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クリエイターとしての思い出

こんばんは。
今回は日記というか映像制作をしていた際の思い出をつらつらと。

自己紹介でも書いたのですが私は中学~今に至るまで映像制作をしてきました。ボーカロイドの世界に没頭し始めたのが中学生の頃。
「歌ってみた」や「合唱シリーズ」など様々な動画があがっていました。

初めは歌ってみた動画を重ねることで作る「合唱シリーズ」を作り始めました。下のリンクは(自分の中では比較的新しい)3年前の作品です(今回は色々宣伝します)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31704206

これは歌っている方の音源を合わせる作業映像を作る作業の2つからなります。しかし自分は映像制作にはまってしまったのです。

大学時代になるとお金をもらいながら映像制作をするようになりました。ある種仕事をしていたとも言えるのでしょうか。

Vtuber様の映像も作ったり。


さて、そんな風に映像を作るとなると色々な方と関わりました。
色々な方もいますのでなんとも失礼な方も勿論いました。

(あまり細かくそこを書くと万一ばれた時が怖いので書きません)


有償で依頼を受け付けていましたが、とても格安で受け付けていました。
(一般の方からは3000~5000円程度。企業からは15000~30000円程度)

その中で一番つらかった思い出を一つ。


「使うイラスト、構図、フォント、文字サイズ、タイミング全てを指定された依頼」

辛かったです。作るの自体は非常に楽なんです。言うことを聞くだけですから。
ですがそれ以上に、与えられた曲に対する自分の解釈や表現を一切縛られたのです。
お金を稼ぐのが目的なのではなく、色々と表現をすることに挑戦したいという自分にとってはとてもとても。
(自分で言うのもなんですが無償で作るとなると依頼が殺到してしまったのでその抑止力のために有償化を実施していました)

ここにも色々と創作小説など書きなぐっていますが、映像にしても物語にしても「創作すること」が一貫して趣味な人間。「自由な表現」を縛られるのは苦痛でした。


今は全てフリーな状態。
なんにも縛られず、これからも色々と書いていきます。


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