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何を言うか、より、誰が言うか問題


ネットやSNSの発達により、誰でも簡単に情報発信ができる時代になりましたが、ほんと最近思うのが、「何を言うか」より「誰が言うか」の方が大切ってことです。

何を言うかの「何」については、もう正解が溢れているんですよね。
ネットで調べれば大抵のことはわかるし、正論もそうでない意見も、全部既出のことばかり。

「心に響く名言集」みたいな動画や記事に溢れているじゃないですか。
名言ですら出尽くしていると思います。

つまり「何」には全く価値がないということだと思います。


じゃあ、何が大切かというと「誰」が言うかなんですよね。
全く同じ内容でも、お茶の前のテレビの前のおっさんと、ホリエモンが発言するのでは、天と地ほどの差があるわけで。

結局、「何か」を言いたいのであれば、「誰か」にならなきゃ伝わらないってことだと思います。

本を読み漁って、それっぽいことを言えるようなっても、なんかスピリチュアルに目覚めて、自分の解放が大事、みたいなことを言っても、結局は地に足ついた、現場で血と汗と涙を流した人が発する言葉には勝てないと思うんです。

まあ、そんなことを思っていまして、先日台風19号の際も、災害時における地域の情報発信への必要性を感じて、でも何もしないで「こういうことが大事だと思う!」って言ったところで、人には響かない。
そう思って、ちちぶるで災害関連の情報を発信しまくったわけです。それから出ないと、おそらく議論のテーブルに乗らないと思ったから。

自分でやってみて、結果を出して、初めて「誰が」言っているかの「誰」のポジションを取れるんだと思います。行動の裏付けのある主張こそ、意味のある意見だなあと。

今日もSNSでああでもない、こうでもないと、高みの見物をしながらうだうだ言っている人たちよ。まずは行動しなされ。話はそれからじゃい。

という、こんな文章ですら、「何」だし、こんことはとっくにいろんな人が言っている。僕が、何者かになれていれば、誰かに届くだろうし、盛大にブーメランで返ってくるかもしれないなと思いながら、書いてます(笑)

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