うあまり政治に走って女王バチみたいになった。もしくは女王バチの親衛隊ポジ。

 こうじゃない……。
 母には女王バチやその周辺のスタイルが好まれたけれども、私は精神的な損失が多くて嫌いだった。エネルギーの消費が多くて無理だと思った。

 中学でこそ普通になる。と心に決めて平穏地味に暮らすことに決めた。友達も選んだし陰口も言わないで済むことにしたい、と思った。問題の少なそうな子にばかり話しかけて、実際に付き合ってみて、陰口や悪口の多い子とは距離を置いた。小さいころは目立つことが気にならなかったので、好きな格好をしていたけど、中学に入ってからはできるだけ目立たない、校則に準じた格好をするようになった。
 それは驚くほどうまくいった。没落したことで多少復讐にあったけれども、自業自得だったので気にならなかった。
 自分のしたことが返ってきたのだと思うと苦にならない。強がりでなくて、本当に。感情的に波風が立たない。すごく静かだ。

 いろんな子と接していたせいで見る目だけは身についていた。ときどきすごく純粋な子に出会う。私みたいに陰口を理解しないだけじゃなくて、陰口を利用して人と近づこうという発想自体がない子。でもそういう性質の子は、ときどきトラブルに巻き込まれた。純粋すぎて、人の悪意まで信じてしまうから。
 あるいは自然と人を気遣う発言のできる子。悪口の好きな子は気遣いのできる子を「いい子ぶってる」とか「自分だけいい風に見られたいと思っている」と攻撃することが多かった。
 卑屈なわけでもなく、裏があるわけでもなく、ただ善意から人を気遣うことができる子というのは、普段から家でそのような扱いを受けていることが分かった。

 私は人の悪意を信じられない代わりに善意もあまり信じることができなかった。でも中学でようやく、どうやら世の中には心からの善意というものが存在しているらしい。ということに気づくことができた。それはとある友人のおかげだ。

 反面、人を悪く言ってコントロールしようとする子供たちの家庭は大体複雑だった。ステップアップファミリー、片親、どちらかの親が失業中。お父さんの肩書が立派でも、傷ついている子はいた。うちの場合は両親の没交渉が長引いていた。
 しかもこれらの問題は地域ごとで見られる頻度に偏りがあった。

 私の通っていた小学校地域からは、何人も不登校の子が出ていた。外に遊びに行って学校に来ない。他の学校にも多少不良めいた行動をする子はいた。でもきちんと学校に通っていた。義務教育からドロップアウトするのは、幼馴染だった子たちが多かった。
 彼らの多くは余所から流入してきた人たちで、地域に祖父母もいなかった。

 社会的な孤立が問題を深めている。と直感した。
 どのような子供も、頻度は違えど問題に直面する。学校のトラブルを家庭に持ち帰ってリカバーしてもらえる子は強い。しなやかだ。家庭からのフォローが少ないと、些細な問題から攻撃的になったり悲観的になったりする。家庭からのフォローが少ないというのは、愛情や情熱の過多というよりも単純に、ワンオペの育児や地域に知り合いが少ない、などの社会的な立場に根差していた。

 こういった考えは私を楽にしてくれた。母親に愛がなかったと思うよりは、愛情をそそぐ余裕がなかったと解釈したほうがずっといい。あるいは母自身も子供時代になにか欠損を抱えていたらしかった。

 私はときどき過剰に防衛的になるほかは問題行動を起こさなかったので、先生たちからは見過ごされていた。でも本当は私は自分が躾の行き届かない子供だと思われることで母が責められるのが嫌だった。母はよく自分を憐れんでいたので、これ以上母を可哀想な人にしたくないと思っていた。

 あんまりそれには効果がなくて、結局いつもやる日常のうっかりややらかしでひどく怒られるのだけど、なにか自分でどこかに働きかけないといけないように感じていたのだ。それはけっこう強迫的な思い入れだった。
 子どもらしく、自分が何とかすれば、事態がマシになるかもしれない、という希望を抱いていたのだ。もっと良い子になるとか普通になるとかすれば、もしかすると母に愛されるかも。と思わないこともなかった。でも母はずっと自分を憐れんでいたし、その憐れみが子どもの私に向けられることは少なかった。

 ということを最近村田沙耶香さんの著作を読んで思い返している。「丸出しで生きていいんや」というのは椎名林檎さんの生き方や村田さんの著作が教えてくれた。
 みんなみたいにできなくても、そのまま生きていて良いんだなぁと思う。
 そのまま。

 っていうのをここ数年心掛けていたんだけど、最近本当に「そのまま」に戻ってきたのが不安でもあり救いでもある。「こういう風に見られたらどうしよう」とかいう配慮を取っ払って自分の思っていることをそのまま表現するのはすごく楽だ。呼吸がすごく楽になった。お腹の下にずっと溜まっていたもやもやが取り払われたみたい。もともと「こういうふうに見られたい」という欲求のない人間だった。そこに無理やり「こういうふうに見られたいという欲求があるのが普通な人間だ」と外付けで感情を組み込もうとしていた。

 それはすごくしんどくて、頭の中でいつもなにかの音が鳴っていた。音というのは外の人の言葉を取り込んだ戒めだったり、自分への憎悪や恨み言だったりした。

 こんなんではいかん。と本気で思ったのが子どもを授かった時期だ。こんな無駄なことにお脳を使っている場合ではなくてよ。なんせ子育て負荷がすごい。頭を働かせ続けないと子どもがやばい。
 しかし長年の習慣から脱出するのは容易ではなかった。いろんな人の発言を頼りに、自分がどう生きるべきか、どう生きるのが一番適しているのか探り続けているここ数年だった。

 最近になり、ようやく自分の感情を口にできるようになり、最後のダメ押しをしてくれたのが村田さんの「コンビニ人間」だった。
 
 ツイッターを使うようになって、まるで訓練のように、思っていることをそのまま呟くことを続けていたのだけど、はじめは本心を呟くたびに胸がかけるような痛みに襲われていた。今ではそれも少なくなって、ほとんどない。

 それがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからない。あるいは単に老化から内なる人格を維持することができなくなったせいで、頭の中の声が消えたのかもしれない。

 普通じゃないやばい人、になるのは怖い。

 自分が普通だと思っていても、普通の自分が普通に普通だと思っていることがよくない、とジャッジされることもあるかもしれない。でもそれは「よくない」と思った人が少なくともひとりはいるということで、発言自体が否定されるわけではない。ないのだ。もちろん特定の属性に属する人を差別する発言など、言ってはいけないことはもちろんある。
 私はそれ以外の領域にまで、「これは言ってはいけないことだろうか」と神経を巡らせ怯えていた。その分使っていた余計なカロリーがなくなって、とても純粋に、自分の枠組みで物事をとらえられるようになった気がする。

 生まれ持ったものまで否定する必要はないのだ。
 差別的な発言や価値観を生まれ持ってくる人はいない。
 それらは社会から学び取ったものであり、自分の中に差別的要素があるなら取り払うことだってできる。なんどでも新しく学びなおすことができる。

 攻撃的だったり、悲観的だったり、厭世的だったり、皮肉屋だったり、自分が生まれ持ってきた元来の性質まで否定してしまうことは全くない。唯一無二の個人の個性があって、その上に積み重なったやり取りがあって、言葉があって、今がある。間違った学習は取り払って新しく覚え直せばいい。あなた自身が否定されることなんて何もない。方法が変わったところで、あなた自身はそんな簡単に消えてしまったりしない。

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