#文舵練習問題その7 問4

 新はコンビニのイートインスペースでテスト勉強に励んでいる。家では幼い兄弟たちが自宅学習に励んでいた。うるさくてとても勉強などできる環境ではなかった。だから、母親の出勤を待って、新は勉強道具一式を持ち出し出かけていく。図書館やコンビニ、イオンのフードコートを転々として冷房の効いた環境で勉強する。

 コンビニ店員のサラはタバコを補充したり、開いている時間に日本語のリスニング教材を聞き流したり、忙しい。母国には三人の兄弟がいた。新の姿を見るたび、国に残してきた弟たちのことを思い出す。彼らのために働こうと思える。日本のイメージは来る前とだいぶん変わってしまった。来日する前に想像していたようなサイバーパンクの町ではなく、雑多で、それでいて過度に清潔な、アジアのさびれゆく町。差別的な目を向けられることも多い。同じカラードだからと言って分かり合えるわけではないのだ。でも、そう、わかりあう必要などない。サラはアニメキャラが描かれたPOPを陳列棚に貼りつけながら、おでんの鍋を少し眺め、やってきた団体客に目をやる。ばらばらと店内に足を踏み入れた五人の集団は、足元が全員サンダルやビーチサンダル、きっとこれから海に行くのだろう。

 木崎は一足先にコンビニの中をぐるりと見まわし、息を吐く。団体で行動するのは苦手だ。昔から。女がいると買い物が長くなる。わざわざ全員で降りなくても、必要なものを先に決めて誰かが買いに行けば住む話なのに。ハーフパンツから覗く酒井の足首が妙に細くて、エロくて、嫌だった。色が白い。つい目が行ってしまう。木崎はわざと商品や大木の露出した二の腕に目線をやりながら、横目で酒井のパーカーから覗く腕の細さとか、手首の骨の形を眺めている。木崎は酒井の中身をほとんど知らない。だけどいつも酒井のことを考えながら自慰をする。表面にしか、形にしか興味がない自分のことが嫌で嫌でたまらない。

 酒井は炭酸が飲めない。だから真っ先に清涼飲料水を買いに飲料の棚の前に向かった。アルコールも炭酸もダメだと周囲から馬鹿にされる。だけど誰に何と言われようと飲めないものは飲めない。口の中を刺すような炭酸の刺激や、アルコールの鼻につく嫌な臭い。田代は酔った女の子は可愛い。とか言うけど、酒井は酔って自分にからむ母親を思い出すから、酒に酔っている女が好きではない。途中から綾香がついてきて、いろいろ話しかけてくる。女って言うのはどうしてこう、どいつもこいつもおしゃべりなんだろう。野郎だけでつるんでいるほうがずっと楽だ。だけど木崎はそういうのを嫌がるから、仕方ない。このあいだも、綾香ちゃんの水着姿が見たいと言って煽っていた。だけど酒井には、木崎が大木を嫌っているように見える。

 大木綾香は各々が持っているかごの中身を観察しながら、必要な氷や花火やアルコールを買いそろえる。同行者たちのつまみの好みも把握していた。こういうことは女がするものだから。綾香は酒井大翔のことが好きだった。だけどそのことはまだ誰にも話したことがない。大翔は綾香の友達のことが好きだからだ。アプローチをかける前に、友達としての地位を築いてから、それからならどうとでもなるだろう。綾香は自分のルックスに自信があるから、焦って破滅したりしない。自信がある? 自信があるというのは間違いかもしれない。綾香は自分が勝てる相手をいつも知っている。だから綾香が一緒に行動する女の子は、綾香よりも地味で、綾香の言うことに逆らわない、わかりやすい女の子ばかりだ。

 なのかは会計の時に誰がお金を出すのか、どのタイミングで割り勘にするのか、ぼんやり考えている。五人はばらばらにレジに並んだ。木崎は酒井の視線がレジの女の子の手元や顔に注がれているのに我慢ができなくなる。こういうのがええんか。こういう華奢な女が。冗談めかしていじると酒井がムキになる。感情をあらわにした酒井に嫉妬している自分に気がつく。気がつきたくないから鈍いふりをする。綾香は酒井の感情の機微にふと不安をあおられて、攻撃性をあらわにしてしまう。綾香の父親は酔うといつも母親を殴った。綾香は父親に同調することで、暴力の矛先が自分に向くことを避けてきた。今の状況は綾香に危機感を思い出させるのに十分だった。木崎の笑いが、綾香には牙を剥く猿の表情そのものに見える。

 なのかは四人の背後から、恐ろしい気持ちでレジの女の子の顔を眺める。それから、じろじろ見てはいけない、失礼だったかもしれない、と慌てて目線をそらした。

 サラはただ、大学生の出す騒音と店内のヒーターや空調、照明の出す雑音をなじませることに集中している。耳に入れたくない言葉は日本語として認識しなければいい。私には帰る国がある。弟たちの素晴らしい未来のために、長女が犠牲になるのは当たり前のことだ。どうか、どうか。サラは考える。自分の子供が私を同じ目に遭いませんように。それにしても。どうしてこの人たちは自分の肌色が黄色いことを自覚していないように振舞えるのだろう。サラには日本人のことがよくわからない。アニメや漫画で親しんだ世界と、自分が暮らしている日本が地続きだと、うまく信じられないままでいる。

 新は途中から大学生たちの会話に耳を奪われて、勉強どころではなかった。母親のことを思い出す。母親はフィリピンパブで新の父親と出会った。新の風貌は父親に似ている。妹の巻き毛や弟の大きな目は、日本人から疎外される対象だった。新はこぶしを握り締める。何も言えない自分が悔しい。勉強道具をまとめ、逃げるようにコンビニを去った。サラは人のいなくなったコンビニで、おでんのことを考える。母国に帰っておでん屋さんをしたら、弟たちは喜んでくれるだろうか。店長におでんのレシピを聞いてみよう。

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