【短編小説】読むと成る日記

ワタシは知っている。
この日記の内容を。

物心ついた時から鍵のついた日記を持っていた。
この日記に何が書いてあるのかは一度も見たことが無いのだけれど、内容を知っている。

この日記を読むと気づいてしまうことを知っていた。

普通に大学生として生活する毎日に飽き飽きしながらワクワクしている。
なぜなら私の世界は毎日が新しいのだ。
誰にだって変わらず訪れる昨日とは違う日々。
今日は何が起きるのか、もしくは何も起きないのか
それだけを考えていてもワクワクしている。
そんな毎日を送っている私は仲原 ひかり20歳

田舎というには少し緑が足りなくて、都会というには事足りない。
そんな地元の大学に入学して普通に生活をする。
恋愛も人並みにこなし、喫茶店でバイトをする
まさに普通という存在の私です。
少し違うのは、日記を持ってる事。
それだけ。

昨日は近所のメイクの濃いお姉さんが飼っている犬が八百屋の前で吠えているのを見た。
それをみて私は今日はいい日だなって思った。
昨日とは違う今日を楽しめるなんて幸せなんだよ。

私には癖があり、毎日夜中に部屋の机に座り1日を振り返る事。
そうして毎日明日に想いを馳せる。

朝起きるだけで昨日より楽しい日になる予感にワクワクし、久しぶりの休みにドキドキする。
今日は玄関の前の廊下が少し慌ただしいな。

昨日八百屋さんで買ったジャガイモをレンジでチンしてバターと明太子を混ぜたものをのせて食べる。
朝からお金のかからない贅沢でニヤニヤしつつテレビをつける。
ワイドショーでは昨日と似たようなことを言う芸能人の髪の毛が薄くて赤ん坊みたいだなって思って笑顔になれる、こんな事で笑顔になれるのは休日だから。

外の明るい灰色の空を薄目で見て今日の天気を予想する。
昼から晴れるね、これは。

台所の戸棚を開けて、親から送られてきて忘れていたそばを発掘し、今日の昼ごはんを決めた。

窓際のサボテンに水をあげる。
毎週休日に水を少しだけあげるのが決まりなんだ。
また次の休日に水をあげるね。

窓から注ぐ光が明るくなってきた頃に玄関のチャイムが鳴った。
昨日は鳴らなかったチャイムが鳴った。

戸を開けると背はあまり高くない男性が立っていた。
「どうも初めまして、隣に越してきた涌井です。引っ越しそばってもう古いかもしれないですけどこういうの好きなんですよね」
そういうと紙袋に入ったそばを手渡してきた。
なかなか表情がパッとしない男性だなぁという感想だった。
おっ、またそばだ!お昼は確定だね!
なんて思いつつ「こちらこそよろしくお願いします」と挨拶を返した。

お隣さんは引っ越しでバタバタしてるんだろうなぁと昼ごはんを茹でながら冷凍庫を漁る。
少し残った冷凍唐揚げをレンジに放り込みボタンを押した。

実際はチンとは言わないレンジからシナシナになった唐揚げを取り出し甘辛い昼ごはんを食べた。
タバスコは必要なかったかな。

今日は言うほど出来事もなかったかも知れないが幸せな日だった。
机に座りながら振り返る。
引っ越しでバタバタしているお隣さんに聞き耳を立てながら目を閉じる。
天気がいい、それだけで幸せな日だった。
ベッドに潜り、明日はどんな日になるだろう、頭の中にありもしない予定を立てながら目を閉じて口角を持ち上げた。

カーテンから差し込む優しい光がまぶたをコンコンとノックしてくる。
休日はもう少し寝ていてもいいのだが、久しぶりの休日は少し早起きしてみてもいいかな。
本来髪の毛が存在しない辺りを手でふわふわと撫でて寝癖の酷さを確認する。
いつも以上に髪の毛が地球に反発していて今日という一日が興奮できる日になりそうだ。

最近八百屋さんで買った野菜を温野菜にして適当に味をつけて朝ごはんを食べる。
調味料は少しいつもより豪華だ、なぜなら休日だから。
特に考えずとりあえずテレビをつける。
いつもとは違う休日のタイムテーブルでワイドショーの頭の涼しそうなコメンテーターが変わらず政治の揚げ足取りをしていた。

朝ごはんを頬張りながら八百屋さんで見た機嫌悪そうだったワンちゃんは美味しいご飯を貰えたかな、なんて考えつつほおについたバターを薬指で拭った。

カーテンで柔らかくなった光に目を細めながら丸い影を作るトゲトゲの友達を見て、この子にもご飯をあげないと、と近所の雑貨店で買った可愛いジョウロに水を入れた。

窓脇のテーブルに置いてある鍵付きの日記帳が天井に光のお手紙を出しているのを見て、日記の場所変えるかなぁとか考えながら歯を磨く。

月曜日はゴミ出しを忘れないようにしないと、なんて考えながら玄関の方を見ていると
「ピンポーン」とチャイムがなった。
外に聞こえるか聞こえないかくらいの声ではーいと答えながらドアを開けた。

そこには苦手そうに笑いながら紙袋を持った男性が立っていた。
「隣に越してきたものです、今後ともよろしくお願いします」
と蕎麦の入った紙袋をもらい、ごちそうさまですと返した。
最近は引っ越しの挨拶をしない人が増えている中でちゃんと挨拶をする律儀な人だ、なんて考えながら戸棚から昼ごはんになる麺を出してカビがないかを確認した。

今日の昼ごはんは辛さが足りないな、そんなことを考えながら、上のくぼみに小さな水の宝石を誇らしげに飾るサボテンを見ていた。

いつだってキラキラしている夜の景色を見ながら机に座る。
バタバタゴソゴソ、私も新居での初日は夜まで続いたなぁ、そう思いながら目を閉じる。
今日も幸せな1日だった。
ワクワクしたし新しい発見もあった。
毎日がこんな日ならいいのに。

今日はいい天気だった。
朝なのにそう思ってしまった
毎日がワクワクで詰まっているのに何か奥歯に引っかかるような。
窓からさす光も朝ごはんも
いつもとは違う新鮮な今日なのに。
今日はいい天気だった、そう思わざるを得ない。

今日は休日だから少し贅沢しようかな、体に悪いものでも食べちゃおうかな。
こんなことを考えちゃうのは休日だから。
休日だから。

八百屋さんの前で吠えていた犬は今は誰かに甘えてるのかな。
そう思いながら休日には欠かさず行うルーティン、サボテンに水をあげた。
休日には欠かさずあげていた。

玄関のチャイムが鳴り、今日隣に引っ越してくる人が挨拶に来るんだったと思い、立ち上がった。
隣に引っ越してくる。

今日の昼ごはんはパスタだった。
ミートソースだ。

窓の隙間から少し入る風でレースのカーテンが揺れる。
カーテンに引っかかって鍵のついた日記が落ちた。
鍵がかけてあったと思っていた。

落ちた拍子に日記が開いた。
私は日記を手にとった。

私はこの日記の内容を知っている。
なぜなら私の日記だからだ。
日記は今日で終わっている。
私は明日を知らない。

私は日記の中の私だ。

今日の出来事も、昨日の出来事も
私の記憶では無い。
今日の朝に感じた光も色も味も
欠かさず行う日課も
私の記憶では無い。
先程まで感じていた全てが色を無くし、白と黒の羅列に変わる。
ワタシは日記なのだ。

私はなぜ日記を書くのをやめたのか、ワタシは知らない。

私は止まった日記のワタシだから。


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