知るを知ること
知ることは怖い。知識が増えると不安なことばかり増えていく。不安な要素、例えばよく知られていない毒性や未知の危険、今まで想像もしなかった事故や事件、多くの悲しみについて。新聞やテレビ、ネットは力を尽くして報じてくれる。
その反面、大丈夫だと言ってくれる声はあまりにすくない。世の中には絶望しか残っていないように感じられる。
けれどもそれも当然のことなのだ。答えに先立って疑問がある、というのはとても自然な状態だ。学問の始まりはいつだってそうだ。疑問に先立って答えを与えてくれるのは、宗教しかない。宗教だって絶えずおおくの疑問にさらされ、ブラッシュアップされてきた。
「問うな」
という声を私は何と解釈すればいいのかわからない。
「黙せよ」
椅子に座る人に対して。なにかを作って公開する人に対して。あるいは被害を訴えようと書類を用意する人に対して。
「黙れ」
と声をかけられたのは車いすに座った誰かかもしれないし、病気で仕事の効率が悪くなった誰か、見知らぬ人に殴られて泣いている誰か、家のない誰か、次に声を投げかけられるのは、私がさきか、あなたがさきか、わからないけど。
囁き声でも、うめき声でもいい、まだ何か声を発していたいし、それでも誰かと繋がっていたい。
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