2020年1月13日の日記

短編の賞に応募した。

応募作の善い点。女の子がかわいい
    悪い点。敵がいない。主役が途中で変わる。
        男の子がいない。かわいい女の子しかいない。

 結構すっきりした。すがすがしい気持ち。今できることはやったという感じ。次も書く。

 最近『あし』を読んだとお声がけしていただくことが増え、嬉しい。カクヨムの中でちまちまやっていたつもりだったけれども、最近そのほかのクラスタの人とも喋れるようになってきた(会話できている、というのがわたしの妄想でないことを願いたい)。とても嬉しい。実は『あし』はなにも狙わず何も考えずに書いた作品なので、いろんな人に感想をいただけることが意外で恐縮している。あのときは一晩か長くても三晩くらいで書いて、公開してからやや経って最後の一文を加えた。考えずに二万文字も書けるようになった自分を褒めたい。

 しかし考えてないのでなにが良かったのか全然わからない。スポーツとかでもたまによくやる。一回だけ綺麗なフォームでクリーンヒットが打てた後、無様に空振りし続けること。子どもの頃からずっと同じ行動パターンを続けている気がする。もういい大人なので、頭を使って対策をしていきたい。

 大衆小説と純文学というくくりがある。ベン図にしてみると、お互い噛み合っている部分がある。大衆小説の中には時代小説やアクション、ライトノベル、SFなどのジャンルがあり、純文学には、、、ジャンルがあるのだろうか。あとで調べてみる。

 私は日常の人間の目線を書くのが好きで、こどものときに褒められた文章というのも、日常を面白おかしく書いたエッセイ風味の作文だった。どんなつまらないとされることにも面白みを見出すことはできる。家があまり裕福でなかったので、生活の知恵と言うか生きる楽しみみたいなことかもしれない。だから大きな枠組みの中から、虫眼鏡をとおして小さな良さや輝きを見つけるのが好きなのかも。十円玉レモン汁で磨いてぴかぴかなったーやったー!みたいな心持ちをいつまでも忘れない、幼稚な人間ともいえるかもしれない。

 ところで今日書いてた小説はややエンタメ色の強い作品で、私はエンタメを書くのが下手。まず私は写真が下手なのだけど、もちろん動画を撮るのも苦手。小説の中のカメラの移動も下手。
 昔カクヨムで読んだエンタメ作品、賞を受賞して出版されたものは、文字を読んでいてもアニメ絵が浮かんで動きまで再現できる作品が多かった。とても映像的なのだ。状況の説明、ズームアップ、人物の描写、そして金髪ツインテやギルド、ステータス画面、ゾンビなどの読者と作品の間の共通理解を利用して、情報量を極限まで圧縮してある。その分動きに筆が割かれていて、映像がすんなり再現できるという感じがした。自分の脳が映像受信機になったようで、不思議な読書体験だった。もちろんとても面白かった。

 私は状況を説明するのが下手だ。順序立てて相手の理解を促す説明というのがとても下手。実際に起こった出来事を順に説明することはできても、背景や心理描写を絡めると途端にわけがわからなくなる。エンタメ作品はまず精密に状況を設定する必要があり、リモコンがあるべき場所にないなぁとかから始めるのは向いていないのだ。動きに動機を語らせ、動きに登場人物の心理を乗せるべきなのだろう。状況、舞台を設定し、各々違った背景を持つ登場人物の対立や和睦を描き、彼らに演技させる必要がある。

 私がやっているのは、取れ高待ちのドキュメンタリー制作に近い。編集作業が命、予算が尽きたら企画も倒れてしまうような、一か八かのギャンブルだ。名監督には程遠い。ちょっと凹んでしまう。もっと善い映画を数多く見るべきだろうか。でも私はアメリみたいな映画が好きなんだよなぁ。インザプールとか、彼らの七つの分かれ道とか。最後まで「このままなにもおこらないのではないか」という恐怖と戦いたい。人生の縮図みたいだ。

 

 こどもの絵をTwitterにあげたら、心の綺麗なひとたちが反応をくれた。世界は優しいなぁと思う。こどもは絵が好きで、好きになるきっかけはDSソフトの『絵心教室』だったのかもしれない。今では勝手に漫画の描き方の本とか、アニメの描き方の本を読むようになった。好きなものを好きなままでいてほしいなぁと思う。

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