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「なぜか語られない、臨床の実際2023―教科書と実践のエッジ―」開催報告(後編) クライエントに犬派か猫派か訊かれたら?

  こちらは2023年11月25日に開催した、第11回あざみのカフェ「なぜか語られない、臨床の実際2023―教科書と実践のエッジ―」の開催報告の後編になります。

 グループディスカッションで挙がった「エッジ」を共有した後で、いよいよ全体ディスカッションに移っていきます!

目次
●全体ディスカッション・総括
テーマ① 「イヌ派かネコ派か?」という質問から見えてくるもの
テーマ② パーソナルなものをどこで出すか?
テーマ③ セラピストがタブレットを持ち込むことの意味
●まとめ



●全体ディスカッション・総括

グループディスカッションの共有を終えたところで、全体ディスカッションに入っていきます。

① 「イヌ派かネコ派か?」という質問から見えてくるもの

 グループ2で出た質問でしたが、参加者のなかにも同じ質問をされて、迷った末に「特定の犬種しか愛せない」と答えたという人や、2択のどちらかだけではないと示したい気持ちもあって「私は鳥派かな」と答えた人など、様々な体験談が語られ、かなり議論が盛り上がりました。

「ちょっと違うけど、海派か山派かなら聞かれたことがある。違ったら「こっちの方がいいよ!」って説得されて。海派か山派かを説得しあうゲームがあるらしいんですけど。それぞれの良いところがある,とクライエントと盛り上がって紐帯ができた感じがした」

「確かに、そこで教科書的になんで聞きたいと思ったの?と聞きかえしても、関係が始まらないかもしれないですね」

「自分はマジレスというか。イヌ派って答えたらどう思いますか?と答えたことがある。本当はネコ派なんですけど」

「イヌ派ネコ派の質問は、海派山派に比べて分断がある気がする。どっちかって言って、違ったら分かり合えない感じがする」

「言っちゃうとどっちかが地雷なんじゃないかみたいな感じもありますね」

「クライエントの質問には、こっちがどう思うか知りたいのもあるし,その人が話したい何かがある。聞きながら自分の話をしたい。人間として答えた後に、君は?と聞いてみることに意味があるんじゃないか」

ここで、他の参加者さんから鋭い質問が、、、。

「イヌ派かネコ派かとかのパーソナルな問いかけをされたときにこちらが答えるのに躊躇するのって、基本はこちらが尋ねる側だから。だからためらうんじゃないかと思った。質問する側、される側っていう、力関係を逆転させるための質問なんじゃないでしょうか?」

 このコメントから、イヌ派かネコ派かという質問に、セラピストークライエント間の力関係、あるいは権力勾配の問題が隠れていることが見えてきました。

テーマ② パーソナルなものをどこで出すか?

 このイヌ派かネコ派かの質問を巡って、別の参加者さんは、次のようなコメントが。

「自己開示だったり、自分のパーソナルな部分を出すのは、やっぱりケースのなかで、ここぞというところのイメージ。イヌ派かネコ派かで、自分のパーソナルな部分を出すのはもったいないのでは? とも思いました」

 そこで、答えるか答えないか正解はないということは前提としたうえで、イヌ派かネコ派かという質問に、自分なら答えると思った人、答えない人はどれくらいいるのかアンケートをとりました。

すると、スタッフも含めて24人中、答える人が17人、答えない人が7人でした。

そこで、他の参加者さんから、重ねてもうひとつ質問が出ました。「答えないに手を挙げた人のなかで、病院勤務の人って何人おられますか?」

なんと、7人中6人が病院勤務という驚きの結果に!

以前に勤務経験ありも含めると、なんと7人全員になりました。

司会からは「やっぱり病院ってちょっと特別ですかね。病院の外では会わないみたいな」とコメントが。

 イヌ派かネコ派の質問の力が大きく、このテーマだけで一度カフェができてしまいそうだという話に。この質問がエッジになるのは、そこに権力が関係してきており、「スタンダードはこうだ」と決まっているところで、権力勾配が発生していると考えられそうです。

  病院勤務の人が「イヌ派かネコ派か」という質問に答えない、あるいは答えるのにかなり抵抗感を覚えるのは、こうしたことが影響しているのかもしれません。

テーマ③ セラピストがタブレットを持ち込むことの意味

権力勾配の話に触発されて発言してくれた参加者さんもいました。

この方ははグループディスカッションで、マインドフルネスをするためにタブレットを持ち込んでいるという話をしてくれた方でした。

「自分は、クライエントの緊張が強いとき、マインドフルネスを一緒にすることがあります。そのときに“呼吸を落ち着かせましょう”といった指示を自分でせずに、持ち込んだタブレットで動画や音声を再生して、一緒にマインドフルネスをしています。

 面接の最後5分間だけはやって,ここでは落ち着いて過ごせるよねっていうのを体感してもらうために。だから、指示はタブレットにしてもらっていた。

 それは、権力の問題を意識してそうしていたわけではなかったんですが、自分から呼吸や体感について指示すると、そこに権力勾配が起きるからなんだなっていうのを、今の議論を聞いていて思いました」

 タブレットの音声を一緒に聞いて、クライエントと一緒にマインドフルネスをやる、というのはとても面白い実践だ、という話になりました。

●  まとめ

最後に司会から、今回のまとめをしました。

・皆さんが、いくつものエッジを超えて仕事をされていることを感じましたし、あらためてエッジの仕事は必要なものなんだと思いました。

・どの話もクライエントとどこかでつながっている感じがしました。

「紐帯」というキーワードが、そのことをよく表現してくれているように思います。

・おそらくこの場でしか話せないだろう、とってもパーソナルな話や、葛藤と思い入れのあるケースの話をしてくださいました(すみません、こちらの記事には記載できません)。この場が安心して話せる場になっていて良かったです。

司会でも今回のカフェでの体験がなかなか言葉になりませんでした。

  少ししてから、みんなでエッジの話をしているけれど、極端な話をしているというよりは、割と自分たちの心理臨床のど真ん中の話をしている感じがしていたことに気づきました。いつもの事例検討会と同じか、もしかしたら、それ以上に。

「エッジのはずなのにど真ん中に感じる。」

 それが不思議だし、とても面白かったし、無理がなくてとても自然でした。エッジについてのカフェは、今後も定期的に続けていきたと考えています!

 全体ディスカッションも終わりましたが、その後にあざみのカフェでは恒例になっているラウンジタイムを実施。これは「現地参加のイベントが終わった後の、話し足りない、もっと盛り上がりたくてしばらくみんな帰らない、あの時間」を再現して、15分ほど残りたい人だけ残って、自由に感想を話してもらう時間です。
 いつも以上にたくさんの参加者の方が残ってくださいました!!

 長時間お付き合いいただいた皆様、本報告を読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました!

第12回のあざみのカフェもお楽しみに~~!


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