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過去の事にできない。表現者 三浦春馬さん。

三浦春馬さんの訃報を聞き、頭が真っ白になった。あれから一週間が経つ。長い一週間だった。何をするにも三浦さんの事を頭がよぎり、目が滲んだ。洗い物をしながら、引越しの荷造りをしながら、お風呂に入りながら涙が出てしまう日が続いた。テレビやSNSを観るのが辛く、見るのをやめた。たまたま目に入ってしまい、具体的な記述を読んでしまい、また辛さが増した。それからは眠れない日も続いた。三浦さんのいない世界で普通に日常が進んでいる事に違和感を感じていた。どうしても、元気が出ない。ずっとずっと同じ事を考えてしまうので、文字に起こす事にした。

私は三浦さんの「熱心なファン」というほどではなかったが、と、ここまで書いて、「熱心なファンでない事を前置きする」ということ自体に何の意味があるのか…と考えた。熱心なファンの方に向けた遠慮のようなものと思っていたが、こうなって、思うことがある。

三浦さんを応援していると、もっと声をあげていればよかった。

その事でこの結果に変わりがあったかなんて痴がましいことは思わないが、この状況になって、どうしても思ってしまう。もっと舞台を観に行けば良かった。イベントに行けば良かった。ファンレターを送ればよかった。インスタにコメントすればよかった。本人の目に留まるにしろ留まらないにしろ、もう、本人にそれを伝える事は叶わなくなった。

新曲を楽しみにしています。作詞された曲も楽しみです。またダンスを踊ってくれるのかな。また舞台で会えるのを楽しみにしています。自炊のお料理、美味しそうです。いつも素敵なパフォーマンスをありがとうございます。どうか身体に気をつけて。



歌手のJUJUさんと共にMCを務めていたNHKの『世界はほしいモノにあふれてる』を毎週楽しみに見ていた。番組自体ももちろん面白いが、なんといっても三浦さんの振る舞いやコメントが良かった。素敵なものを素敵!といい、美味しいものを美味しい!と喜ぶ表情や、的確なコメント。ものづくりの職人とそのバイヤーに対する尊敬と暖かさ。「その反応、わかる〜」といった素直で、真面目で、知的で、やさしさに溢れた振る舞いは、役者をしている姿とはまた違う、三浦さんご本人の人柄が滲み出ているように感じた。共演者のJUJUさんとの掛け合いも楽しく、二人の仲の良さが見ていて心地よかった。コロナの自粛生活の間も、この番組にとても助けられた。そこには優しさと希望に満ちた世界を感じていた。

特に思い出深いのは、三浦さんがパリを旅して自分だけのジュエリーを作る回だ。完成したリングをつけ、涙で潤んだキラキラとした目で喜ぶ三浦さんの姿を見て、本当に、この人は素敵な人だなと思った。

優しい人なんだろうと感じていた。実際、訃報にあたり出された著名人の方のコメントには、彼の事を「優しい」と表現する人は多い。



アーティストや著名人の引退やバンドの解散などは、寂しいけれど本人の今後の幸せを願えた。お亡くなりになってしまった時は、悲しいけれど安らかにと祈れた。

しかし、好きな人の自死と向き合うことは、こんなにも難しいことなのか。それが、例え面識のない著名人だろうと、ずっと考えてしまう。

どうして。何が原因だったのか。どうにかできなかったのか。何かできたら助けられたんじゃないのか。

これが本人と交流のあった方であれば、よりずっと深く、この問いを繰り返していると思う。やり場の無い悲しみに自分を責めてらっしゃる方もいるのではないかと心配にすらなる。

こんな事を言っても仕方ないのだけれど、苦しめる辛い状況から逃げて欲しかった。引退でも、国外に出るのでもいい。(この状況ではそれも難しかっただろうけれど) 休んでほしかった。弱音を出してほしかった。自身を優先してほしかった。優しい人に、幸せになってほしかった。


「原因」に関して、あまり詮索はしないでほしいと思う。けれど、もう二度と、こんな悲しいことが起こらないようになってほしい。何が原因であろうと、彼を追い詰めてしまった何かがある。これは彼自身だけの問題なのだろうかと、ぼんやり考え続けてしまう。

前述の番組『せかほし』の2020年4月放送の文房具の回にて、万年筆の試し書きをしているシーンで三浦さんは

"I've been busy"(ずっと忙しい)

と書いていた。それがSOSだったのか、どうかはわからない。しかし、舞台、映画、ドラマ、バラエティ、本の出版、歌唱、ダンス、作詞、イベントと確かに三浦さんの活動は途絶えなかった。忙しかったのは、確かであろうと思う。ましてや完成度の高いパフォーマンスを目指す三浦さんだからこそ、一つ一つに時間をかけたい気持ちと忙しさと休息のバランスはどうだったのか、と考えてしまう。

そんな様々な活動に私は喜んでいたわけだけれど、その裏で三浦さんの心情はどうだったのか、考えずにはいられない。

もちろん直接の理由はわからない。しかし、働きすぎの芸能人、著名人の皆様に、どうか心のゆとりのある生活が保たれてほしいと願う。


また、今回の件の報道のされ方についても問題があったように思う。具体的な記述は、それを見た人に大きなトラウマを植え付ける。話題性やショッキングさよりも、ご本人への配慮や与える影響に関して、もっと注意を払ってほしい。「報道ガイドライン」に則った報道がもっと広まってほしい。



過去の事には、未だにできない。三浦さんの魂のこもったパフォーマンスを見て、悲しい気持ちになってしまうのも、また悲しい。彼の残した作品は、笑顔は、当時の感動のまま受け止められるようになりたい。時間をかけてでも、ゆっくりでも。

先程、ようやく三浦さんの新曲『Night Diver』のMVを見た。公開されてから丸一日、見るのを悩んで、気持ちが落ち着くのを待ちながら、この文章を書いていた。ようやくMVを見て、その歌とダンスと表現、楽曲と歌詞とビデオ、全ての完成度の高さに、改めて感動し、寂しくて、やはり涙が出ました。素晴らしかった。本当に、素晴らしい表現者。未だに過去の事にできない。だってまた、私は彼のパフォーマンスに心を振るわせている。

私はずっと表現者 三浦春馬さんのファンであり続けると思います。


そして最後に、もしも今、三浦さんの居ない世界に辛い思いをされている方がこれを読んで下さっているとしたら。一緒に三浦さんの魂のこもったパフォーマンスを、あのくしゃっとした笑顔を、今後もずっと、大切に語り継いでいきましょう。


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